日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

非課税世帯の憂鬱

非課税世帯。サラリーマンの頃は知らない単語だった。細かい定義はあるにせよ平易に言うならば年間の「収入」が100万円以下の世帯、と言う。

35年務めた会社は希望退職に応募して早期退職。3ヶ月後に就職した会社は研修期間中に病に罹患し試用期間で治療も終わらず自己都合扱いで退職。半年ほどしてパート開始。

パートは週に3回で4時間程度。家内のパートも同様。パートは二人してそれぞれ地元社会の為に役立つ仕事をしている。僅かでも地元にためになる、社会とのつながりを持つ、知らない世界に触れるという新鮮さ、そんなためにやっている。そこには小さな楽しみもある。「ささやかなるやり甲斐」という奴だ。

毎年5月に見直される税金や保険類。サラリーマンは見なしで給与から源泉徴収されるが前年度収入に対しての計算なので、早期退職した翌年は苦しいものがあった。

今年の見直しサイクルにて「非課税世帯特別給付金」の申請書とともにその旨の案内が届いた。そこには非課税世帯である旨と、特別給付金の申込用紙が入っていた。こんな我が家にも給付金を頂けるのか、と、ありがたく申請した。近く追加の給付金もあると聞く。

とうとう我が家も非課税世帯か。しかし改めて住民税も所得税も払わない、国民健康保険の掛け金も今年から桁が一つ減って、夫婦で月数千円程度に。そんな事実を前にして、ありがたいけど申しわけないという思いもある。払うべきものを払わない。しかし行政サービスは享受する。

非課税世帯は、働かない以上は年金支給までは当然手元資金の切り崩しが主な生活資金になる。分かっていて、自分なりにキャッシュフローを試算した。

もちろん手元資金は「攻めて増やす」。人によってはそうするだろう。しかし愚直な慎重派としては、株にも外貨預金にも手が出ない。売ってしまった持株会で残った端数株と僅かな投資信託・NISA。いずれも負けても気にならない程度やっているのみ。

スーパーで食材を買い物をしていて思うのだ。色々値上げしたなと。それは気づかぬレベルではなく、誰でも気づくレベルでの値上げだった。

きゅうり58円だろ、いや48円だ、68円だ、ピーマン128円は安いな、98円もあるよ、あと5分でお惣菜半額シール貼られるな、いやまだ20%引き止まりだろう、などと喧々諤々しながら買い物を進めても、結局は麺類や惣菜、肉、魚なども何気に値上げしているのだ。電気代、ガソリン、そんなインフラコストも同様。

燃料高騰、電力不足、小麦不足、外国との間での「買い負け」、円安。様々な嬉しくないニュースがあふれる昨今だ。

生活に関わる費用。つまりは「変動費」くらいは稼ぎたい。「限界利益」は確保したいのだ。小さなやりがいをくれるパートでは収入としては荷が重く、ないよりはマシな程度。嬉しいことにパートの賃金は近く上がると合う通知。時給20円増えるというのだ。ありがたいが全く足しにはならない。もともと少ないバート収入のみでは常に家計は赤字だ。他方物価全般の上昇で「損益分岐点」はジワリと上がる。

「喉が渇きそうだ」と自分は思う。「真綿で首を絞められるようだね」と妻も言う。

そんな中我が家でできることはなんだろう。

・収入を増やす
・貯蓄を増やす
・支出を減らす

収入については、病前のようにフルタイム勤務はとても体が応じることは出来ないとよくわかっている。家内もフルタイムは無理だろう。非課税世帯という少し楽な状態から頑張って再び課税世帯になると「固定費」が増えてしまう。これも頭が痛い。

貯蓄を増やすとは、投資や株、FX等による「攻め」だ。もともと勝負事、賭け事は嫌いなのだ。株をやっている知人のように毎日チャートに釘付けもあり得ない。

支出。ここはメスの入れようがありそうだった。家計簿はつけても長続きしない。その辺りにあまりシビアでない夫婦だった。また冷蔵庫の中から期限切れで捨てててしまう加工食品や野菜などもある。これもじわりと効いてくる。

