日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

決めるか決めぬか

電話が掛かってきた。見覚えのない番号だった。

「こちらは◯✕出版社です。先日は弊社主催のコンテストに応募いただきありがとうございました。さて結果ですが…」

下手の横好きでをいくつもの文芸賞に書いたものを送っている。最初は投稿してもなしのつぶてだった。前回は出版社から郵便が来た。最終選考で惜しくも落選、次回に期待します、と書かれていた。今度はなんだろう。電話で来た。

音楽を作り演奏する。写真を撮る、本や絵本を書いてみる。それを社会に向けて発信する。今では動画サイトやSNSで自分を表現する事は容易になった。動画サイトがある。小説投稿サイトもある。そこに自己表現をあげておく。何人かの目に触れる。こんなに嬉しいことはない。

しかし何かが足りない。人間とは貪欲なもので手に取れるものが欲しくなる。書いたものならば本にしたい。それを手にとって頂きたい。今やPODと呼ばれるオンデマンド印刷が普及しそれも可能となった。自分で本を作りネットで製本版を流通させることも可能だ。校閲や表紙レイアウトなどのサービスを使うのならば数万円の費用はかかる。しかし道は広がる。

もう一つ欲しくなる。泊付けだった。〇〇賞受賞など。しかしそれは遠い夢だ。電話の内容は、その後に例の枕詞がついた。「残念ながら」だった。しかし、完成度が高いのでこのまま寝かすのも惜しい。是非自費出版しませんか。と言われた。メールも来ていた。「今回は大賞とはなりませんでしたが、読者の心を掴もうとする工夫がされており、続きが気になってしまうようなストーリー展開は、作品の大きな魅力となります。」とあった。一応はしっかり読んでいただいたのか。気分は悪くなかった。少しはプロの目にかなったか。しかしあれは完結した話だった。僅か四千五百字程度の掌編だった。あれだけで出版はできまい。

コンテスト応募作品の中から目についた作品を自費出版に誘う話はよく聞いていた。本の出版数はガタ落ちで出版社も大変なのだろうと想像はつく。果たして日本の出版物市場規模はどうなっているのだろう。ネットのデータがある。出版科学研究所というサイトだった。

・1996年で雑誌1兆6千億円、書籍1兆1千億円、計2兆7千億円
・2021年で雑誌5千億円、書籍7千億円、加えて電子出版5千億円、総計1兆7千億円。

値が庶民には天文学的過ぎるが、エクセルではじくと年間成長率は雑誌△4%、書籍△2%になる。積み重なった25年間で市場規模は雑誌△66%、書籍△38%だ。電子書籍を入れても全体像は減る一方だ。物価の上昇を考えると実際の発行部数はもっと減っているだろう。

明らかに印刷物の居場所が追い立てられていることがわかるが、もちろんその原因はネットだろう。欲しい情報はネットに在る。活字離れは憂慮すべき事態と言えるがそんな中、少しでもライターを探し出しいかなる形態でも本を出版したい。生き残りをかける出版社としては当然だろう。

自費出版の費用は馬鹿にならない。調べて見ると数百万円とすぐにネットで見つかる。電話の相手に話を聞くと否定しなかった。「余裕もないのでお断りします」と伝えて電話を切った。少し考えた。果たしてよかったのだろうかと。個人で書いたものを出版社を拝み倒して自費出版するのではない。箔付けには至らなかったが一応は出版社の編集者の目に留まり、向こうも誘ってきたのだ。多少は評価されたのだな、と思う。しかしこれが厄介な気持ちだった。自尊心をうまくくすぐり出版社にとってはリスクゼロで出版するわけだ。一体どの程度のプロモーションをかけてくれるのだろう。全く分からなかった。ネットによるPOD印刷が可能となった今では強いプロモーションでも無い限り自費出版のメリットは浮かばないのだった。

うまい話には裏がある。警戒がある。しかし、自尊心が邪魔をする。もう少し話を聞いてみようかと思うようになった。詐欺ではないのだ。そこまでのお金を払って何を得るのか?残り少ない時間だ。お金も時間も好きに使うのもありだろう。決める決めないは我が手に在る。いや、それよりも締め切りの迫っている次のコンテスト向けの原稿を早くまとめよう。そう考えていったん忘れる事とした。明日目覚めるとどうなるかは分からない。

書いたものはやはり原稿用紙に出力し朱筆を加えていくことになる。こうして書いたものには愛着がある。

日本の出版物市場規模をネットで調べてみた。25年間で雑誌は66%減、書籍も38%減、電子出版は2014年から出現するがそれを入れても37%減。ネットは便利だがじっくり読むわけもない。活字を楽しむ人々は何処に行ったのだろうと危惧を覚えた。

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