登山・ハイキング・山スキー
・守屋山 長野県伊那市・諏訪市 1651m 登山口の杖突峠が海抜1244メートル、山頂は1651メートルなのだから標高差にして400メートルだった。昔なら何も気にしない標高差なのだが今はどうだろう。ひと月ほど山のブランクが開いてしまった。まぁ恐る恐ると言っ…
・鍋倉山 長野県飯山市・新潟県妙高市 1289m わずか海抜にして1289メートルの山だ。関東甲州人にとりわかりやすく書けばそれは丹沢で言えば鍋割山と、奥多摩で言えば大岳山と、富士山エリアでいえば山中湖北岸の大平山と、道志・笹子エリアならば大月市北の…
・草戸山 東京都町田市・八王子市 364メートル 2025年4月26日 仲間との山登りで久しぶりに八王子に出かけた。もう引退された会社員時代の上司と、自分達と同じ会社の女性社員との、計四名。上司とは言えいまや上下もない。もちろん人生の先輩として敬意を払…
・根子岳 2128m 長野県上田市・須坂市 山スキーとはスキーの裏にシールと呼ばれる滑り止めシートを貼り踵の上がるスキー締め具を用いてスキーを履いたまま山頂まで登り、そこでシールを剥がして滑降するという、登山の一形態だ。いろいろと近年物騒な話題を…
自宅の玄関の扉を開けるとそこは雪一面。クロスカントリーの板を履いてふかふかの雪を踏み出そう。ウロコ板は軽快に動き自分は自宅から真っすぐブナの森に向かう。そこには狐の足跡がありうやがてシラカバからカラマツの森になる。雪が再び振りだして手を伸…
・入笠山 1955m 長野県富士見町、伊那市 我が家の目の前には南アルプス北端の尾根が東西に伸びている。真正面には「鉄驪ノ峰・碧芙蓉」と漢詩にも詠まれた海抜2966メートルのくろがねが屹立している。甲斐駒ケ岳だ。その左手は鳳凰三山が高さを競う。そんな…
晴天の朝だった。気温は氷点下で北西からの風もあったがこの季節は仕方がない。今日を有意義にしよう。近くの山で軽い雪山登山をしよう、そう考えて準備を始めた。 するとスマホにメッセージが届いた。「細板と革靴でこれからゲレンデに行きませんか?」と。…
まだまだ綺麗な靴だった。防水ワックスをしっかりと塗り込んだ。靴先のコバが長くて出っ歯なのには理由がある。その裏面は三つのピン穴が開いている。そこに三つのピンをうまくはめ込み上から金属のブレードで抑え込むのだった。それはテレマークスキーの締…
車の中は自分にとって大切なオーディオルームだ。クラシックからソウル、ロック、フュージョン、ポップス、自分の好きな音楽はSDカードに入るだけフォルダ別に入れて再生する。たいしてよいカーステレオではないので音はチープだが、馴染の曲が限りなく流…
千葉の内房は横浜からアクアラインを使えばすぐだった。サイクリング、登山、ゴルフ。自転車なら鹿野山にヒルクライムしてから浦賀水道を見ながら房総半島最南端を目指しても、丘陵地帯にある棚田を見てから谷に降りて外房に出ても良い。登山なら伊予が岳・…
アイン・ツバイ・ドライ、♪♫♪♪♪…、 フィア、ヒュンフ、ゼックス、♪♫♪♪♪… 弾むようなメロディだった。歌詞と言えば書いた通りの数字を十までなぞるだけだった。そして合間にはヨーデルだろうかチロル風の音楽が流れるのだ。更には職員もレストランの店員もバ…
登山は通常山頂を目指すものだ。暗い谷から登り始めて斜面を高まいて尾根に登りつくこともあれば、最初から明瞭な尾根筋を捉えてそれを登ることもあるだろう。どんな山にも必ず一つは厳しい箇所が出てくる。鎖、三点確保、技術的に緊張を強いられる場所もあ…
自分は読めると思っていた。山登りをするのだから地図が読めないとは登山の資格がないと言っても良いだろう。当然カーナビ画面もノースアップだろう。画面上が北を示す訳だ。それを頭の中の地形図に重ね合わせてゆくのだ。そんな一連の行為は知らない場所を…
山歩きで手袋は必須だろう。自分はルート上の岩場や急な下り坂に手がかり足がかりがあればそれらをよく握り手を突くほうだ。何も掴まずにひょいひょい歩くことは出来ない。加齢とともにまずは恐怖心が先に来るのだから。前回の山歩きで手袋を持参せずに手に…
仕事を終えてスーパーに夕餉の買い物に立ち寄った。そこは国道沿いの道の駅に併設されている。勤務先から近く、仕事帰りに立ち寄ると丁度割引シールが総菜に貼られるので重宝している。目を皿のようにして割引品を幾つも籠に入れていた。今日もそんな世帯じ…