買い物に行く前には冷蔵庫の中身を確認し、二人でそれぞれスマホで家計簿管理をする。そんなことに数ヶ月前から着手した。久々に支出の実態が見えてきたようだ。

そんなある日に付き合いのある証券会社から電話がかかってきた。何かのセールスかと思い切ろうとしたが、「現状でのキャッシュフローを試算し、アドバイスします。」と言われる。いずれはなにかの商品の勧誘だろうがまあ第三者の計算もよいだろう、と、お願いした。真面目に資産内容も伝えることなくオブラートに包んだ。

試算結果は想定どおりだったが、改めて気になるコメントがあった。

・月間支出は「老後2000万円問題」で政府が試算したパラメータである24万円。自分の申告によりそれより少なめで試算しているという事。
・インフレ率はこの試算では年間1%でみていること
・しかしそれでは現状に即さない。すぐに日本は3%に近づくだろうこと。
・それで試算すると全く違う想定になること。
・日本の金利は実質ゼロ。インフレは年3%。すると手元資金価値が実質目減りですね。

それは小学生でもわかる話だった。それでもインフレは海外よりもずっと低いレベルなのだ。

インドなどの新興国の株を中心に投資されたら如何でしょうか。という結論だった。一方でここ数日来、政府(財務・金融相)は「国民の資産所得倍増の為にはNISAを抜本的に拡充し、資産形成上の良い制度としたい」と言っている。非課税枠を増やすのだろうか。

まずは支出を見直して無駄を削るところから。しかし喉の乾く思いは避けたい。難しいさじ加減だ。インド株などへの投資、NISA増額などはすぐには踏み切る気にもなれない。やるにしても火傷覚悟のものだろう。

「足元を見直し、小さく始める」といきたい。

非課税世帯になって憂鬱も増えたが、唯一良かった事は「足元を見直す」ということ、それと夫婦共になりそれらと闘うという「共闘意識」か。二人してのコスト意識の芽生えだ。少し遅すぎたようだが。

まだまだ憂鬱な日々は続くだろう。まるで神頼みだが、どこかでうまくバランスはとれないだろうか。

赤字の原因は低すぎる稼ぎ?3%程度のインフレ?支出過多? 一方でお情けの時給アップでも資産価値は低金利の中増えて行かない。攻めるも守るも厳し。毎月赤字で剰余金が尽きるのを座して待つのみ・・か? 嗚呼、南無三。



秋の夜長にフランス音楽 サンサーンス交響曲第3番

クラシック音楽と言うと「なんだかめんどくさそう」と構えてしまう人が多いとしたら残念だ。自分の入り口はバッハの幾何学的な対位法。そこからモーツァルトで無邪気さの持つ明るさと寂しさを感じ、ブラームスシューマンでの淡く・濃く燃えるロマンの愁いに酔い、ブルックナーでの神への祈りと宇宙的なエネルギーに打たれた。すべて、ドイツ音楽だ。いずれもすぐには良さが分からないのだろうか。確かに少しの時間の「忍耐」の類は必要かもしれない。アタリメのようなものか。

そんな中で、あまり「どうも苦手だな」という音楽もあれば、「聞きたいけど時間かかりそう」と敬遠するものもある。前者は自分にとってはスラブ系、それにマーラー。後者はオペラだろう。スラブ系は独特の「濃さ」がありどうも遠のく。マーラーは何故苦手なのか上手く説明できない。神経質すぎるのか、聞くと憂鬱になり肩が凝る。有名な第五番のアダージェットすら、ヴィスコンティの映画に使われなかったらどうなのだろうか。オペラは序曲であれば純粋に管弦楽として楽しいし、アリアは歌手の素晴らしさを味わえる。が、ドイツ語・イタリア語もわからずに聴く劇音楽も敷居が高い。舞台に触れてなんぼ、と言う世界だろうか。

実はフランス音楽もあまり聞く機会はない。ラヴェルフォーレ、一部ドビュッシー程度。スラブ系を聴かず、マーラーは毛嫌い、オペラも苦手、フランス系もあまり聞かない。もったいない気がする。

