日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

晩夏のカノン

僕はエアコンを止めて窓を空けた。

高原。海抜900メートルの夕べ。ひんやりとした空気がさあっと部屋に入ってきた。半袖のシャツの僕は上着を羽織った。

そう言えば先週まで。19時過ぎまでは野良仕事をしていても西日は北アルプスの向こうから照らしてくれていたのに。

今は弱い光で、稜線を赤く焼くだけとなってしまった。

もう夏至もとうに過ぎてしまった。八月はこれからだけれど、この日差しの傾きはしかたないな。星空の下、冷たい空気が僕を包む。

ああもう夏も終わりのようだ。

僕はそう思い少しばかり背中を丸める。

ついこの前に庭の雑草たちも新芽の季節だった。しかし数週間、ぼっとしていたら雑草だらけ。

僕は彼らの追いかけっこに、乗り遅れたのだ。おっとり刀で草刈りの日々。慌てた虫が草むらを動く。

ヒグラシからスズムシへのバトンタッチ。静かに、ひそかに、きづかずに。

彼らは交代するけれど、僕は置いてきぼり。

ある日に急に気づくことだ。

ああ、もしかして。

全く、やるな。

夕刻の窓の向こうのヒグラシは変わらない。しかしもう、夕ペの音は鈴虫となった。

追いかけっこだな。そして僕はおっとり刀。しかし僕も、やや遅れて同じ場所。

何もなかったように、明日を迎える。

こんなふうに。

それは、少しづつの追いかけっこ。バッハのカノンのように。

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僕の誓い

 

そこは税務署だった。あれは四年前か。

 

父親のわずかな遺産を法定通りに処分した。非課税範囲内なので気にする必要もなかったが、一応税務署を覗いたのはどんなものかな? と興味があったのかもしれない。なにせサラリーマンだけで過ごしたのだから、確定申告は不要だった。ここには無縁だった。

 

ただ一度、医療費が高い年があり、申告したら戻るかと。苦労の割に返ってきたのは数千円。税務署からの帰り道、帰り道にビールの泡と消えたか。

 

「ご自宅ですか? 屋号はありますか? どんなお仕事か、ここに書いてくださいね。」

「名前は本名ですか? ペンネームで仕事をしていますが。」

「届け出のお名前で。」

 

同じ紙を二枚重ねて、あいだにカーボン紙を挟んだ。何ともレトロな複写のやり方。

 

「個人事業の開業届」そう書かれた用紙に僕は強くボールペンを握る。

 

著述業と文筆業、どちらにしようかと思ったが、著述はあまり響かない。何か、創造の気迫が言葉にないように感じた。

 

つまらないこだわりだけれど、僕は黒ぐろと書いた。文筆業と。

 

大体に於いて、役所のボールペンは得てしてよく書ける。たくさんの人々が使うからか、ペン先のボールが沈んでいるのかはわからない。黒ぐろとインクが出る。

 

とりとめもない、何部売れるかもわからないつまらないエッセイ。それでも近所の本屋さんは追加の数冊を頼み、平積みにされている。

 

誰か奇特な人が買ってくださったか、鼻血が出たので止めるために、鼻水をかむために手近な本を手にとり、チンとやったかはわからない。まあその程度の本。

 

しかし僕にはある思いがある。書こうと思ったことを書き記し、手に取れるカタチとして世に残したということを。デジタルの電子ファイルではない。手に取れる、重さのある紙の本。

 

僕はそんなエッセイの第二作も書き上げた。こちらは出版には未だ至らぬ。しかし今はさまざまなやり方で本が出せる世の中となった。何か出口はあるはずだ。

 

三作目、四作目と、構想だけは続く。毎日書く二千字以内の雑文も、なぜか続いている。そこから選び本にしても、許されよう。

 

これならば、文筆業と名乗っても良いかもしれない。

 

「開業届と青色申告書をお書きになったら、クリアファイルに挟んでそこの箱に入れてください。」

 

「ええ! 文筆業の審査は?」

「ありません。」

 

少しの拍子抜け。時々インク漏れをした黒ぐろとした書類をフォルダに挟んで箱に入れた。

これで、これで、僕は晴れて文筆家か。

 

何ともうれしい。さまざまな経費も、必要な経費として申請できる。出版にまつわる費用は発生したにせよ、経費を住民税や所得税から相殺もできるだろう。魅力的ではあるが、元々大して払っていない税金だからたかが知れているけれど。

自らを文筆業と定義することで、逃げ場所がなくなる。還暦を過ぎて得る、確かなもの。あの赤ずきんチャンの、薫くんの誓いのように。

 

