日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧

筆は揃えど

クレジットカードのポイントをマメに貯めていたのには訳があった。ちょっとした「大物」を買おうとしていた。二年間以上時間をかけ値動きを見ていた。しかしこれは株でも投資信託でもないので値の上下に一喜一憂しても仕方が無かった。「納得のできる上玉」…

慰霊

◇ 彼の一番のファイトは何でしょう?● ベストバウトはビル・ロビンソンだと思いますよ。1975年です。◇ ああ、人間風車、ダブルアームスープレックスですね。なぜベストなんですか?● 60分三本勝負、それぞれ一本取って三本目はタイムアップ。フルタイム。技…

旅をしませんか

ひどく厄介な気持ちだった。二つの想いが自分を満たす。見知らぬ地の風景に触れその空気を吸いたい。しかし一方では家の中でゆっくりと妻と時を過ごしたい。相反する思いは満ち潮と引き潮のような関係だった。波間に木の葉のボートでも浮かばせてみよう。奥…

神父様とのお話・野の花

Please accept my deepest sympathy for the passing of your family. 余り美しい表現ではないかもしれない。仕事で付き合いのあった外国人のご家族が逝去されたとき、こんなメールを送った。文章は決して自分が考えて作ったものではなく、仕事を通じて自然…

お疲れ様測定器

全くありがたくない測定機だった。余計なお世話とはこのことだと思った。ドラッグストアの片隅に置いてあるのだった。 脳腫瘍で倒れたとき救急車の中で隊員からこんな質問があったらしい。同乗した家族の話だった。今日は何月何日ですか?何曜日ですかと。ど…

狂騒曲

それは自分の中では狂騒曲だった。ここ数日間頭が一杯になっていた。何本も電話をかけまくった。 仲良しグループでも何でも良いが小さな集団を長く維持することは容易でないことを知っている。夫婦がそれだろう。山あり谷あり。しかし夫婦は互いに人生の伴侶…

図書の旅32 泪壷 渡辺淳一

・涙壷 渡辺淳一 講談社 2001年 これが「あたるといいな」、そう思って手にした。やや急いでいたため冒頭数ページをパラパラめくって貸本カウンターへ向かった。 渡辺淳一を夢中で読んだ時期は高校か大学の頃だろう。それは彼のキャリアの中では初期の作品だ…

高台から

ステージからの風景を味わったのは数年振りだった。わずか50センチほどの高さの演台だが店の奥まで見渡せる。思っていたよりも大きな小屋だな。80人は入るな。サウンドチェックの段階では同じステージに上がる他のバンドなどの関係者しかいない。今夜はここ…

公演中止

自分はまだ十歳で当時は姉の聴くアイドル歌謡曲を聞いていた1973年。熱狂的に初来日を心待ちにしていたファンは失意のどん底だったろう。ライブは公演中止となった。メンバーが過去の麻薬歴を問われ入国禁止となった。それはストーンズ(ザ・ローリング・ス…

山道具の歌・ヘッデンの独り言

僕はヘッデン。つい最近ショップの棚にぶら下がっていたら、ああこれだ、あったあった。と小太りのオジサンが手に取って喜んでいたよ。ヘッデンと言ってわかるかな?本当はヘッドランプと言うらしい。それでも山屋さんつまり登山者やハイカーの間では簡単に…

数え歌

♪ひとつとせぇひぃろいグランド駆け回る足の大下 先取点そいつぁ豪気だね、そいつぁ豪気だね♪ 今年は広島カープがクライマックス・シリーズに出場して阪神タイガースと戦っている。日本シリーズを目指している。 子供の頃の自分の写真を見るとジャイアンツの…

決めるか決めぬか

電話が掛かってきた。見覚えのない番号だった。 「こちらは◯✕出版社です。先日は弊社主催のコンテストに応募いただきありがとうございました。さて結果ですが…」 下手の横好きでをいくつもの文芸賞に書いたものを送っている。最初は投稿してもなしのつぶてだ…

サグラダ・ファミリア

二年前から始めたブログ。当初は散発的に投稿していたが今は出来るだけ毎日書くようにしている。楽しいからだ。1600字前後を目途にしているが完成までは興が乗れば一時間程度、苦吟すれば数時間。場合によっては数晩寝かせる。ワインの様に熟成するわけでは…

筑波山を見て走る・茨城サイクリング

サイクリングをしたルートを頭の中の地図で広げて見る。とぎれとぎれだと間を結びたくなる。またある点から全く違う点まで伸ばしてみたくなる。自分のサイクリングルートの決定はそんな過程を経る。JR宇都宮線古河駅から常磐線の土浦駅、いやその先の霞ケ浦…

勘違い

「ドライブレコーダーなど自分でフロントガラスに貼り付けて内張りの中に配線を通してシガーソケットから直流12ボルトを取れば良い。工事費もかからないしな。」そう考えた。実際その前に乗っていた車も自分で取り付けた。しかし今回実際に使ってみると時折…

