ねぇ、あれとって。そこにあるでしょ。
これ見て、これ。
あの事だけどさ・・。
そんな会話が続くと何故か苛立たしくなるのは脳腫瘍を摘出するための外科手術の影響でなにかの「緒」が切れたからなのだろうか?頭を開き病巣を取り出しホチキスで縫合してからは、まるで思考回路がショートしたかのように持ち前の短気さに拍車がかかった。とばっちりを受けたのは生活を共にする家内だった。
あれって何?これって?そこって何処?あの事って何の事?
少し考えれば、一握りの想像力を働かせれば済む話なのに頭には幾つもの?が湧く。実はあれこれそれが概ね分かっていることもあるが、最初からきちんと系統立てて話してほしいのでそう言ってしまう。しかもまくし立ててしまうからますます悪質だ。
品名にしても場所や地名にしてもモノには名詞があるんだからさ、それで話してよ。代名詞はダメだな。無駄な質疑応答が生じるからな。そうだ、我が家は代名詞禁止にしよう。家の法律にすればよい。
そんなつまらぬ強権発動をする狂った権力者はこうして生まれる。しかし心配ご無用、彼は裸の王様に過ぎない。彼が定めようとしている法律は一時しのぎで、決して定着しない。真の権力者は誰なのかは我が家の犬の行動を見れば明らかなのだ。彼は群の長を自然と見つけるのだから。
代名詞は便利で、それで話が通じるのは親しい関係性の証でもある。それを受け止めて、何だろうと斟酌するのは特に苦痛を伴わないし、そもそも考えずともほぼ正しく理解できる。ツーとカーだ。が自分は高齢から来る頑迷さなのかあるいは生来の気質が顕在化したのかはわからない。直ぐにイライラしてしまう。
これは抑えなければならない。しかしこうも思う。この会話は言い方には気をつけるべきだが、実は良い点があるのではないか・・
・代名詞から名刺を推量するのは頭のトレーニングになる。そもそもその名刺を忘れかけているかもしれぬ。大脳皮質の奥から引っ張り出せる。
・会話が増えるかもしれない。話がピンポンになり次の会話へ進むだろう。それは関係性において潤滑油になるのではないか。
・モノの言い方を考える機会になる。相手を不快にさせぬ・傷つけぬ様な気づかいはが出来る。またそれは感情のコントロールにもつながる。
三つの好ましい考え方が生まれた。つまらぬ法律は廃案にして、しっかり何かを考えて会話を増やし言い方を考えよう。すると堪忍袋の「緒」も切れまい。還暦を過ぎてからでも人生を楽しく滞りなく過ごすためのTIPsがこうして浮かんだ。つまらない法案を考える事もありがたいものだ。