日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

素敵な足慣らし

こんにちは、と声がした。引っ越した高原の家は敷地を示すフェンスも無ければ門扉もない。家に鍵をかける必要もないと思っているが流石にそれはないだろう。ただ車を停めた庭先からは誰もが自由にやってくる。昨年だったか庭に鹿の糞があったのだから人間以外も自由に往来している。

声の主は家の敷地内にいらした。ウッドデッキに出ると友人夫妻だった。彼らは自分達より一回りは年上だが同じように関東平野の都会の街から山を求めてこの地へ引っ越してきたのだった。海抜千メートルに白い素敵な家を建てている。山歩き、庭仕事、陶芸、写真、音楽活動、と夫婦そろって高原の生活を楽しまれている。山が好きな僕は登山やサイクリングの帰りには立ち寄っていた。そしてこの地へ引っ越すことを決めてからは土地探しにアドバイスにとずっとお世話になっていた。

庭から気軽に顔を出すのだから開けっぴろげで距離が無い。「ついに来たね、これ持ってきたよ、開けてみて」と言われたのだった。その箱には「転居祝い」と熨斗がついていた。箱の大きさから僕は友人が取った写真を額に入れたものかと思った。彼はプロ級の写真の腕前だから。しかし違っていた。

箱の中身は玄関マットだった。よく見ればわかるがそれは登山靴のソールのデザインだった。登山靴の靴底デザインはもちろん靴メーカー独自のパターンもあるが、本格的なあるいはトラディショナルな登山靴のソールはイタリアのビブラム社製と相場は決まっている。色々なソールがあれどこれが一番信頼が高いという事だろう。実際それは濡れた岩場でも粘るように岩を嚙み快適なトレイル歩きを実現してくれる。使い慣れて信頼がある。いずれはすり減るが、張り替えればよい。自分は今まで何度ビブラムソールを張り替えたか覚えていない。土踏まずの黄色いビブラムのロゴは安心の証、見ているだけでアウトドア心が満たされる。

そのソール型があしらわれた硬質ゴム製のマット。覚えがあると思えばその友人宅の玄関にも敷いてあった。同じものを手配して下さったのだった。友人はそれを三和土に置いて泥落として使われていたはずだ。自分はそうしようと思ったが頂き物のマットが汚れるのが嫌だった。そこで三和土に置くのではなく玄関床においてみた。泥除けではなく玄関マットにした。丁度持ってきたマットが汚れ気味で疲れていたので、そうしてみた。

我が山の家の玄関にそれはなかなか似合うのだった。そしてビブラムのマットはこう使えば泥汚れにも無縁だった。さっそくそのように使わせて頂く事にした。

さて肝心のビブラムソールは高原の地でまだ使われていない。ビブラム底とウロコ板のスキーがこの地の主な履物になるはずだったのにこれではまずい。幾つもの山の登山口まで車で三十分もかからない。僕は早くビブラムの靴底を岩に噛ませたい。なあに焦らなくとも何時でも行ける。そんな場所を選んだのだから。

当面は友人から頂いたソール型が成形されたゴム板を踏むこととする。これもゆっくりとした素敵な足慣らしだろう。

頂き物のマット。ビブラムソールがあしらわれ、見ているだけでアウトドア心が満たされる。ありがたく頂いた。