日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

山スキーヤーたるもの・東吾妻山

プラ靴のコバを締め具に合わせて押さえの金具をカチリと押すと靴は装着される。あとは流れ止めを巻くだけになる。ゲレンデスキーでもないのでステップインの締め具ではない。これで板は自らが外さない以外はまず外れない。しかし転んでも踵が固定されていないので足が捻じれる事もなく大事に至らない。つま先から母指球までが板に固定され、踵は常時解放されているというテレマークスキーは至って単純な構造だ。

歩くときはスキーの裏に滑り止めを貼る。シールと呼ばれるナイロン生地は巡目には抵抗なく逆目には毛が立つ。これを利用して斜面を登る。昔はアザラシの皮、そしてモヘアを使ったのでスキンとも呼ばれる。シールを貼れば体感では直登は斜度二十度を超えても大丈夫だろう。あとはジグを切る。

さような準備をしてスキーで登山をする。登る以上目指すは山頂となる。スキーを履いているのは伊達や酔狂でもなく、ずぼりと抜ける雪の踏み抜きを防ぎ安全に効率的に山頂に立ち、下山はシールを剥がして滑降して楽しむという明快な思考に基づいているに他ならない。

スキーを履いた以上山頂はスキーのままで立ちたい。しかし状況がそれを許さないこともある。山頂直下、標高差数十メートルが雪の壁でスキーを置いていかざるを得ない事もある。その程度なら許せる。しかし今回は本格的な登りにとりついてすぐにこれは無理だ、とスキーを外した。

藪が濃いのだった。スキー板が役に立つ斜面ではなく却ってそれは厄介者に思われた。下山してきた単独行氏に聞いても脱ぐが賢明ということだった。しかたなく友と二人でプラスキー靴で登り始めた。プラスキー靴と言うがゲレンデスキー靴とは大違いだ。靴裏はビブラムソールになっていて、テレマーク靴ならば足の甲に蛇腹がありそこから屈曲する。余り違和感なく登れる。山スキーの道具とはそんなものだ。

これほどダケカンバの若木が厄介だ、アオモリトドマツが邪魔くさいと思ったことはなかった。頻繁にそれは行く手を遮り手で払いながら登るが時に突破不可能だった。生きた樹の力は強く直径数センチの枝など押せども動かない。踏ん張るとずぶずぶと脚が雪に潜ってくる。汗がしたたり落ちて心臓は早鐘を打つ。喉が渇く。突破しても変わらぬ斜面が続く。これは心も体も消耗する。

幸いなことに密林の中、約一メートルはあるだろう残雪にトレースは残っていた。ハイマツ帯になりようやく山頂だった。これほどまでに苦しんだ標高差二百メートルは無かった。

山頂は風が強く汗ばんだシャツは寒気を呼んだ。しかし眼下の光景がそれをしばし忘れさせた。宝の山、と地元から愛される磐梯山が余りに立派だった。大噴火を起こし山体が吹き飛び噴石で北面に幾つもの湖を産んだのは百数十年前の話という。そんな一体が今や裏磐梯高原として会津の最大の観光名所の一つになっているのだから皮肉でもある。しかし自分が今踏んだこの1975mの山頂ですら、登りはじめには爆裂火口の名残があり火山ガスが噴出している。日本には至る所にマグマの息吹がある。

高校山岳部パーティが引率顧問と共に登ってきた。地元の言葉で語り合う高校生たち、素朴な青春の息吹がそこにはあった。女子学生は疲れてる風もあったが明るい笑い声に背中を押された。

ザックを背負い山を下りた。スキー板の出番はなく高原の沼のほとりを歩いた谷でそれを履いた。広めの喉のような地形だったが東に寄りすぎると雪が抜け沢に落ちるだろう。それを避けながらシュプールを描いた。春のザラメは滑りやすく今年初めてのテレマークターンを雪面に残した。

標高差にして二百メートル程度のスキー滑降だったがそれで充分だった。山スキーヤーたるもの山頂はスキーで踏むものだ、そんな気負った思いは病になった三年前から消えていた。出来るところまで頑張る。しかし目指した山頂はどんな形であれ踏みたい。今回はまさにそんな形となった。

それで良かったと思う。福島県吾妻連峰。春こそバックカントリースキーを楽しめる山。今回は三度目だった。東吾妻山に西吾妻山。東西に横たわる大きな連峰の両横綱を今回ようやく踏んだことになる。たとえその一つがスキーで踏んだのではなくともそれで山の価値が下がるわけもないのだった。

こだわりは大切だが、現状から柔軟に考え新しい解を見出すことで良いではないか、そう思うようになった。車道に戻り板を外してザックを降ろした。背中に何かを感じて服を脱いだら、それはツガの若芽だった。藪漕ぎで引っかけた枝から首筋に落ちたのだろう芽は、若い木の匂いだった。僕は山の香りに包まれていた。

登り始めて数時間、こんな場所にと思われる池があった。十年前は氷結していたが今は澄んだ水が春を待っていた。その奥に見える山が今日の目的のピークだった。

雪の斜面と凍った水面の境は分明ではない。そこをスキーで進んでいく。目指すピークは近づいた。

雪を進み、時に板を脱いでまた履いた。いよいよ最後の登りにに臨むことになった。がオオシラビソの林はますます濃くなり、スキーの出番ではなくなったようだ。板をデポしてここからのツボ足、これほどきつい標高差二百メートルはかつてあっただろうか?。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村