カーボンコピーに残る黒ぐろとした僕の字。ふにゃふにゃだけれど、読めるはずだ。

 

文筆業ね。

 

黒いカーボンコピー。

 

それは僕の誓い。

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盆踊り

チャンチャランチャチャンャン。はあ、踊り踊るナァラ、チョイと東京音頭ォ、ハイハイ。

新興住宅地で育った僕は、隣の団地の公園に毎夏行くのだった。小学生。

そこには櫓があり、台上で太鼓。そのすぐ下の回廊では踊りの実演。皆習って大きな輪になる。

やっとナアそれヨイヨイヨイ

それは曲目を超えて続く。僕はわけも分からずにはしゃぐ。仮面ライダーかマグマ大使のお面、そして綿あめだったか。

持ち帰られた金魚は哀れ。水槽のなかに浮いてしまう。お腹を上にして。

そういえば父の墓のあるお寺さんから毎月便りが来る。お盆ですね。、入りも送りも心を込めて。そう書いてある。僕は盆の入りも、その終わりも知らない。入りと明けか。

父親をないがしろにしているわけではない。ただしきたりを知らない。二人の親もその時期に、特に何もやっていなかったのだから、知りようもない。父は次男。母には男の兄弟がいた。形式張ったお盆の儀式には縁がなかったのだ。

お盆は先祖を迎える時期。では盆踊りは? 多分踊って楽しく先祖が遊びに来てくれたら、そんな思いかもしれない。

僕が長く住んでいた横浜にある古刹。そこはとある宗派の大本山。あの昭和の大スターも、赤いタオルの燃える闘魂もここに眠っている。僕の散歩コースだった。

その寺の盆踊りは凄まじい。雲水と呼ぶのだろうか。若い修行僧たちが、まるで糸が切れたかのように、踊り狂う。東京音頭など出てこない。例えば、アニメ・ソングなど。太鼓をドカドカ。踊りはダンスステップ。

きっと修行は苦しいのか。この日はご解禁か。きっとご先祖さまも、さすがに現代の電子ビートに驚いて、お墓からやってくることだろう。ザ・ボンオドリ・ヌーボーか。

会社からの帰り道。出勤は週に一度程度。長いお盆休みが明けたら、もう河原の土手に作られていた盆踊り会場は、なかった。

どんな踊りだったか? 目を輝かした少年たちは来たか? そして盆の入りと送り。しっかり迎えたか。

しばらく墓に行ってないな。僕には余り多くを語らなかった親父。背中を見ろとも言わなかった彼。もう少し二人で、赤ちょうちんに行ってみたかったな。

孫はどうするのだろう。娘たちは彼らを連れて行くのだろうか。僕は別に思い出してほしいとも思わない。ふと何処かに、ある日浮かんでくれればよい。

父の大きくない墓を思い出した。花は枯れたことだろう。悪かったな、お父さん。

櫓のなくなった土手の空き地には、夏草が揺れているだけだった。

秘密の宝箱・着ぐるみ

アキラは小学生のころから犬が好きだった。祖父の家にいたのだから。ハアハアという息遣い。黒くて丸い目。優しい顔。触っているだけで嬉しい。

しかしノラ猫も祖父の家にやってくる。どこからともなく。裏の川から遊びに来る沢蟹の歩く家は、彼らにとっていい餌場なのだろう。静かに足音もたてずに。

ひたり、ひたり。

やおら飛翔し、沢蟹は真っ赤になり泡攻撃をするが、そのまま猫の手がのびる。口にくわえられて再びひたひたと。アキラは無性に腹が立ち、草履を取り上げて猫に投げた。もちろんそれは当たらずに、彼は塀の向こうに消えた。悠々と。

大人になったアキラは犬を飼った。小型犬。とてもかわいい。それはパグだった。マルという名前。この潰れた顔がよい。マルはどうしてそんなに困った顔なの? なんでそんなに丸い目玉と瞳孔なの?

