自分は読めると思っていた。山登りをするのだから地図が読めないとは登山の資格がないと言っても良いだろう。当然カーナビ画面もノースアップだろう。画面上が北を示す訳だ。それを頭の中の地形図に重ね合わせてゆくのだ。そんな一連の行為は知らない場所を走る際の醍醐味だろう。しかし今は車の進行方向に矢印が向いている方がやりやすい。脳の作業領域の中で行う方位の転換が出来なくなった。パソコンでいえばCPUの動作不良か、長年使い続けたせいでメモリ領域にゴミが溜まってしまったのだろう。
仕事先は広い森の中に広がっている。そこを小さな冊子を手にしてお客様がやってくる。しかし多くの場合こう聞かれる。「この建物にはどう行けばよいですか?」と。それは目の前なのだがたいていの方はすぐには分からない。これ、地図の天地が逆に書かれているのですよ。南が上になっているからわかりませんよね、そんな言葉を返す。南に向かって歩くのだから地図の上も南だろう、そんな発想で書かれた地図だった。そんな地図は色々なところで見ることが出来る。せめて地図の何処かに北を示す矢印があるとわかりやすいのだが・・。
地図のイロハに従っていない地図はまことに罪作り。とここまで書いて自分は内なる矛盾に気づく。最近のあなたのカーナビ画面はノースアップかい?…答えを失う。今全く見知らぬ土地にポツンと一人立ったとして北がどの方向化を自分はわかるのだろうか?わからない?これからどうすればよいのだろう。失われつつある頭の中のコンパスと自動方転換機能はトレーニングすれば戻り、維持できるのだろうか?
一昔前に話題になった本。「話を聞かない男、地図が読めない女」を読んだことはない。この本は男女の物事の考え方の違いを生理学的観点から書いたものとのことだが、男であっても地図が読めなくなりつつある自分には役に立つことだろう。加えて自分は家内の話を聞かない。今度借りてみよう。今の姿を謙虚に認め反省し、そこから何かを導き出すことが良いだろう。
