日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

紙の上の箱庭

つい最近まで登山と言えば何時も二種類の地図を持参していた。登山ガイド地図と地形図だった。

登山ガイド地図はルートと所要時間などの情報が記されたものだ。自分達のヤマ屋世代では「エアリア」とだけ呼ばれる地図だ。ユポ紙で出来たそれは耐水性と耐久性を兼ねていた。正式には「昭文社発行・山と高原地図(エアリアマップ)」と言うべきだろうが誰もが単に手短に「エアリア」とだけ呼んでいた。今多分その四文字は通じないだろう。最近の同地図には「エアリアマップ」と書かれていないのだ。先日キャンピング用品に軸足を置いたアウトドア店に行った。そこで「エアリアは何処に置いていますか?」と聞いたら若い店員さんはキョトンとした。自分は既に山のオールドタイマーであると自覚した。自宅の書棚にある一番古いエアリアは1991年度版だった。背表紙のエアリアマップの記載は2005年度版からは消えている。登山者たちに親しみ深かった名が消えたのは寂しい。

書棚のエアリアは東北から中国地方までずらりと並んでいる。よくぞ買ったものと呆れる。最も古い「丹沢」の地図は頑丈なユポ紙にも関わらず紙が割れてしまいバラバラになっている。また丹沢や周辺のエアリアは複数所持している。毎年最新情報を記して発行される地図なので買い替えていた。それだけ多くの山に足跡を残したという事だろう。

もう一つ、地形図について書かねばいけない。国土地理院が発行する二万五千分の一と五万分の一図だ。前者は単に「地形図」や「ニイテンゴマン図」と呼んでいる。こちら地図の一センチが二百五十メートル。等高線は十メートルおきだ。この地形図で表現できない尾根や谷は余りないだろう。かたや後者は表現が荒く登山にはふさわしくない。

地形図は大型書店そして登山道具店で入手できた。地形図を手にするとまず最初にやることがあった。磁北線を記入するのだった。どの地形図にも右端に「西偏約〇度△分」と書いていある。それを分度器で測り線を引く。それが真の北を指す。地軸の関係上日本の地形図はすべての磁北線が左斜めに伸びる。長野県辺りでそれは西へ七度四十分程度を示す。地図の真上が北であることは誰もが知るが実際のコンパスの指し示す北は地図の北ではなく磁北なのだからややこしい話だった。コンパスを片手に行動する以上は地形図上の磁北線を知る必要があった。

そして収納。地形図はA三判より倍は大きい。これをポケットサイズに折り畳むのには各人のこだわりがあった。百の岳人が居れば百の折り畳み方法があるのだった。耳を折る折らないに始まり細かいところできりがないだろう。自分も折り方を決めていた。

山に行くとなるとまずは当該のエアリアを買う。しかしエアリアの多くは五万分の一で書かれている。一枚で多くのエリアをカバーするのだから仕方がない。これでは分解能不足で地形図を買う。こんな具合で新しい山に登るたびにエアリアと地形図が増えてきた。

現在はどうだろう。あの地形図が国土地理院のWEBサイトで公開されている。磁北線もワンクリックで示される。そして欲しい場所を簡単に印刷できるのだった。これはもう紙の地形図を買う必要がないことを意味していた。しかもこの数年、スマホの上で地形図を示しそこに自分の居場所をプロットするという、山を始めたころには信じられない時代になった。下手すればエアリアが無くともよいだろう。しかし山歩きでは「木を見て森を見ず」は通じない。自分の歩くポイントだけをスマホで見るのではなく周囲を見回し地形を頭に浮かべないと危ないだろう。その為には全体を俯瞰できるものは必要だろう。

今はエアリア、WEBサイトから印刷した地形図、スマホ。この三つを山に持ち歩いている。日帰りハイキングでもテント縦走でも、山スキーでもすべてこの三点で済む。すると棚にある紙の地形図は不用品となった。数百枚の古紙だ。

断捨離を進めなくてはいけない中で、どうしたものか。捨ててしまうのは簡単だった。ものの十数秒で燃え尽きるだろう。しかしそこには自分が書いた磁北線と、要所要所の標高、水場マークなどかつての登山の風景が塗り込まれている。これを捨てるのか、逡巡があった。

改めて地形図を見る。道路や川、集落。そして等高線。広葉樹、針葉樹、畑、荒れ地。情報が満載の紙切れだ。少し俯瞰してみると、何故だろう、等高線は浮き上がり山となり、谷は深まり底には川の流れがみえるではないか。集落で働くモンペ姿のお婆さまもトラクターに乗るお爺さまも見えるような気がする。一枚の紙の上に広がる箱庭だった。見ていて飽きる事はない。この一枚は日本の風景そのものだった。

結局地形図には思い出があり捨てるのは止めにした。新しく必要な物はWEBから印刷するのでもう新しい紙を買うことはないだろう。初めはインデックスを付けて保存していたが山行を重ねるにつれ地形図は乱雑に置かれていた。こちらには暇がゴマンとある。ゆっくりと一枚一枚広げながら整理して保管し直そう、ちょっとした日本旅行だと思うと、楽しみだった。

エアリアマップの名前が山と高原地図から消えたのは2002年以降05年以前だろう。青は1995辺りまでで以降は白いカバーになった。東北から中国地方まで主だった山岳の地図がある。しかし北海道と九州四国が無いのは、まだその地の山に登っていないからだった。これから如何ほど登れるだろうか?

手持ちの地形図を少し並べてみた。どれもが懐かしいものだった。もうこの紙を買う必要もないのだった。WEBサイトで必要な分を印刷できるから。しかしとても捨てる気にならぬはこの紙が箱庭だからだろう。

 

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