だって、アキラ君の愛が重いから。まん丸なのは生まれつき。瞳孔を丸く絞らないとさ、愛で溢れてしまうから。

何を言う。君はたくさんのオキシトシンをくれるから、あたりまえだ。さ、マル、散歩。

路地に出ると、前を歩いている。ちぇっ、くそネコめ。背中をまるめて、ひたりひたり。マルは足を停める。

燃え上がる敵愾心。宣戦布告。アキラは靴を抜いて、それをソイツに投げた。左右で投げ方を変える。逃さぬように。くらえ。

そう、日本海軍の十八番。ロングレンジでも航跡をださぬ酸素魚雷、そして急降下爆撃も十八番。250キロ爆弾がある。ともにもちろん、当たらない。切り札・ヤマトの46センチ砲はどこだ?ああ、靴は一足だ。アキラは小学生のころから大の運動音痴だし。それに相手の敏捷さは、山の沢水のようにすばしこい。

アキラは靴を拾い、思う。高校生の頃から、僕は一体いくつの靴やスリッパを猫に投げたことだろう。嫌いで嫌いで虫唾がはしる。お前の瞳孔はなぜ縦長なのだ? そんな動物は見たことがない。それにその気ままさ。何を考えている? 今度捕まえたら差し押さえて、まずは瞳孔を切開してやろう。まん丸に。犬のように。

西日が射す住宅地にクソ猫のシルエットが伸びる。雑草がさわさわと。

アキラはケイコに自慢する。「また、いじめてやったぜ。クソ猫」

サンマを焼きながらケイコは言う。「馬鹿ね、やめなさいよ」

セーラー服を脱ぎながらスミエは言う。「お馬鹿なトーチャンだこと」

コオロギの啼く夕べ。月は長い影を作る。物音。ピタリと鳴きやんだ。ああ、クソ猫め。コオロギも食べるのか。秋の風物詩なのに。

その夜、信じられないことが起きた。ブウウンと音がした。アキラを無数のドローンが襲うのだった。四方八方から迫りくるドローン、丸い視界はドローンで埋まりそうだ。自爆ドローンか。ああ、年貢の納め時。

そして気づく。ドローンが生きている。縦長の光線を、レーザー光線のように発している。ピンポイントで、来る。なんと、ドローンの下には猫がぶら下がっている。光線は縦長の瞳孔から。そして彼らは小さなスティックをいじり確実に目標へ。

ねこドローン!

被弾直前に猫はドローンから発射され、アキラに襲い掛かる。次々と襲い掛かる猫の急降下特攻隊。

くそう、あの鋭い爪が。尖った歯が。痛い痛い。怖い怖い。引っ掻かれる前から大声。

無数の猫たちは、しかし意外にも着弾と共にアキラをペロペロと舐める。舐めてくれるのはマルだけでよい。お前ら汚いよ、猫菌がうつる。

マル、助けて。と、しがみつく。しかし、なんだかいつもと違う。抱きついたマルの黒い皮がぬるりと剥がれ。あの彼の丸いお目々もポロリと落ちる。ええ!プラスチックだったの?君のお目め。

「うざいニヤー」とマルは言う。うるさいワンのはずだ!

アキラは慌てて顔を洗いに行く。悪い夢さ。

早起きのケイコはもう起きて、顔を洗っていた。メザシを焼く匂いがする。今日もメザシか。嫌いではないけれど、飽きた。するとケイコは振り向く。え!

「トーチャン、邪魔。歯を磨くから」

ああ、スミエまで。

二人ともフードを被っている。ファスナーを下ろしてパーカーか。その下は!

キラリと縦長の瞳孔が光った。見れば、乳液をつけるケイコの手も、歯ブラシを握るスミエの手も、鋭い爪。なんだこりゃ。

振り返るとマルは爪を壁で研いでいる。ああ、綺麗にしていた家なのに。

「アナタ、今ごろ知ったのかニャ。私たちはただフリをしていただけにゃ。でもあまりにいじめるから。魚雷に急降下爆撃など、ひどい。もう耐えられないニャ。」

ううう、ごめん。

玄関の犬の置物。スヌーピーがいつの間にかフェリックス・キャットに。ええ、パグのタペストリは、三毛猫のタペストリーに。

猫の家にアキラは棲んでいる。いつか家中は猫だらけ。先ほど酸素魚雷を放った相手も、これまで攻撃してきた彼らもいる。

我に救いを!

悔い改めなさい。

書棚の新訳聖書を開く。マタイ福音書のページにしおり。ええ!これもまた、猫のイラストのしおり!!

