著者選集
♪冷えだした手のひらで包んでる紙コップはドーナツ屋の薄いコーヒー ほっと一息は良いものだった。僕には陶器のカップに入った目の前のそれは歌の様には薄くは感じられなかった。 駅前のドーナツ屋は店舗統廃合だろうか、一度廃業し違うテナントが入っていた…
友人の娘さんが妊娠されたという。結婚後三年目と言う話だった。その娘さんは母である友には妊娠三カ月でそれを告げたそうだがしばらくは口外しないようにと言われたという。安定期に入り旦那さんからそれを夫の実家に伝えたそうだ。 腹帯などは今も使うのか…
オープンマイクと言う言葉を知ったのはバンド仲間からだった。ネットにはこう書かれている。「店のマイクを飛び入りの客に開放する」と。カフェやライブハウスで行われるのだろう、ステージ飛び入りで歌う。バンドメイトの女性は自分たちがやっている音楽と…
いいの、人の話は聞きたくないの。自分で決めるし人からああだこうだとウンチク聞きたくないの。・・私は一人の時間が欲しいから自転車を買ったの。 くそ、なんで混んでるのかな、渋滞の一番先まで行ってその原因を起こしている「ヤツ」を割り出して謝らした…
●海と毒薬 遠藤周作 角川文庫 昭和35年 コロナが世の中を変えてから発熱程度で気軽に通院する事が出来なくなった。発熱外来と言う予約制の診療科が出来た。病院に来る人の多くは発熱だろうから発熱外来とは何だろう、と思うのだった。昨年末に軽い誤嚥を起こ…
下山路だった。目指した山頂は先程まで足元にあった。都心を遠望できる冬枯れの低山だった。登山はピークを踏むばかりでなく無事に下山することで完結する。山頂を踏むと誰もが安心し何かを成し遂げた気がするのだろうか、道間違い、滑落、疲労による行動不…
春めいた一日だった。朝の散歩は犬の排泄も兼ねるので欠かせない。風も柔らかい。有意義な日にしようと思う。 朝食を食べながら考えた。県の西部へ梅を見に行こうかと。小田原の近郊は曽我の地に梅林がある。数年前、もしかしたら自分がまだ会社員の頃だった…
寒気到来、平野部でも降雪予想、要警戒。そんなテレビ放送が続いていた。警戒心よりも「そうか来るか」と妙にときめくのは雪に縁遠い瀬戸内海の生まれだからかもしれない。確かにその夕方から雪は強くなった。坂の多い街だ。バスは運行できなくなり誰もが諦…
そこは隠れ家のような店だった。赤坂から乃木坂に抜ける緩い上り坂から少し奥まった場所だった。 木の扉の上部にだけ細長いガラス窓が在った。この中を覗くのは勇気が必要だった。扉を開けるとマスターが店の準備をしていた。彼に会うのはもう四十年ぶりに近…
今の世の中、買い物に現金を使う人の割合はどの程度だろう。少なくとも駅で切符を買う人は新幹線などを除くとほぼゼロだろう。非接触IC技術が開発されてからはICカード一枚で事足りる世の中になった。バスも然りだろう。 いつもの駅とは違う私鉄に乗ろうとし…
夜道を自転車で走っていた。仕事帰りだった。この時間は住宅地のバス停で降りた客が散っていくと路地を歩く人など誰もいなくなる。風の吹く夜だった。いや、木々は揺れるのだが風はもっと高い空に吹いていたようだ。その余韻が舞い降りて下界の木立を騒がせ…
甘い香りがして昼寝から覚めた。それは懐かしくもあり何故みか酸っぱさもこみ上げる匂いだった。 甘酸っぱいといえば初恋だろうが記憶の中でのそれは石鹸の匂いだった。中学一年か二年年だったろう。素敵な女子がいた。何度か交換日記を交わしたかもしれなか…
会社を早期退職して三年半だった。本来の定年の年をようやく迎えた。二年前からパートをしている。多少は頭を使うとはいえそれはある程度決まった業務だった。ジーンズにフリース、ナイロンのジャケット。汚れても良い格好で仕事をするのだった。 生活のリズ…
そこは谷戸の地形を利用していた大きな公園だった。谷戸なので沢筋が丘陵地迄深く浸食している。そこには当然水の流れがある。そこに三つの池を作った県立公園だった。幼稚園の頃よくそこで遊んだ。当時住んでいた社宅から徒歩十五分だった。家族でピクニッ…
月めくりのカレンダーはあと二枚だというのに不思議な天気が続いている。冬至迄はあとひと月か。確かに日は日増しに短くなる。しかし肝心の空気には気迫が足りなかった。時折肌を刺すが昼間などはTシャツ一枚でも過ごせる。なんだか誰かに騙されたような気も…
