日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

禁断

禁断と言う言葉がある。ある行為を差し止める事、法度。そう広辞苑には書いてある。禁断の果実を食べたのはアダムとイヴ。欲しくとも手にしないもの、すべきでないもの、そんな意味で使われるのだろう。禁断の愛は小説や歌劇のテーマになって来ただろう。大抵は悲惨な結末を迎えるのはロミオとジュリエットが教えてくれる。しかし禁断とは何とも甘い香りがする。禁じられた一線を越えるのだから。そんな恋愛があるのなら自分も当事者にもなりたい。まぁ傍観者でいるのが良いように思う。

禁断の愛といえばヨハネスとクララが思い浮かぶ。これはヨハネスの片思い。クララは恩師の奥さんだった。ヨハネスの写真は今も残っている。若い頃は精悍だったが神経質さは隠せない。晩年は髭もじゃ顔で気難しそうな顔をしている。余り友人になりたくない。さてクララ。愁いを帯びた目元と細面。写真で見る限りはとても痩せている。しかし彼女は夫との間に八人の子供を産んだ。産後の肥立ちでも悪かったのだろうか、と心配になる。そんな同情をよせるほどに、確かに魅力的だった。

ヨハネス・ブラームスは年上の女性に恋をする。クララ・シューマンは夫ロベルト・シューマンとの生活の中で、きっとブラームスの恋慕には気づいていたのだと思う。十四歳年上、そして恩師の妻。ロマン派の代表的作曲家シューマンは早くからブラームスの才能に気づき若く新しき俊英として音楽界に紹介の評論を書いたほどだった。しかしシューマンは妻へのブラームスの想いを察する。やがて彼は精神を病みライン川に投身自殺を図る。辛うじて助かり数年後、近隣の療養所で息を引き取る。「僕は知っている」というロベルトの最後の言葉は有名だ。何をかについては幾つもの推測があるのみだ。未亡人になった時点でクララへの想いは禁断ではなくなるはずだったが結局二人は一方的なプラトニックで終わる。ヨハネス・ブラームスは生涯独身を通した。彼の音楽にある憂愁さや煮え切らない感覚はまさに生きざまに似ていると、改めて思う。そこが魅力だ。

このクララとヨハネスの禁断の愛について、そしてロベルトとヨハネスの師弟関係について。このあたりは好きな方が多いようで色々ネットで考察に触れる事が出来る。自分は作曲家としての二人に共通する繊細さとロマンティックさに強く惹かれている。自宅から30分程度の場所にあったロベルトとクララの家には時折出かけた。ここがそんなドラマの場所だったのか、と感慨があった。石造りの家には現代人が棲み時の流れがあった。

都内の公会堂だった。ピアニスト・小山実稚恵さんのリサイタルだった。クラシックの演奏会としては珍しい事に冒頭に彼女は曲目についてのお話をしてくれた。ブラームスの間奏曲作品117、そしてシューマンの幻想曲だった。ブラームスの二曲は晩年に書かれたもので、クララへの想いも未だ残して枯淡の趣で一音に人生を込めた作品、そしてシューマンではまさに妻・クララへの想いが熱く燃える、心がかき乱される様が描かれている。そんな解説をマイクを握り話された。改めて思う。クララ・ヴィークという女性が居なかったら彼らの作品は果たして世にあったのだろうか?そしてそれが150年経った今でも皆に愛され聞かれていただろうか。

禁断だったからこそ燃え、それを知ったからこそ悩む。一人の女性を軸として、そこに絡む二つの糸のように思える。そしてどちらもが素晴らしい音楽を沢山世の中に出した。すると思う。禁断の何処がわるいのだろうか?と。

小山氏の演奏は素晴らしかった。片思いの火を消さず生涯独身を通した男の、妻を愛し続けて精神を病んだ男の、どちらのピアノ作品もとてつもなく心に迫るのだった。

ドイツ・デュッセルドルフはビルカー通りのシューマンの家。ロベルトが裏手のライン川に投身するまで二人はここに住み、ブラームスも訪れたのだろう。鼓動が収まらない場所だ。

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