そんな訳で、まずはフランス音楽を聴いてみようと思う。夜半に意識を失い救急車で運ばれた病院でその病名を医師から聞いた時に「ああ脳腫瘍ですか。ラヴェルと同じ病ですね。彼の音楽を聴きたいな」と自分はひどくのんびりと答えたと、居合わせた家内と娘は言う。(*) そのように口に出るとはやはり好きだったのだろう。

僅かしか知らぬフランス音楽でもすぐに感じる魅力は色彩の豊かさだった。そこにはドイツロマン派のもつ憂いなどはなく、水彩画の様に描かれるフランスの田園風景が頭に浮かぶ。今風に言うならば「癒し」もある。しかし曲によってはめまぐるしく音は跳ね、様々な色を放ち、それを追いかけることも出来なくなってしまう。がそれもフランス音楽の世界なのだろう。

この色彩感は国民性から来ているのか。小澤征爾氏の著作「ボクの音楽武者修行(新潮文庫)」に興味深い記載があった。

「フランスからドイツで車で移動すると国境を越えたとたんに景色が変わる。家の建ち方も整然として関連性がある上に、家々もきちんと庭の隅々まで整理が行き届いていてその秩序に感心する。一方今超えてきた国境の向こう、フランスを思えば家々はバラバラに建っている。しかしそこになんともいえぬ柔らかさがある。」

またこうも書かれている。「フランスのオーケストラでの練習はタクトを止めて何かしゃべろうとしてもオーケストラの面々は各々おしゃべりを辞めない。一方でドイツのオーケストラはタクト一つでピタリと静寂になり指揮者の次の一言を待つ。しかし決してフランス人が指揮者を尊敬していない訳はなく、ただ個人のやりたいことを優先するのだ」と。

1950年代に同氏が感じたその気持ちは、両国に住んだ自分としてはよくわかる。自分も車で何度となく両国の国境を越えた。ドイツのオフィスでドイツ人と、フランスのオフィスでフランス人とそれぞれ膝を交えて仕事をした。ドイツとフランス、どちらが住みやすいか、どちらが好きか? と、ドイツ人は必ず聞いてくる。しかしフランス人はそんなことも聞かない。 ドイツ音楽が持つある種の統一性と、フランス音楽の持つ色彩感は、やはり国民性の反映だろうか。そう思うと、音楽一つでも興味深い。

フランス音楽をもう少し聴いてみよう、と思ったきっかけは、ビゼーだった。一曲しかない「交響曲」に惹かれた。まるでドイツ古典派の様な構築美もあれば色彩感もある。演奏も良かった。茨城県ご出身の友人から借りた同曲のCDは「小澤征爾指揮・水戸室内管弦楽団演奏」によるものだった。友人としては生誕地に生まれた世界レベルの室内管弦楽団とその総監督の演奏は買わずにはおれなかったのだろう。

学校を卒業し単身で欧州に乗り込んだ小澤征爾氏が、最初に師事したのがフランスの大指揮者シャルル・ミュンシュだと氏の自著を通じて知った。するとフランス音楽は彼の得意とするところだろう。実際彼の指揮するフランス音楽は定評があり、それは自分も経験した。パリ・シャンゼリゼ劇場。オケはフランス国立管弦楽団。演目はベルリオーズ幻想交響曲」とラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」だった。熱気の入った指揮にスタンディングオベーションは長く続いた。

ビゼーに気を良くして、今度はサン・サーンスを聴いている。「交響曲第3番・オルガン付き」。20年近く前にCDを買ったがその際は何も印象に残らなかった。今棚を探すとそのCDはない。多分つまらなくて売ってしまったのだろうと思う。しかし今なら違うかもしれない。

改めて手に入れたCDは小澤征爾指揮・フランス国立管弦楽団の演奏だった。あのシャンゼリゼ劇場での興奮再び。全く同じメンツの演奏だ。豊かな色彩感に満たされる中にドイツ風なフーガもあり、期待をはるかに超えた曲だった。壮大なオルガンも舞うように踊るピアノも素晴らしい。当時これがなぜ響かなかったかは分からない。

