日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

埃まみれのブラッキー

ブラッキーと言えばギター好きならははぁと思うだろう。1977年の録音「スローハンド」のジャケット写真にはネックしか写っていない。ギターに愛称をつけるギタリストがいる。ミカウバーにマルコムはキース・リチャーズ。ルシールはBBキング。そして・・。ブラッキーとくればエリック・クラプトン。そんな有名な一本にはロックやブルースが好きならため息が出るかもしれない。

ブラッキーとは黒のフェンダーストラトキャスター。自分は幸いにもこのギターの音をレコードやCDではなく生で聞いた記憶がある。武道館だった。クロスロードやホワイトルームといった60年代のナンバーから、いとしのレイラやコカインなどの70年代のナンバーを演奏していた。ブームとなったアンプラグドが発売される前だったのでエレクトリックサウンドだけのステージだった。スティーブ・ガッドとネイザン・イーストがリズムセクションだったと思う。

日本だけの分類だろうが、ジミー・ペイジジェフ・ベック、そしてエリック・クラプトンという英国のギタリスト三人を「三大ギタリスト」と呼んでいる。クラプトンはスローハンドと呼ばれているがそれは彼の手数が少ないからと聞いたことがある。が、1960年代の彼はトリオ編成の伝説のバンドでハードなインタープレイをしていた。ドラッグ漬けの60年代から70年代初頭を抜け出してからの彼はレイドバックして、渋く枯れたギタリストに、加え味のあるシンガーにもなっていた。彼のギターの音はとても深みがあり、確かに巧いな、と思った。綺麗なトーンだった。観客席から「カミサマ!」と声援が飛ぶほどだった。が当の本人は無口にギターを弾き歌う。時折照れくさそうにサンキューとだけ短く言うのだった。三大ギタリストの中で個人的には彼を聴く事が一番少なかったがそれでも80年代までのレコードはほぼ聞いていたし、ライブも何度も見た。いつもそっけないステージだったがギタープレイには惹かれるものがあった。ステージで見たブラッキーは一度だけだっただろう。あとは同じストラトでもカラフルな塗装を施したものだった。どの音も素晴らしかった。

娘が高校生になった時、部活動で軽音楽部に入りたいというのだった。彼女は小学生からピアノを弾いていたので当然キーボードだろうと思っていたが違うという。ベースは父親が弾いているし体に比べて大きいから嫌だという。ギターをやりたいようだった。

何でも子供の望みをかなえる甘い親は情けない。しかし娘がエレキギターが欲しいというならこちらも喜んで楽器屋に行く始末だった。音楽趣味を応援するという点に関しては自分は情けない程にシュガー・ダディだった。彼女にはギターの好みの形も無いようでここは自分の好みを押し付けた。それはテレキャスターだった。キャンディレッドの国産の中古品があった。数万円だった。自分の月の小遣いをはたいて買った。ついでに娘がギターを始めるなら自分も、と思った。ギターを手にしたことは皆無に等しかった。そこで今度は古本屋がやっているハードオフの店で数千円で自分用のギターを買った。黒のストラトモデルは国産のセカンドブランド。ブラッキーもどきか。クラプトンのようになれるかな。

ギターは自分には難しかった。ベースの太い弦に慣れていたのでギターの細い弦は指に食い込み痛かった。そして娘も数か月でギターに飽きてしまった。挙句彼女は演劇部に転部していた。ギターが難しかったのか、メンバーの関係が難しかったのか。女子高生の世界は理解できなかったが深追いも出来なかった。二本のギターはすぐに埃をかぶってしまった。

自分はベースもまともに弾けないのにギターなどありえなかった。自分がプレイしているバンドのライブに向け五弦ベースが必要になり、娘のギターは下取りしてもらい僅かな資金となった。

断捨離で部屋の整理をしていたら埃まみれの「ブラッキーもどき」が棚の裏から出てきた。ひどい扱いをしたものだ、と綺麗に拭いてから再びセカンドハンドの店に持ち込んだ。当然だが数百円にしかならなかった。

今でもギターに憧れがある。それはブラッキーストラトではなく娘用に買ったテレキャスターだった。還暦の手習いで買ってみるか、と無意識に中古楽器サイトを見ている。その前にやることが沢山あるのに、見ている。ブラッキーは埃まみれになってしまったではないか、と声が聞こえ、自分はそのサイトを閉じた。ギターの形が罪深いのだと思う事にした。

結局まともに触れなかった。好きなテレキャスターではないから?違うだろう。しかしもう一度だけ今度こそテレキャスターを買って、手習いしたいものだとも思う。

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