以前から気になっていた。オーバーハングの壁を人工のスタンスとホールドを頼りにスパイダーマンのように登る。ボルダリングだ。
もともとは、ヤマケイ誌などに記載されていた平山ユージあたりのヨセミテのフリークライミング写真。それを見て単純に驚嘆していた。やがて室内で楽しむクライミングとしてボルダリングという言葉を聞きはじめ、オリンピック競技となり野口選手などの活躍で一般的になったのではないか。
ちょっとした人気なのか。ボルダリングジムは近所にいくつもあった。
ハイカーとしてこれまで登ってきたルートでは、岩場は不可避だった。クライマーのルートでなく一般の縦走路でも必ずや数カ所は心してかからなくてはいけない斜面がわずか数メートルでも出てくるのだった。ただの縦走者の自分はそんな箇所は岩や木の根などで「三点確保」で乗り切ってきた。しかし高度感のあるそのようなルートはやはり緊張するし、加えて病で脳の手術をしてからは平衡感覚にも自信が無くなった。
ならばこれ、やってみよう。少しは苦手感の払拭も出来ようしリハビリにもなりそうだ。いかんせん楽しそうだから。
近所の室内ゲレンデで初めて履いたレンタルのクライミングシューズはサイズはキツめのものだった。足裏感覚が、大切ということだろう。
講師の先生は黄色いTシャツにストローハットを被り、これまたいかにも「自由人」なフリークライマー感満載だった。彼の好みなのかジムの中はジェイムス・ブラウンやカーティス・メイフィールドなどがゴキゲンに流れ、先生の体は無意識にもそのビートに乗っていた。
「これなのね!この気分で楽しむのね!」
期待がわく。難易度別にコースがいくつもある。壁の角度は80程度から90度のもの、そしてオーバーハングもある。ただのフラットな壁ではなく斜めに隣合わさった壁もある。ルートの選択によっては登りながら出っ張った角や窪んだ角を回り込まなくてはいけない。
「一筋縄では行かないぞ。」
登攀に関しては、色分けされた選んだルートのホールドしか掴んではいけない。スタンスはあるものは全部を使える。登攀開始はスタートホールドに両手を掛け、選んだスタンスに両足をかける。この三角形のカタチでスタート。選んだルートのホールドにどうやったら次の手が届くのか?そのためにスタンスをどう置くのか? 頭のパズルのようだ。
野口選手のように反動をつけて伸び上がる必要も、少なくとも初心者ルートでは不要と気づいた。ホールドは意外に多く設置されているのだ。ならばとにかくこれまで山歩きでやってきたように「三点確保」を地道にしていけばよいのだった。足の指もまげてスタンスに食いつく。シューズが素直に反応する。滅多にしない足指運動で、登りながら足指関節がつってしまう。頼むぜ。
登りきってゴールのホールドを両手で握ることでクライミングは終了。下りは安全第一、好きなホールド・スタンスを使い放題だ。
「ヤッタ、ヤッタ!こんな腹の出たオヤジにも出来たな!」
実際その達成感は半端なかった。興奮して講師に謝意を伝える。「楽しいでしょ!これからの山歩きも変わりますよ!」と嬉しいことを言ってくださる。
体験コースの時間の許す限り、初心者ルートでもいくつか異なるものを試してみた。斜度も90度までやってみる。凸状に尖ったコーナーを横にトラバースするようなルートは緊張の極み。しかし痒いところに手が届くようにホールドがあった。行き詰まると講師がレーザーポインターで、「ここに足かけて」とアドバイス。ありがたい。
「よし、コレだな!ゴールの、ホールドまであと少しだ!」 高さは3から5メートル程度の壁でもゴールのホールドに両手をかけると、お山の大将だ。随分と高く登った気がする。
この心臓のドキドキは運動による生理反応なのか、緊張なのか、感動なのか。なんだかわからない。
未知の世界のトライはとても楽しい。面白そうだなと思わなければそれまでで、思っても実行を躊躇ってしまったらそれまでだ。これからはこれまで以上にフットワーク軽く、なんでもやろうと考えている。手を出したものは完璧にやろう、極めようなどとは決して思わない。そう思った瞬間にそれは楽しみから苦行になるだろうから。すべての事は「失敗して、笑って忘れよう」。 「自由」な講師さんも言っていた。「ルートがダメなら途中放棄してくださいね。無理をしない事です」。
この言葉は全てにおいてこれからの自分にはぴったりの、金科玉条だと思っている。
かつて感じたことのないような体の充実感と「やりおえたな」という満足感を久々に味わった。健康づくりも目論んだボルダリングだが、これではビールが進んでしまう。そうそう、「失敗して笑う」以外に「ビールを美味しく飲むために」という動機を忘れていたようだ。