感受性は年齢とともに変わるのだろうか。若き時の印象で蓋をしてしまったらつまらない。まだまだ素晴らしい音楽は沢山あるようだ。何も知らないことはもったいない。逆に言えば楽しむ世界がまだ無限に残っている。なんと夢のある話だろう。

秋の夜長に聴くフランス音楽。様々な世界を教えてくれてとても嬉しいが、寝不足にはならないようにしよう。

(*)https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2021/11/23/223104

「ボクの音楽武者修行(新潮文庫)」は昭和37年(27歳)までの氏の自叙伝。今読んでも若さのエネルギーを感じる。日米欧の文化論としても読める。サン・サーンスの素晴らしさも教えてくれた。

 

埼玉中部の麺ならば 毛呂山・大海軒

今では主流ではない味かもしれない。しかし、いつもながらに「中華そば」「支那そば」と呼ばれるものが好きだ。様々に多様化するラーメンの世界でも、この手の味が健在なのは嬉しい。一口に「中華そば」「支那そば」と言って、実は様々な世界があるだろう。生醤油ベース、チャーシューの煮汁ベースなど「かえし」の違いも大きそうだ。しかしすぐにわかるのはスープの違いだろうか。煮干し・ブシ系の強い味もあれば、鶏ガラベースのあっさりしたものもある。麺も個性が出るところだ。「麺・スープと具・お店の親父の所作の美しさ」。これが自分にとって美味しいラーメンの三要素であることには変わりない。

さて埼玉県でも中部にあたるだろう、八高線エリア。八王子と高崎を結ぶこの路線は電化は一部のみというローカル感がある。ここでのお気に入りは毛呂駅前の「大海軒」。永福町大勝軒の流れを強く汲むこの店には、事あるごとに立ち寄ってきた。奥武蔵と言われるこの地域は低山も多く、また、自分自身もハイキングやサイクリングで訪れる機会があるエリアだった。いや、それらは「ついで」で、この店で食べることが主目的だった、と言わざるを得ない。

先日のハイキングは小さな行程であることを前提にコースを組んだが、コースの最後に計画したその締めはやはり「ここ」だった。

永福町の流れを汲み麺は多い。澄んだ醤油のスープには油膜が浮かび、うっかりレンゲで飲もうとしたら口中火傷することは必至だ。しかしえもいえぬ「ブシ系」のにおいが心地よい。柚子の皮の小切片が入っているのも素晴らしいアクセントだ。

前回訪問からは3年、いや4年ぶりくらいだろうか。家族経営と思われる厨房の呼吸は相変わらず抜群だった。つまりは「三要素」をすべて高次で満たす納得の味だった。一杯を仕上げる所作や呼吸感までも楽しめるのがラーメンなのだ。

埼玉中部ならやはりここだな。唸ってしまう。さて、次回はいつ来ることか。残念ながら自宅のあるエリアからはかなり遠い。また魅力的な「付属となるハイキングやサイクリングルート」を考えなくてはいけない。

幸せなことに平和な悩みは尽きない。

麺は多い。それを知ってのワンタンメン。スープは熱くて火傷する。三角の海苔、ナルト、嬉しくてたまらない「しっかり茹ででくれた玉子」、歯ごたえのあるメンマ、肉の味が素晴らしいチャーシュー。ああ、なんという「小さな大宇宙」だろう。この一杯の引力は半端ない。

 

彼岸花の山

標高にしたら400mにも満たない小さな山歩きだった。

登り始めから植林帯で山頂はわずかに都心方面が開けている。再び植林帯で、山麓の温泉のあるリゾート施設のわずか手前でほんの少しの雑木林の道だった。

植林の山はあまり気持ちの良いものでもない。檜と杉の独特の匂いと湿度。季節感のない木々。何よりも薄ら暗いこと。簡単に言うと陰気臭い山なのだ。ブナやミズナラクヌギの茂る天然林とは大違いだ。