子供のころから天気図が好きだった。日本地図の上に何本もの線が引かれている。密なところもあれば疎の箇所もある。この線は何か?特に気に入ったのは前線の表記だった。たいていは東西に延びた線に白い半丸と黒の三角が旗のように互い違いに配置されている…
木漏れ日なのに陽の光に力がなかった。しかしそれでも空が明るいのは何故だろう。ぼんやりと見上げて気がついた。 いくつかの広葉樹の葉が少し色づいているのだった。弱くなった光でも明るく色づいた葉の力を借りて辺りを明るくしているのだった。 もうそん…
近所のスーパーに出かけた。見たことのある高齢の女性が手押しカートに頼ってゆっくりと歩いていた。隣には彼女の息子さんと思しき男性が付き添っていた。 少し昔の記憶を紐解いて思い出した。僕は彼女を週に数度車に乗せていたのだった。彼女は自分が勤務し…
久しぶりに立寄った新幹線の駅だった。西の街へ向かうためだった。待合室に入ると淹れたてのコーヒーの匂いに包まれた。懐かしい時を思い出し思わず、顔を探した。 朝一杯のコーヒーは体を目覚めさせてくれるだろう。イタリアンローストのカプチーノよりも薄…
中国地方のある街から新幹線に乗った。夏の西日が遠慮なくホームに差し込んで目がくらみそうだった。ホームに滑り込んだ車両の中は冷房が効いておりようやく一息ついた。少し遅れて大きな荷物を持った青年が乗ってきた。西洋人だった。彼は偶然にも自分の隣…
フランスという国は今でも多くの人にとり魅力的なのだろうか。藤田嗣治や高田賢三など同地で名声を得た日本人も多い。パリコレのランウェイを歩くことはモデルにとり最高の名誉だろうしコンセルヴァトワールは音楽を志すものにとり憧れだ。料理の世界でもシ…
自転車を降りて手で押しながら歩いている。足元の錆びついたレールが目に留まる。 細いレールだ。間違えなくそれは一日数本しか走らない支線のレールだったろうし、それが使われなくなり半世紀は近いのではないだろうか。 枕木は割れ、レールは赤く錆びてい…
夢と言っても叶える夢ではなく睡眠中に見る夢のお話。 奥さんが今朝がた見た夢だという。ふだんも家内は睡眠中に夢を見て時々それにつられてか寝言を発する。かなり緊迫した寝言もあげるので、どんな夢を見ていたのか?と都度聞くと大概その内容は全く覚えて…
とある高原の駅。 そこは数年前に改築されて真新しい二階建の駅舎となった。昔のほうが趣があったという声が多い。僕もその一人だった。澄んだ空気の下、駅舎の向こうに3000mに近い雄峰群を眺めるその駅には、一時間に一本程度の気動車も発着する。のんびり…
さようなら、気をつけて、また会おうね、。 手を振る時って色々な状況や気持ちがあるのだと思う。 友人から少し嬉しいお話を聞いた。 郷里に里帰りしていた友人。彼女が東京に戻る日に駅のホームに行くと、自分の乗る一つ前の列車のドアが丁度閉じたという。…
この10年だろうか、街でよく見かけるようになったのはインド・ネパール料理店かと思う。今ではそれを簡易化して「インネパ料理」。それでも一般的に通じるようで、その人気ぶりがうかがえる。 インネパ料理店、お洒落な街にこれまたセンスよく溶け込んでいる…
学生時代の友人と長い空白を経て再会をした。学校が渋谷にあるのでそのエリアを再会の地とした。 友には自分の結婚式の2次会の幹事をして頂いた。30年前の話だ。それからは数度会ったのみ。それぞれに家庭があり、お互い長いようで短かったそれぞれの年月を…
バス通りから自宅へ戻る道すがら、とある民家の玄関脇です。 「ハヤトウリです。ご自由にどうぞ!」 という手書きの看板とカゴに入った緑色のウリがたくさんありました。かごの横には持ち帰り用のビニール袋も置いてあります。また看板には、「豚肉と煮ると…
病院にいた菩薩様 それは二の腕から心臓まで届くカテーテル(PICC)を挿入するときだった。翌日から本格的に始まる抗がん剤による化学治療のためにはこれが必要だった。都度都度の針の挿入では済まない、長期戦の治療だから、患者の負担の少ない個所から入れ…
転院して私が入院した部屋は四人部屋だった。 ヒロ君と呼ばれていた彼は、40歳も後半だろうか。彼のベッドの前を通り過ぎた所が自分のベッドだった。彼が自分の病室で初めて会った同室の方だったのだ。 ヒロ君のベッドサイトの机の上にずらりと並ぶビニール…