山歩きは好きだが、三十年の間自分は一度度登った山に何度も繰り返して登ることは余りなかった。「山の広辞苑」とでも言うべき労作がある。厚みはまさに広辞苑と寸分たがわぬ。そこには国土地理院の二万五千分の一地形図全てに記載されている山の全て。加え…
しまったなあ、そんなふうに口にした。ゲルハルト・ヘッツェル氏がザルツブルグ近郊の山歩きで滑落死したのはバランスを崩した際に彼が指をかばい岩を掴むのを拒んだから、と報じられていた。 ・・しかし自分は何だろう。只の趣味の範囲だが一応自分も弦楽器…
「裏庭のヒマラヤ」。何のキャッチフレーズか広告か覚えていない。登山道具メーカーだったのか登山道具店だったのか。登山雑誌の広告か、カタログに書かれていたのかポスターか、ウェブサイトかもわからない。山はいつも身近にありますよ、そんなことを言い…
幕営という言葉がある。幕を張って野営する事で、その幕とは今では死語かもしれぬ「天幕」から来たのだろう。薄手のナイロン生地の四隅にスリーブが通っている。そこにジュラルミンのポールを挿入していけばスルスルと出来上がってしまう。その上に防水性の…
子供のころからさすらう旅人に興味があった。旅程を立てそれに従って行動する旅行者ではない。自由気まま、持てる範囲の荷物を手にして足を進める、そんな旅人だった。運河に浮かぶダルマ舟。路肩にある段ボールを積んだリアカー。昭和四十年代はそんな風景…
テントの日干しをしていた。三組のテントを持っている。ペグなどの部品は使いまわしていた。色々な種類のペグがあるが自分はアルミの丸棒が使いやすい。土や草付きには刺しやすいが岩地や石交じりには苦戦する。そこを手頃な石で叩いて入れるがたいていの場…
小さなピークを過ぎた。この山頂の広大な眺めは二十年振りだろうか。そことて海抜1740mはあるのだが今日の目的地はその先だった。あの頃、この先の登山道は記憶が正しければ当時の登山ガイドでは破線コースだった。なにせ鳳凰三山へつながっている尾根だっ…
余りに可憐なものを目の前にするとどんな思いがするのだろう。落ちたものなら良いだろう。僕はそれを無意識に拾っていた。そして手帳の間に挟んだ。 さらに等高線を稼いだ。ブナの新緑は見事だ。空気が緑色だ。そしてそれは自分を透過していく。血液は喜び自…
緩い登りは優しく続く。小さな峰に登りついても小径は先へ伸びていく。登山靴の靴紐がほどけかけていた。ザックを降ろして紐を締め直した。膝に手を突き立ち上がりザックを背負うと僕は一瞬ぐらりと揺れた。天と地が入れ替わったように思えた。しかし僕は焦…
ピンポンとチャイムが鳴った。以前ならば誰だろうとカメラで覗いたかもしれない。しかしこの辺りには向かいの家と隣の家、その隣しか人家はない。昼過ぎに来たのは郵便配達で以前の住所から転送されてきた書留を持ってきた。転送サービスがようやく機能した…
会社員なりたての頃。昭和のモーレツの痕跡はもう無かったが、やはり自分も会社を中心に動いていた。男女雇用機会均等法の初年度に社会人になったが、世間はまだまだ男社会で今風に言えば「不適切」だらけだった。配属は海外営業部門で出張の機会もあり、か…
ここら辺りだったかな、テントを張ったのは。鹿の気配が濃厚であまり寝付けない夜だった。いや、それとは別に水場のあるカヤトの峰でテントを張った事もあったな。風の強い夜で朝はグンと冷え込んだ。しかし下界が朝焼けに染まるさま、それは見事だった。 様…
プラ靴のコバを締め具に合わせて押さえの金具をカチリと押すと靴は装着される。あとは流れ止めを巻くだけになる。ゲレンデスキーでもないのでステップインの締め具ではない。これで板は自らが外さない以外はまず外れない。しかし転んでも踵が固定されていな…
東北新幹線はなかなか列車種別が多く県庁所在地駅も通らないものもある。「はやぶさ」を選ぶと東京からは大宮だけに停まりその先は仙台までノンストップになる。栃木の県庁所在地・宇都宮も、福島の交通要所・郡山も、県庁所在地の福島にも停まらない。時速3…
自分がアウトドア趣味に目覚めた1980年代とは少し混沌としていたな、と思う。国内外の文化が混じっていた。アウトドアのファッションとしての話だ。 ハイキングや山登りは昭和30年代から流行り始めたようで当時は英国スタイルなのかツイードのジャケットを着…