日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

好奇心と探究心

玄関に停まっている車を見て色々な方が反応する。宅配便のドライバー氏。訪問診療の医師、様々だ。だれもが「いいですね」と言い、続いて「納期はどうでしたか?」と聞いてくる。車など多くの人にとっては移動手動に過ぎないがそこに様々な方向性を持つ趣味が加わると「好きな人にはたまらない」という車が出てくる。スポーティなクーペや豪華なミニバン、クラシックな車など嗜好は様々だ。

車の免許を持つ前から興味はブレずに変わらない。ウィリスジープ、初代ビッグホーン、ランクル40、ランクル70、ダイハツラガー、そして古いレンジローバー…。こう憧れた車を書き続けると自分の好きな車種が浮かび上がる。箱。頑丈。無骨。質素。泥。巨大タイヤ。そんなキーワードがそれらを結び付ける。その紐は当然にある車種につながる。

スズキ・ジムニーが納車され一年半経過した。一年の納期は長かったが乗ってきた一年半は早い。この「走る箱」は三台目になるが、一台目JA71型と二台目JB23型の間には違う車に乗った。子供たちの成長につれてジムニーは手狭となった。トヨタの5ドアSUVに乗り換えたがファミリーカーのようで胸のときめきはわかなかった。海外転勤でそれを手放した。海外勤務ではやはり憧れていたBMWにもメルセデスにも乗ることが出来た。ドイツ車の造りと安定感には感心したが胸は踊らなかった。帰国後に中古のJB23型を手に入れた。興奮で胸が張り裂けそうだった。子供達と四人で車を乗ることももうあまりないだろうと考えて再び3ドアのジムニーに回帰したのだった。年間通じて彼とは散々多くの場所へ出かけたがそれを手放したのは病気だった。危険予知機能が付いた車が必要に思えた。

三台目のJB64型は色々な意味でJB23型から進化していた。危険予知機能や燃費の改善などはありがたい。蛇行するとアラームがなる。流石に衝突防止機能を試したことは無い。高速での遠乗りでリッター16キロ、街乗り12キロ程度なのだから燃費は二割程度は改善した。オートクルーズは高速道路走行には大助かりだった。一方消灯したいときに消灯しないオートライトは厄介だったが法規上仕方ないのだろう。アイドリングストップは不要だが燃費改善に一役かってるのだろう。

しかしユーザーインターフェースが変わっていた。四駆切替ボタンは電子式だったJB23型から再びJA71型同様のメカ式ノブに変わった。未だに馴染めないのはパワーウィンドウのボタンとシフトレバーのポジションマークだった。パワーウィンドウスイッチは扉の窓の下についているものだが何故かコンソール中央に移動していた。シフトレバーがついているパネルには通常透過式の灯りが点灯しレバーポジションがすぐにわかるようになっているのだが、これはただのシルク印刷だった。夜間などシフトレバーに視線を落としてもどのレンジに入っているかが分からない。コンパネを見てようやくわかる。・・不便に思うのなら改造するが良い。しかし日曜大工とは違う。馴れるしかないかと思っていた。

友人のジムニーが先日納車された。一年半に近い納期だったという。車を拝見しに行くとなんとシフトレバーパネルが光っていた。すわっ、新型か!と思ったら既存のパネルの上に載せるLED内蔵のパネルだった。かっちりと嵌るようなデザインだった。シガープラグからUSBで給電するようだった。

友人は好奇心が強い。加えレーダーの探知能力が強い。不便だと思う事には対応策があるという事だった。自分もすぐにそれを入手した。所定の性能に満足を得た。夜間に光るシフトレバーパネルは四角い車でのナイトドライブへの憧れを産む。友人のレーダーを動かしていたのは探求心だと思った。

自分は不便さに等慣れるしかないかと思っていたのだった。しかし色々考えて探せば対応策があるのだった。好奇心と探求心の必要性を感じる。不便ならば対応を考えればよい。それがネットの買い物で済むなら大助かり。自分で何かを加工してい造るのならそれは新たな好奇心を呼ぶ。工作方法、道具の入手、扱いかた・・。へと思考は進んでいく。

会社をリタイヤして暇になってしまう。人によっては生き甲斐を失うかもしれない。それは避けたい。それを防ぐのはわずかでもよい。何だろう?どうしたら良いだろう?そんな気持ちを持ち続ける事ではないか。

なんと、シフトレバーパネルが光っている!不便さは直せばよいのだ。その手段は必ず見つかると知った。

僅か数千円の商品を教えてくれた友人に感謝。彼の好奇心と探求心は見習いたい。

この車はやはり都会ではなくやはりこんな林が似合うのではないだろうか。自分の理想とするライフスタイルを追い求めるとこうなるのだろう。

飽きもせずに箱車ばかり三台乗ってきた。一代目のJA71(左下)は550㏄だった。インタークーラターボが付いても非力で中央道談合坂の登り坂をベタ踏みでも速度が落ちた。二代目JB23(右下)は優等生だった。そして三台目JB64(上)はさらに優秀だったが使い勝手に首をひねる箇所もある。そこは手直ししていく。二代目からは鬼門だった談合坂の登りを苦にしなかった。手放した二台は今でも何処かで活躍しているだろう。

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