日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

2024-05-01から1ヶ月間の記事一覧

回らぬ寿司

寿司とは自分にとり父親が時折持ち帰る経木の箱に入ったものだった。電力会社を相手に営業職をやっていた彼は接待や宴席の残り物を良く包んでもらっていたのだろう。しかしそれは握りだったのか巻き物だったのかも覚えていない。余り美味しいとは思えなかっ…

コゴミとホタルイカ

犬を連れての朝の散歩。リビングの南面にみる甲斐駒にかかる雲の流れで今日の天気はいかほどか、と推測するのも楽しい。戸外でると八ケ岳が北に見える。そんな道を辿っていくと、妻は突然しゃがみこんで摘むのだった。花ではない。それは野生のコゴミだった…

鹿往く道

引越しの疲れか、果て無き家の荷物整理か、まだまだ整わぬインフラなのか。体調がいま一つさえない。朝は東側の森の木漏れ日で目が覚める。ウグイスの鳴き声が二重窓を越して響いてくる。体にムチ打ち起床して朝食を取り犬を散歩に連れ出す。帰宅すると精魂…

来客

ピンポンとチャイムが鳴った。以前ならば誰だろうとカメラで覗いたかもしれない。しかしこの辺りには向かいの家と隣の家、その隣しか人家はない。昼過ぎに来たのは郵便配達で以前の住所から転送されてきた書留を持ってきた。転送サービスがようやく機能した…

あの白い峰は?

高原の地に引っ越してきてから毎日碧芙蓉こと甲斐駒ケ岳を眺めている。まだまだ残雪を纏いたいのだろうが峻険な岸壁がそれを許さない。僅かに山頂部とルンゼの様な谷筋にそれを見る。まさに如何にも剛毅にして高邁な鉄の峰だった。そこから東への長い連嶺は…

営業職

営業という単語は分ったようでわからない。広辞苑によると「営利を目的として事業を営む事、またその営み」とまずは書かれている。新入社員研修を終え「海外営業部配属」と聞いた時に困った、外国人は怖い、英語は喋れない、人見知りだ。そんな自分が営業な…

平和な共和国

癌の放射線治療は強力だった。巨大な機械で頭に無慈悲な光線を当てるのだ。抗がん剤攻撃にも耐えていた我が毛髪軍は一気に壊滅した。その戦にはいくつの弾や砲弾が使われたのか、最後に残ったのはまるでそんな弾丸の親玉の様につるつるな我が頭だった。 もっ…

素敵な足慣らし

こんにちは、と声がした。引っ越した高原の家は敷地を示すフェンスも無ければ門扉もない。家に鍵をかける必要もないと思っているが流石にそれはないだろう。ただ車を停めた庭先からは誰もが自由にやってくる。昨年だったか庭に鹿の糞があったのだから人間以…

雲を見る日

転居した家の書斎の窓からは甲斐駒が見える。海量というお坊様がこんな漢詩を読んでいる。最後の行だけを引用しよう。主語は「雲間ニ独リ秀ズ鉄リノ峰」、すなわち甲斐駒ケ岳2966mになる。五月に残雪が残るころに、この僧はこの鉄の峰をこう詩っている。「青…

彼女の作品

娘は女子大の付属高校に進んだ。彼女が何故その学校を選んだのかは分からぬが確かに自分はそこを勧めた。中学から入学すればとも言った。その大学は漫画家・高橋留美子の母校でもある。高校生の頃にクラスメイトから教えてもらった彼女の漫画にすっかり僕は…

五十年前の扉

断捨離をしていた。押し入れの奥からレコード盤が出てきた。約二十枚はあっただろう。今はアナログレコードプレーヤーも処分して再生のしようもない、これらは十年前に中古レコード店に持っていき買い取りできずで戻ってきものだった。70年代までの英国ロッ…

なんでもDIY

新しく住み始めた家の建築には時間がかかった。ハウスメーカーの話ではこの地辺りの大工さんが不足しているという話だった。加えコロナの真っ最中から余韻の期間で、物流の遅延、電子部品の品切れと資材面でも滞った。コロナが五種移行されたころからようや…

あずさ二号

八時ちょうどの「あずさ二号」で歌の主人公は「貴方」と別れ信濃路へ旅立った訳だ。がこれには鉄道ファン的には齟齬がある。新宿から松本に行く下り列車は奇数番号であり、偶数番号は上り列車なのだから。しかし歌に載せた時の字数的には二号でないとピンと…

頑張っているな

80歳を迎えてもステージに立ち動き回る。頑張っているなと思う。凄いと思うが同時に奇跡にも思う。ストーンズ(ザ・ローリング・ストーンズ)について語りだすときりが無くなる。だからあまり書かない。 まぎれもなく世界でも有数の長寿バンドだろう。1962年…

壊れた屋根

雨上がりの翌日は良く晴れていた。玄関のチャイムが鳴った。作業服を着たような若いお兄さんがそこに居た。 「余計なお世話かもしれないですが・・・」そう少しもじもじするのだった。彼は続けた。「ご主人の家の屋根、カサギが外れていますよ」と。数軒隣の…

三枚の絵

何故だろう、この十年以上の間、飾らなかった。生活に彩が無かったのだろうか、余裕が無かったのだろうか。押し入れの奥から絵が出てきた。それはドイツを去る日に買ったものだった。 デュッセルドルフは当時人口五十万人の都市だった。そこに日本人が五千人…

炭酸水

初めて六本木に行ったのは十八歳だった。学生仲間でもお洒落な奴や好奇心のある奴らはディスコに行っていた。しかし自分はそんな場所は怖かった。何より女性に話しかける勇気もなく、振り絞って行っても歯牙にもかからぬだろう。容姿が劣っているという点が…

192グラムの夢

カメラ、自動巻き腕時計、鉄道模型、自転車のパーツ・・。好きなものを上げていくとわかる。自分は精密なメカが好きなのだと。腕は二本しかないのに幾つ腕時計があるのだろう。父の遺品、叔父の香典返し、勤続二十五周年の記念品、欲しくなかったのに我が手…

道しるべ

会社員なりたての頃。昭和のモーレツの痕跡はもう無かったが、やはり自分も会社を中心に動いていた。男女雇用機会均等法の初年度に社会人になったが、世間はまだまだ男社会で今風に言えば「不適切」だらけだった。配属は海外営業部門で出張の機会もあり、か…

埃まみれのブラッキー

ブラッキーと言えばギター好きならははぁと思うだろう。1977年の録音「スローハンド」のジャケット写真にはネックしか写っていない。ギターに愛称をつけるギタリストがいる。ミカウバーにマルコムはキース・リチャーズ。ルシールはBBキング。そして・・。ブ…

夢中な日々

昔から年賀状を出すのはいつも遅れていた。流石に越年は無かったが大晦日に出すこともあった。当時交際していた女性とは結婚を意識していた。彼女宛の年賀状はやはり元旦に到着してほしいものだがそれは晦日や大晦日に吐くセリフでもない。 例によって遅れて…

しばしの御機嫌よう・丹沢

ここら辺りだったかな、テントを張ったのは。鹿の気配が濃厚であまり寝付けない夜だった。いや、それとは別に水場のあるカヤトの峰でテントを張った事もあったな。風の強い夜で朝はグンと冷え込んだ。しかし下界が朝焼けに染まるさま、それは見事だった。 様…