日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

私の子供達

「きちんと読んで頂きありがとうございました。コメントが沁みました。この作品はある実在の川を軸に過ぎた時間を積み重ねるような思いで書いたのです。」

そう言いながら途中で感極まって泣いてしまった。自分の書いたものを初対面の方々にしっかり読んでいただき、生の声として感想を頂くという経験は初めてだった。自分が執筆しとある文芸賞に応募し最終的に落選した原稿は「桜咲く川」という題の3200字程度の掌編だった。少しでも、ごく僅か、一ミリでも、自分の文章が人の心を動かしたという事にいいようもない嬉しさと経験したことのない感動が湧いたのだった。

読んでいただいた十名がそれぞれの率直な感想を率直に述べられた。

- 子育てを離れた親の気持ちがわかる。自らの体験に重ねて読め心を動かされた。
- 葉桜で色づく川の風景が浮かぶ。どぶ色の川がピンクになる風景。そこに日常の細やかな心の動きを感じた。
- 桜の季節にこの作者さんはいつもこの風景を思い出すのだろう。他の家族にもこんな思い出があるのだろうと思わせる。

こんなコメントも頂いた。

- 桜咲く川といいながら肝心の桜がなかなか文章中に出てこない、この作者さんはなぜ河ではなく川という単語を使ったのだろう。が最後まで読んで、桜に込めた作者の想いが分かった。
- 普段小説を読まないから読みどころが分からない。
- 生活の苦しさ、罹患した病などが心に残る暗い文章。病についての記載が浅い。文中の看護師さんについては描写のみで会話を描いていない。
- 全体的に文章が重く陰鬱。難しい表現も使われている。かつての日本の文学は暗くて重たいものを良しとする傾向があった。その類の文章に思えた。

それはとある出版社が主催する【執筆と出版の説明会】というセミナーの席上だった。ネットで見た告知に応募して参加した。その出版社は応募した文芸賞を主宰していた。そこでのテキストとして自分の書いた作品が使われたのだった。セミナー開始前の会場で担当者さんが見え、自分の応募作品を今日の参加者さんに読んでいただき感想を貰いたいが良いか?編集者の視点を伝えたいので。そう言われて快諾したものだった。皆さんのコメントの後に作者が自分であるという種明かしをされた。そして自分の意見を述べた時の話だった。流れる涙にハンカチを忘れたことを後悔したのだった。

また出版社の方はこうも言われた。この作品はとても社内では評価が高かった。何故か。そして何故選を逃したか?出版社の目での三つのポイントです、と。

- ポイント1:文章が上手い事。この作品は一文が簡潔である。意味が相手に伝わる。
- ポイント2:表現力がある事。この作品には具体的な地名など出てこないがそれを読んだ読者にそれを実際の風景として想像させる事が出来る。
- ポイント3:作品とタイトルの一体感。タイトルに桜と川が出てくるが文章を読んでも印象に残らなかった。そこが選を外した点の一つ。違うタイトルでもよかったかもしれない。

こうも言われた。この作品の応募は新聞社とコラボレーションした賞だった。賞として新聞社が望む方向もある。それに相応しいか。また、選者の好みもある。もっとわかりやすく書けばと思うかもしれないが、それは読者の好み。文学の香りがあり骨のある原稿だが、とっつきやすくはなく構えて偉そうな文章ともいえる。結局作品には正解があるわけではない。落選したから駄目、選ばれたから良いわけでもない。創作意欲を持ってこれからも皆さんに臨んで欲しい。

自分には充分すぎるありがたい言葉だった。

駄作であれこれまで書いてきた幾つかの作品を世に残したいという思いがくすぶっている。自分が書いたものは我が子同然だ。ならばしっかりと育てたい。ブログやWEBでも表現は可能だが、やはり手に取れる実体が欲しい。しかしずっとそれは自己満足にすぎないと思っていた。が、こうして拙い文を初めて会う皆様に読んでいただき、それが人様の心を数ミリでも動かすことが出来たとしたならまさに自分が得たいものはそれだった、と改めて気づいたのだ。自己表現欲に付け加えるべき何かに気づいたように思えた。

自分で原稿を纏め表紙を作り電子書籍にすることも可能な時代となった。電子書籍ばかりではない。オンデマンド印刷技術が進みPOD(プリント・オン・デマンド)という方法でネットでの注文に応じて実際の製本をしネットで販売することもできる。しかし誤字脱字や表現の脆さなどはすべてが作者に委ねられる。一方出版社を通じて本を出すのなら編集者がつき推敲され、出版社の持つ販路を使う。その費用が軽くファミリーカーの新車の値段はする。経済的には簡単ではない。

自分がどんな形を求めているのかは全く答えが湧いてこない。出版社からは他の作品を読ませて欲しいという連絡もいただいている。選を外れた子供、書きかけの子供、構想だけの子供。さてどうカタチにするのだろう。嬉しいのにひどくストレスになっている。ゆっくりと日々の事をブログに書いている。それを続ければ何か答えがあるのだろうか。自分の頭がいつまでまともに動くのかと思うならばそれはまことに悩ましい話だった・・。

原稿用紙に落としては手直しし、没にする。結局何もまとまらない。何を目指せばよいのだろう。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村