アキラは小学生のころから犬が好きだった。祖父の家にいたのだから。ハアハアという息遣い。黒くて丸い目。優しい顔。触っているだけで嬉しい。
しかしノラ猫も祖父の家にやってくる。どこからともなく。裏の川から遊びに来る沢蟹の歩く家は、彼らにとっていい餌場なのだろう。静かに足音もたてずに。
ひたり、ひたり。
やおら飛翔し、沢蟹は真っ赤になり泡攻撃をするが、そのまま猫の手がのびる。口にくわえられて再びひたひたと。アキラは無性に腹が立ち、草履を取り上げて猫に投げた。もちろんそれは当たらずに、彼は塀の向こうに消えた。悠々と。
大人になったアキラは犬を飼った。小型犬。とてもかわいい。それはパグだった。マルという名前。この潰れた顔がよい。マルはどうしてそんなに困った顔なの? なんでそんなに丸い目玉と瞳孔なの?
だって、アキラ君の愛が重いから。まん丸なのは生まれつき。瞳孔を丸く絞らないとさ、愛で溢れてしまうから。
何を言う。君はたくさんのオキシトシンをくれるから、あたりまえだ。さ、マル、散歩。
路地に出ると、前を歩いている。ちぇっ、くそネコめ。背中をまるめて、ひたりひたり。マルは足を停める。
燃え上がる敵愾心。宣戦布告。アキラは靴を抜いて、それをソイツに投げた。左右で投げ方を変える。逃さぬように。くらえ。
そう、日本海軍の十八番。ロングレンジでも航跡をださぬ酸素魚雷、そして急降下爆撃も十八番。250キロ爆弾がある。ともにもちろん、当たらない。切り札・ヤマトの46センチ砲はどこだ?ああ、靴は一足だ。アキラは小学生のころから大の運動音痴だし。それに相手の敏捷さは、山の沢水のようにすばしこい。
アキラは靴を拾い、思う。高校生の頃から、僕は一体いくつの靴やスリッパを猫に投げたことだろう。嫌いで嫌いで虫唾がはしる。お前の瞳孔はなぜ縦長なのだ? そんな動物は見たことがない。それにその気ままさ。何を考えている? 今度捕まえたら差し押さえて、まずは瞳孔を切開してやろう。まん丸に。犬のように。
西日が射す住宅地にクソ猫のシルエットが伸びる。雑草がさわさわと。
アキラはケイコに自慢する。「また、いじめてやったぜ。クソ猫」
サンマを焼きながらケイコは言う。「馬鹿ね、やめなさいよ」
セーラー服を脱ぎながらスミエは言う。「お馬鹿なトーチャンだこと」
コオロギの啼く夕べ。月は長い影を作る。物音。ピタリと鳴きやんだ。ああ、クソ猫め。コオロギも食べるのか。秋の風物詩なのに。
その夜、信じられないことが起きた。ブウウンと音がした。アキラを無数のドローンが襲うのだった。四方八方から迫りくるドローン、丸い視界はドローンで埋まりそうだ。自爆ドローンか。ああ、年貢の納め時。
そして気づく。ドローンが生きている。縦長の光線を、レーザー光線のように発している。ピンポイントで、来る。なんと、ドローンの下には猫がぶら下がっている。光線は縦長の瞳孔から。そして彼らは小さなスティックをいじり確実に目標へ。
ねこドローン!
被弾直前に猫はドローンから発射され、アキラに襲い掛かる。次々と襲い掛かる猫の急降下特攻隊。
くそう、あの鋭い爪が。尖った歯が。痛い痛い。怖い怖い。引っ掻かれる前から大声。
無数の猫たちは、しかし意外にも着弾と共にアキラをペロペロと舐める。舐めてくれるのはマルだけでよい。お前ら汚いよ、猫菌がうつる。
マル、助けて。と、しがみつく。しかし、なんだかいつもと違う。抱きついたマルの黒い皮がぬるりと剥がれ。あの彼の丸いお目々もポロリと落ちる。ええ!プラスチックだったの?君のお目め。
「うざいニヤー」とマルは言う。うるさいワンのはずだ!
アキラは慌てて顔を洗いに行く。悪い夢さ。
早起きのケイコはもう起きて、顔を洗っていた。メザシを焼く匂いがする。今日もメザシか。嫌いではないけれど、飽きた。するとケイコは振り向く。え!
「トーチャン、邪魔。歯を磨くから」
ああ、スミエまで。
二人ともフードを被っている。ファスナーを下ろしてパーカーか。その下は!
キラリと縦長の瞳孔が光った。見れば、乳液をつけるケイコの手も、歯ブラシを握るスミエの手も、鋭い爪。なんだこりゃ。
振り返るとマルは爪を壁で研いでいる。ああ、綺麗にしていた家なのに。
「アナタ、今ごろ知ったのかニャ。私たちはただフリをしていただけにゃ。でもあまりにいじめるから。魚雷に急降下爆撃など、ひどい。もう耐えられないニャ。」
ううう、ごめん。
玄関の犬の置物。スヌーピーがいつの間にかフェリックス・キャットに。ええ、パグのタペストリは、三毛猫のタペストリーに。
猫の家にアキラは棲んでいる。いつか家中は猫だらけ。先ほど酸素魚雷を放った相手も、これまで攻撃してきた彼らもいる。
我に救いを!
悔い改めなさい。
書棚の新訳聖書を開く。マタイ福音書のページにしおり。ええ!これもまた、猫のイラストのしおり!!
どうしたらいいのだろう。






