待てば海路の日和あり。そんな気分で過ごした一年もようやく340日辺りを迎えた。
ディーラからの一報で矢も楯もたまらずにかけつけると、待ちわびた君は2階の車庫で待っていた。今朝に静岡の工場からトレーラーに載せられ着いたという。
車を買うのも、ましてや新車を買うのも多分これが最後だろう。このクルマ、15年、いや20年は走るだろう。このモデルは前の型では20年間マイナーチェンジのみで製造され続けたロングラン車種なのだ。今度もそうだろう。自分が車に乗れなくなる時期が来ても、彼は未だ現役。補修も出来るだろう。だから自分がハンドルを離すまでは長い付き合いになると思っている。
これが四代目。そして自分にとっては三台目。
・初代は360㏄で1970年から1981年まで11年間の製造。外観上はまさにウィリスジープ-三菱ジープとつながるコンセプトを360㏄エンジンの軽自動車に落とし込んだ感が強く後にハードトップになる。
・二代目は1981年から1998年の17年間製造。基本的外観は17年間変わることなくエンジンは550㏄から新規格の660㏄に。また2ストから4ストへ。NAからターボ、そしてインタークーラー付きターボへと進化していった。自分が社会人になり初めて買った車はこの2代目のJA71型(ターボ付き)だった。まだ時速80キロを超えると警報ブザーが鳴る時代の車。ステアリングも重く固いサスペンションはバンピーでよく跳ねた。そもそも4ナンバーだった。家族が増え、7年乗って泣く泣く手放してトヨタの2リットルRVに乗り換えた。こちらは全くの優等生で記憶に残りようもない車だった。
・三代目JB23型は1998年から2018年までの20年間製造。自分は帰国後の2011年にJB23-7型を7000キロ走行の中古で購入。病に罹患するまでの10年弱、約8万キロ乗り続けた。これは最高の旅の相棒だった。660㏄インタークーラターボも熟成され、中央道下り談合坂の長い上り坂で時速100キロからさらなる加速も難なくこなした。軽オートマの力には驚いた。日帰り高速600キロもお手軽に。なによりも、登山のための悪路、スキーのための雪道も自慢の四駆と余裕のあるクリアランス、高いディパーチャーアングルで怖いものなしだった。病を経て、衝突安全防止機能が必要に思え、泣く泣く手放した。
さて四代目JB64-3型はどんな仕上がりなのだろう。電子の目で衝突安全防止、ネックだった燃費も多少は良くなったという。オートクルーズにアイドリングストップ。らしからぬ装備も付いている。
今日はそんな「待ちわびた君」とは初対面の挨拶だけだ。これからは骨の髄までのお付き合い。素敵な伴侶となり、自分の人生を楽しむ一助になることはよくわかっている。
乗る前から、前代JB23から良くなった点も、使いづらくなった点もわかっている。JB23型の完成度は恐ろしく高かったので色々と比較してしまいそうだ。良い点も悪い点も、すぐに慣れるだろう。
なによりもワクワクする。とてつもなくドキドキする。このクルマさえあれば、白髪の混じった禿頭は突然フサフサの黒々になり、姿勢も伸びて活気にあふれる。いつでも少年。過去に所有したJA71型、JB23型。そしてこのJB64型。登山で山懐まで険しい林道に入り込み、バックカントリースキーでも雪道を踏み、サイクリングのトランスポータとしてランドナー2台は軽々運び、車内ではお手製の簡易ベッドを組み立てて車中泊も楽々こなす。「待ちわびた君」は先代と変わらずにすべての望みを包み込み、夢を実現してくれる。
願うはただただ自分自身と車の健康。どちらかが先に音を上げるのか。たのしみ未来、と言うわけだ。 納車まではあと数日、なかなか寝られない。ここまで全く長く待たせてくれたな…。自分は決して車好きではないが、このクルマのみを偏愛している。自分の「野遊び」には常にコイツが共に居たのだ。ジムニーはどの世代も全く「罪作りの君」という訳だ。