日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

これと決めている人

とにかく彼、Hさんは「コレ」と決めていた。これが置いてある店をきちんと調べて選んでいたようだった。Hさんとは仕事の関係上よく飲食をともにすることがあった。残業後に行くことも多かった。 彼は中生は頼まずに瓶と決めていた。黒ラベルに金の星。たしかに美味しい。しかし当時のビールはどれも似たりよったりで、特に固執する味でもないと密かに思っていたが、ある理由で自分も賛成していた。

自分が社会人なりたての頃、我が父親も含めて世のオジサンが新橋のガード下で口角泡を飛ばしながら焼き鳥片手に、オトウサンがナイターを見ながら枝豆片手に、瓶を栓抜きでコンコン叩いて栓を開けるのはK社のビールと決まっていた。残り三社の影は薄く、自分はそれがよく分からなかった。女中さんが注文を取りに来る。

- ビール大瓶、ラガーね、Kの。

この手のオジサンは大抵それ以外のビールが出ようものなら嫌な顔をするのだった。いつしか自分はそんな価値観に反発を覚えていた。ビールといえばK社ばかりではないだろう、何だか考えが古いな。

丁度その頃にA社が尖ったビールを出して一気にビールの地図を泰平の世から戦国の世に替えた。精悍な銀色のラベル、カラクチ。それはたちどころに市場を席巻して見事に勢力図を塗り替えた。その様は少し前のマーケティング教科書あたりにも出てきそうだ。

ビールと言えばK社と言う古く思えた価値観を嫌っていた自分は、A社の快進撃に酔いしれて即座に同社の応援団になった。ついでにと言っては申し訳ないが残る2つのS社も応援した。A社のビールは如何にも新しい時代のような新鮮さがあったが、早い話K社以外の応援団だった。K社のビールも美味しいが自分の理由はそこにはなかった。会社帰りにともによく酒を飲んだHさんがS社の黒ラベルを応援しているのはそんな意味で大賛成だった。

Hさんとよく行った店は中華が多かった。四川だった。辛いねぇと言いながら薄くなった頭をタオルで拭いて、グビリと開ける黒ラベルは実際とても美味かった。

食事にせよ何にせよ好みはコレと決めている人は多いが、自分はコレは嫌いだ、と決めるタイプだった。K社のビールにはまず手を出さない。嫌いだと決めたからだった。

人としてそのどちらかが幸せなのかわからない。ただいずれも何かに固執して柔軟さを失っていると思う。色々な世界に目を向けるチャンスを、もしかしたら見失っているのかもしれない。自分が嫌いなのはビールの味ではなく昔ながらの価値観だった。

山旅に出た。下山して疲れも残り喉が乾いていた。ようやく車内販売のワゴンが来た。ビールを求めると何故かA社は置いてなくK社かS社の選択肢だった。迷わず後者を選んで激しい安堵を覚えた。Hさんと同じモノを選んだ。

自分は何も変わってないな、と、苦笑いが浮かんだ。

今度Hさんと飲みに行ってみよう。お互いが退職してからは会ったこともない。あの中華は店を閉じてしまったがどこでも良いだろう。そこで今度彼が黒ラベル以外を頼んだならその柔軟さに敬服するし、黒ラベル固執するならば変わらぬ信念に感心するだろう。いずれにせよ今度は自分もKを頼んでみようか。ある意味の踏み絵かもしれぬがそれが柔軟さを実現してくれるかもしれない。

歳を取ると何事につけ己の考えに固執する頑固オヤジになるというが、どう考えてもそれは可能性の芽を摘んでいると言えまいか。自分の価値観にはもっと柔軟に接するべきだと思う一方で、それを曲げるのはある種の「敗北」だと何処か思う自分がいる。

なんてことだ。…コレとは決めない人になりたいと思う。

 

Hさんはいつもこれだった。自分も好きだ。しかし拘る事は止めた方が良いのだろう、と実は思っている。それが容易でないことも良く知っている。さて・・。

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