誰もいない真っ白な緩いスロープに大きなカーブを刻んだ。この程度の斜面ならリードスキーをハの字に開き外足の内エッジに体重を乗せて内足の踵を上げて雪面にフラットにするとスルスルと軽く回る。アルペンターンのように踏み込んで抜重、という感覚とは全く異なるものだ。
それはスプーンで雪面をすくうというのが相応しいかもしれない。ターンの度に身が軽くなり自由になった気持ちがするのはなぜだろう。雪と闘う必要のないターン。踵が固定されていないからに違いなかった。羽が生えたかのように回転が楽しかった。
テレマークスキーを教えてくれたのもう20年以上前に出会った本だが、それはスキーハイキングに近いニュアンスを持って楽しさを説いていた。
ゲレンデスキーにはいつか興味を失いしばらく辞めていたのだった。書に触れて再び始めたスキー。道具はアルペンからテレマークに変わったが踵が浮いたスキーの魅力にとらわれた。
テレマーク締め具をつけたウロコ板にシールがあれば様々な山に登れた。登れない山は自分には滑ることもできない山だった。残雪期が最大の楽しみとなった。
今年は北緯40度線を越えた山を狙った。駐車地点でしばらく天候の回復を待った。ガスが飛び稜線が視認できたのでシールを貼った板で登り始めた。ブナの林から歩き始めていつしか林はダケカンバ帯となり雪のダウンジャケットを羽織ったアオモリトドマツの林となった。山頂は近かった。
山頂で飲むテルモスのあたたかいコーヒーが吹きすさむ西風の中に暖を与えてくれた。シールを剥がす。テレマークスキーは踵を留める金具はないので即座に滑ることができる。
真っ白な斜面にターンを軽やかに刻みながら自分は嬉しかった。鳥になった気持ちだった。このままふわりと舞い上がりブナ林を越えていきそうに思えた。
友と付けた登りのトレースを参考にしながら雪原からブッシュに導かれた。現在地をGPSの地形図で把握してから等高線が緩い尾根を狙った。湿原の横断は踵が常時解放されている利点を生かしてクロスカントリースキーの走法にも対応出来るのだった。無事下山した。登山口は路上駐車の車ばかりだった。関東や関西のナンバーも多い。丁度下山のラッシュだった。このあたりから北へ南へ、幾多もの山スキールートがあるのだった。
テレマークスキー愛好者・テレマーカーが多くて嬉しくなった。軽量なアルペンスタイルの山スキー用具が出てきたから、テレマークスキーは軽いという優位性はなくなった。スキーヤーの多くは元々はアルペンスタイルを学ぶのでテレマークスキーはいつも少数派だった。そんなテレマーカーには何か独特な空気を感じとる。会話なくとも通じ合うものがあるといつも思う。既成の価値観にとらわれずに器具の持つ自由さに惹かれている人達、ということだと言える。
ターンの際に片足の踵を上げてバランスをとるのだから裏を返せば不安定な道具でもある。強いエッジングも望めない。しかし彼らは知っているのだろう。不安定さの中に自由があることを。その自由さが自らを取り囲む社会の中で如何に潤いを心に与えてくれるかを。テレマークスキーは自由への翼だ。
さて今シーズンのスキーは終わった。来年の雪だよりが楽しみでならない。スキー場のゲレンデは未熟なテレマークターンの練習場と割り切ろう。残雪期のハイシーズンには羽が生える。すんなりと羽が出るように体も心も鍛えよう
不安定な自由はいつも自分の側に居る。いや、心の中に居るのだろう。