日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

オープンマイク

オープンマイクと言う言葉を知ったのはバンド仲間からだった。ネットにはこう書かれている。「店のマイクを飛び入りの客に開放する」と。カフェやライブハウスで行われるのだろう、ステージ飛び入りで歌う。バンドメイトの女性は自分たちがやっている音楽とは別に80年代からの良質なJ-POPがお好きなようだった。今ではシティポップと呼ばれて海外にも人気のジャンルだろう。彼女の家に遊びに行くととても嬉しそうに聴いていた。音楽とはかくも人を幸せにするのか、と思うのだった。

飛び込みは度胸がいるな、と思う。伴奏者がいるのかいないのかも分からない。彼女はキーボード奏者でもあるのでピアノの弾き語りなのだろうと思う。見に行ったことが無いので想像の域を出ない。

中学生の頃の友人が近くカフェで歌うという。なかなかいいね、楽しんでね、とメッセージを送ったら喉の具合がずっと悪くて歌えるか心配だと返ってきた。彼女は音大の出身で専攻は声楽だった。還暦祝いの同窓会で再会したのだった。そうか、音楽の道に進んだのか、とその時思った。

それは新しい街での話だった。小学校卒業とともに自分は父の転勤で本州の西の瀬戸内海に面した街へ引っ越した。小柄で色白な女子だったと記憶する。指は何故かぷくぷくしていた。大きな目がしばし瞬いていた。そんな風景を今思い出すと淡い気持が湧いてくる。それは暖かくもすっぱくもある。小学生の頃は女子は遊び友達だった。が中学生になると女子に対しての視線が変わった。なぜかもうどうしようもなくどきどきするのだった。そして下腹部もうずいた。

西の街で知った彼女と特段何があったわけでもない。いや、その頃の自分としては大ごとだった。好意をつたえあい交換日記の一つでもしたのだろう。帰宅しても頭から離れなかった。ノート持って帰る日は何故か学生カバンを抱きかかえていた。それがなぜ終わったのかも分からない。余りにも自分は幼かったしそれで良かったと思う。

鈴の様な声だったと記憶する。女性にも変声期があると言うが、当時のままなら美声だろうしソプラノがメゾソプラノに、アルトになっても素敵だろう。彼女のオープンマイクは上手く行ったのだろうか?遠く離れた地でそれぞれの時間を過ごしている。音楽が好きでそれを学び、今も演じているとは素晴らしい話だと思う。なによりも同じ校舎で時を過ごした大切な友人だったな、と今改めて思う。

彼女の生の歌を聴く事はあるのだろうか?聞いてみたいしそうしないほうが良いとも思う。水面に水彩絵の具を垂らしたなら、たちどころにそれは広がっていく。なるようにしかならないな、と思う。次も愉しんでね、と遠い地から思うだけだった。

春の様な歌声だったのだろうな、と想像する。春に味があるのなら、甘くて酸っぱいのだろう。

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