図書の旅31 荒地の家族 佐藤厚志

● 荒れ地の家族 佐藤厚志 新潮社2023年 会議が終わったころだった。ドスンと地面が揺れてしばらく続いた。周りから「おお!」と声がした。昭和30年代製の旧い鉄筋建築の中に居た自分は怖くて外に出てしまった。防災訓練がいきわたっている社員はみな大人しく…

山道具の歌・アルコールストーブ

アウドドアショップはいつも楽しい。最新の山道具が置いてある。登山を始めた30年以上前に比べて何もかも値上げしている。当時は当たり前だった登山道具店のオリジナルザックや靴などはなくなり、今はどの店も無個性化している。壊れでもしない限り登山道具…

心を映す鏡

嫌なことが続くと部屋の中にこもりがちになる。外に出るのが億劫だ。すると心は更に内向きになる。負の無限ループはこうして生まれる。断ち切るには無理やりにでも外に出て体を動かすのだ。すると思い悩んでいたことも何処へ消えていくことがある。しかし直…

スパイスの難しさ

専門店で食べたことは一度きりだった。それで自分で何とか似たものを作ろうというのも無理な話だった。それらしかったが違っていた。本物を食べたくなり店を探した。隣町のショッピングビルのフード・コートの一角に店を見つけた。 スープは辛さが三段階。載…

世田谷区松原・北杜夫と宮脇俊三

一年だけ東京都民だった。それは二十三区ではなく世田谷区の西隣、狛江市だった。大学に通うためだった。小田急線を使い下北沢で井の頭線に乗り渋谷に出るか、代々木上原で千代田線に乗りかえて表参道に出るかだった。小田急線は世田谷区を東西に切るように…

ショルダーバッグ

「縫えたよ、これでいいでしょ。」 そう言いながら妻はとても嬉しそうだった。実際このショルダーバッグをこれまで一番使っていたのは彼女だった。グレーのコットン生地のそれはバッグというよりサコッシュ、いや、頭陀袋だった。深さはあまりなく前後の幅は…

素晴らしき朝

数日振りに心地よい朝を迎えた。パッと目が覚めた。まだウォーキングをしていないのは明け方の雨の余韻が残っているからだった。ここ数日夜は窓を閉めていた。開けると思いのほか空気が張り詰めているからだった。 毎日少しづつ秋が深くなってくる。そのうち…

笑顔でコンニチハ

若い頃は誰もが身なりに気を使う。特に女性はそうだろう。一年間だけ姉と東京で暮らしたことがある。彼女の社会人一年目で自分は大学三年。学校のキャンパスが厚木から渋谷に変わったときだった。親は転勤していたので二人暮らしにすれば安心だったのだろう…

無窮に向かう道

海のある街に出かけた。そこは三方を山に囲まれた湘南の古都だった。その地形がその街をして都にしたのだろう。午後から思い立って出かけた割には目当ての犬カフェで楽しむことが出来た。生シラスと書かれた看板があるのも、海鮮丼の写真があるのも、サーフ…

図書の旅30 昭和八年渋谷駅 宮脇俊三

●昭和八年渋谷駅 宮脇俊三 PHP研究所1995年 そこは「エーデルワイス」というレストランだった。僕は叔母と二人だった。大田区の叔母の家に泊まりに行った翌日にその街へ行っのだろう。母と違い気さくで明るい叔母を僕はとても好きだった。直ぐそばの児童館で…

赤く揺れる花

この花は自分には毒々しい印象がある。しかし里山を歩き幾つも咲いているのを見ると、季節の移ろいを感じるのだった。空が高くなり風が尖ってくる季節にこの花は咲く。今までの自分には見るだけで縁のない花だった。しかし今年は少し考えさせられた。 父は夏…

秋の蚊

夏にしか会わないメンツで蚊とゴキブリほど嫌われる存在もあるまい。かたや血を吸いあろうことか痒くなる成分を人体に残す。かたや黒光りして見るだけでおぞましいが実際様々なばい菌を持ち込むという。 温暖化と言われる昨今、はて今年は何カ所が蚊に刺され…

髭の男

髭。きちんと手入れをすればそれは男性のみに許される「お洒落」だろう。手入れしなければそれは単なる小汚いおやじになってしまう。男である以上、一度は髭を蓄えたい。そんな思いはないだろうか。 どういうわけだろう、自分の時代での日本の会社員文化では…

アンサンブル

このメンツでスタジオに入るのは三年ぶりだった。コロナで予定していたライブハウスをキャンセルしてから様々なことがあった。外出規制、リモート勤務、社会全体の沈滞。また罹患を防ぐマスクのために素顔を出すこともなくなった人々。誰もが相手の素顔を忘…

山の犬

奥秩父の甲武信岳に知人が登山したという知らせがメーリングリストに届いた。甲州(山梨)、武州(埼玉)、信州(長野)の三州の境に立つからそう名がついた。安易とは言えるかもしれないが「こぶし」とは良い名前だと思う。彼は甲州側から登られたと言うが…