どうしたらいいのだろう。

足の速い人

土手の道。もう五十年も知った川。そして三年前までの僕のサイクリング道。

高原の我が家に向かう乗換駅へと僕は急ぐ。都会の電車は何が起きるかわからぬから。時に止まってしまうし。

一本でも早い電車に乗りたいところ。

スタスタと音がしたと思えば、若い女性が僕を追い抜くのだった。パンプスでもスニーカーでもないけれどローヒール。

ああ畜生。僕はウォーキングシューズなのに。

あれは妙高山の登山道だった。僕は関温泉からの道も取らずに、正攻法の真っ向勝負。表の赤倉ルート。やはり妙高山はがっぷり四つといきたいから。

途中で足音を感じた。ショスタコーヴィチの、交響曲第五番「レニングラード」で描かれた、あの、ドイツ軍の進軍のように思えた。ぐんぐんと迫りくる。

足跡の主は女性。僕よりも年上。

負けてなるものか。僕は足を早めた。ハアハアと荒い息。

彼女は僕をふわりと音もなく追い越し、火山ガスのなかに消えていく。ああ、ドイツ機甲師団は全くすごいものだ。レニングラードも直ぐに陥落だな。

鎖場があった。表ルートの難所。一枚岩。長い鎖を頼りに三点確保。若い女性の二人連れはここで進みあぐねていた。そうかもしれない。あの機甲師団の戦車はとうに突破したか。

そこから山頂までは遠くはない。山頂では彼女が戦車のハッチを開けていた。聞けば今日は黒沢池ヒュッテか。明日は火打、明後日は高妻山…そりゃすごい。電撃戦もわかる。東部戦線異状なし。マイバッハの十二気筒エンジンだからな。

来た道を戻ろうとして十分。動けなくなった。足がつった。頑張ったツケ。芍薬甘草湯を流し込んで、少し気を落ち着ける。

僕には僕のペースがある。無理は何処かで歪が出るもの。

ローヒールの彼女は豆粒に。駅を目指す帰宅者の波に消えてしまった。

妙高山、土手、追いつけぬ。

しかしどうやら僕も。高原への乗り換え列車には間に合うだろう。

懸命もいいけれど

ゴーグル越しに見えるのだった。隣のレーンの方の足の動き。なるほど、これはカエルの足だ。キックしているようにも見える。水泡がぶくぶく。

僕はあんな風には動かせない。一応、それもどき。手も同様に。足と手の動作が連動するべきなのかもわからない。水泡は、わからない。

ブクブクと、能う限りの息を肺から絞り出す。ゴボゴボ。そしてガバッと顔をあげる。ハァっと可能な限り息を吸って、また繰り返す。

壁。プールの壁。それが見えると焦る。何とか、泳ぎ切るのだ。手足は疲れてしまう。最後はバタ足でいいや。

壁を掴んで足を着く。

ああ、ああ。息が荒い。25メートル。泳いだな。

これが僕の平泳ぎ。なにせ60歳まで泳げなかったのだから。少しでも健康でありたいと思って始めた水泳。もしかしたら水着の上にだらりと乗った腹も、いつかは少しばかり小さくならぬかと。

戻りは背泳ぎ。唯一、子供のころから泳げた泳ぎ方。

こんな往復を繰り返すのだが、往路の平泳ぎは二回まで。三回目は息が続かず、足もつりそうになる。プールの途中で立ってしまう。お隣さんは延々と、休まずに。いつか四回、泳げぬものか。

三度目のトライだった。余り向きにならずにやってみようか。それに、ゴーグルからプールの中を見ることはやめてみよう。隣の人はうまい。泳げばプールの壁はいつか到着する。僕が息が辛くなるのは、隣の人というよりもゴールが見えるからだった。終点を前にすると、どうにも焦ってジタバタしてしまう。

僕は思い立って、目をつむって泳ぐようにした。全ての動作を緩く。なんだか意外に楽なのだった。

見ないとは言っても所詮人間。チラリとゴールが見える。しかし、見ないことにしておく。

手を伸ばすと、壁だった。つまり僕は三本目の平泳ぎを泳ぎ切った。小さな快挙だった。何よりも、力まずに淡々と手足を動かしたのが良かったのかもしれない。

あの頃、多分僕は懸命だった。狭いエコノミー席に座り12時間。シカゴだったし、フランクフルトでもあっただろう。飛行機の中で目を通そうと思った書類も、眠くて結局カバンから出すことも無かった。ホテルに着いたら……。しかし商談が上手くいった覚えはなかった。ホテルに着いて、モデムにノートPCを立ち上げて。メールは来ていない。明日の資料はスライドに。見直してみる。まだ、ウィンドウズがそこまで賢くもなく、世界がネットでつながる前の話。

今、僕はどうだろう。還暦を過ぎて得た仕事。真面目に取り組んではいる。ノートPCを相手に唸る事もある。しかし、どこかでこんな風に思っている。

いつ辞めても構わないな。やってもやらなくても、いいな。でも、やった方が楽しいに決まっている。明日は、アレ、片付けようと、少し楽しみでもあるし。

もしかしたらこれは、全てに通じるかもしれぬ。プールが最たる例だろうか。力を抜いて泳ぐと意外にスルスルと。なにせタイムもヘチマのないのだから。

懸命もいいけれどね……。

庭の樹々。夏の風に思いきり揺れる。なんだか、あれでいいな。

黄色い付箋

僕は知り合いとなった作家さんに二冊の本を渡したのだった。一冊は出版社から世に出たばかりのもの。もう一冊は校正もしないままとりあえず本の形にしたもの。読んでいただきたいな、と。

磯の香りのする街。松林が見えそうな路地に彼を訪問した。魚の美味い港町だった。

幾冊もの彼の著作を僕は車に乗せてきた。そのすべてにサインをしていただいたのだった。ラインや電話では話していたが。初対面の作家さん、そして、サイクリストさん。どちらも。初めてという気もしないのは彼の文章を幾冊も読んでいたからだろう。

僕は自転車、それも速く走る事に最適化された炭素繊維の自転車ではなく、クロムモリブデン鋼の、トップチューブが地面と水平になっている自転車が好きだ。スローな旅の友だから。見ているだけでうっとりする。相手はただの鉄の塊なのに。

僕はなぜ、納期二年の工房にフレームを頼んだのだろうか?

すべて彼のおかげ。彼の本に出会う前から僕は自転車旅をしていたが、その書物はある種の方向性を決めてくれた。道しるべ。

自転車旅の入門書、そして旅のエッセイ。さらには自転車がまるで時間と空間を縫い合わすような重要な役割をする小説集。

工房、あのトーエイ社から届いた緑色のフレーム。お世話になっていた自転車店のご主人に組んでもらった。

それはランドナーと呼ばれる旅の為の自転車。変速はダウンチューブに手を伸ばす必要がある。泥よけは旅の途中の不意の雨からサイクリストを守る。皮のサドルは使いこなすと尻のカタチにフィットする。そんな彼にまたがり僕は幾つもの小さな旅をした。

すべての旅の軌跡を一筆書きにつなげよう、それは僕のテーマとなった。北は福島、西は長野まで。僕の軌跡は、クランクの動きと共に長い糸となり、切れずに一本につながっている。蛇行しながら。人力のSLが走る様に。書に記された彼の旅はもっと規模が大きい。そしてそれを記した風景は、時空を越えて手に届く。

そんな本を世に送り出した作家さんと知り合いになれるとも思わなかったが、SNSの時代だった。デジタルの海の中からアナログなつながりが生まれるのも面白い話だろう。

僕の住む高原に、自転車乗りの作家さんはキャンピング・カーに乗ってふらりとおいでになった。手には僕の渡したまだ校正前の、売り出し方も決めていない本があった。

沢山の黄色い付箋が付いていた。

読んで頂いたか。

「二冊とも読んでいて心地よいですね」

そう言って頂いた。小さな温かい波が僕の心の防波堤に届く。

自分の部屋で沢山の自転車の話と本の話。そして、それでは、と彼は一冊を広げ、付箋の箇所に進む。

作家さんは校正をしてくれていたのだった。僕は句読点のつけ方が下手だ。また、場面転換に使う記号や心の余韻を示す記号の使い方も。ルールが無い。だからその場限り。

それらの一つ一つを、まるで整備士が飛行機の内部を懐中電灯で照らしながら、ヘキサゴンレンチで増し締めするかのように、見てゆく。
すべてが終わって少し、いやとても疲れた。けれど彼は丁寧に事を進めてくださった。作家さんの目線は、何も漏らさない。

珈琲でも、とカフェを併設した小さな森の書店に。

店主が実際に読んで納得した本しか置かない、というこだわりの小さな書店。静かなジャズやボサノバの中、淹れたての珈琲。半月前に入荷した僕の本は、一冊も売れていないようだった。

まあそれも、あり。

次もまた売れないかな。しかし今回は作家さんに校正をして頂いた。

この本、読んでみてください。推敲はまだですが。僕は書店の主に手渡す。白紙の背表紙の本。いつかそこに書の題名が印刷され、この店の書棚に並ぶ日を思い。

今度は、サイクリング、いや、ポタリングですね。僕の街は、富士山の見えるたくさんのよいルートがありますよ。そう三歳年上の作家さんは笑う。

いきますよ、トーエイを載せて。

彼はトーエイか、ロイヤルノートンか、ケルビムか。

キャンピング・カーは杜の中に消えていく。