えてして良い記憶を残さない植林帯の山だが、今日の山が少し嬉しかったのは、何も山麓に咲く見事な彼岸花のおかげばかりでもなかった。

友と二人の山。足の早い友に遅れを取りゆっくりと山頂への最後のツメに取り掛かるあたりで、後ろから小さな男の子がやってきた。小学生ならば低学年だろう。この子一人の訳もないだろう

「僕、パパかママは?」
「パパがいるけどちっちゃいのがいるから遅いよ」

どうしてもニュースを賑わした数年前の痛ましい出来事を思い出してしまう。里山とはいえ林は薄暗く一歩外せばヤブも濃かった。この中に入ったら誰も簡単には探せないだろう。

「パパが来るまで待ってよう。そこの木に座って待ってよう。」

少年は身一つだったので甘いキャンディを上げた。彼は直ぐに座るのに飽きてチョコチョコと登山道を行ったり来たりしていたが、やがてより小さな息子さんを連れたまだ若いお父さんが登ってきた。ああよかった。そんな彼に少しだけ挨拶をして山頂に向かった。もう大丈夫だった。

山頂は自分よりも年上の元気なパーティや大型の犬を連れた夫婦などで一杯だった。

久しぶりに腰を据えてアマチュア無線運用をした。2局目に呼んでくれた局は、自分がインターネット上に公開している記事の読者さんだった。「無線関連の記事や他の記事などをまさに昨晩まで読んでいました。あの記事のライターさんと交信できて嬉しいです」と言って頂いた。

大した内容でもなく手慰めで書いているような記事ばかりだ。しかしそれを読んで頂き、さらなる偶然でアマチュア無線で交信できるのだから不思議なものだった。

再び植林帯の暗い尾根道を下山する。林が途切れたところで眼下に温泉リゾート施設は近かった。

グランピングやキャンプをする若い家族でそこは一杯だった。自分たち家族がもう20年遅ければ間違いなくここに来ていただろう、日帰り湯はそんな施設と同じチェックインだった。手続きをしているとフロントから天体望遠鏡が若い家族にレンタルされるところだった。ああ、ここなら星も綺麗だろう。彼ら家族の今宵の大歓声が想像できた。

風呂から出てロビーに戻ったときにコンパクトカメラがないことに気づいた。更衣室か?慌てて戻りそこにいた若い男性に聞いてみた。すると彼もやけに入念に探してくれた。

それらしい場所になかったので落胆して戻ったが、なんのことはないカメラはしっかりズボンのポケットに入れてあった。カメラを決してなくすまいとそうしたことを思い出した。最近はこんなことばかりだ。

呆けたようにロビーに座っていたら、不意に「カメラありましたか?」と聞かれた。更衣室の男性だった。「ちゃんと持ってましたよ」と答えたら、更にこう続いた。「良かったですね。それとさっきはウチの息子を見ていてくれてありがとうございました。飴も美味しかったそうです」

ああ、あの山頂直下で会った親子だったのか。そう言えば元気な二人の男の子も更衣室にいたな。お父さん、他人事ながら妙に真剣に捜してくれたのにはそんなわけがあったのか…。

自分の書いたモノの読者さんに電波の上で遭うのも不思議だし、さして大きな山でもないにせよこうして時を経てから再会するのも不思議だった。蒔いた種ではないが気にもとめぬそんなことが大きな花になって帰ってきたようだった。

山麓に美しかった彼岸花も誰かが植えた球根か、自然増殖したのかはわからない。しかし特別の期待もなく当たり前のことをずっとしていれば、何らかの形で還ってくる事があると知った。平常心で何かをしていれば、きっと、それは不意に自分のもとへ巡り還ってくる。それは年に一度綺麗な花を咲かせる彼岸花のようなもんだろう。

彼岸花に彩られた今日の山は、美しく、豊かな気持ちだった。

秋の山。山麓彼岸花で赤く輝く。誰が蒔いた球根なのか、自然に増殖したのか。何かを普通にやっていれば思わぬ出会いや何かのかたちで還ってくる。そんなことに気づいた秋の小さな山歩きだった。

 

山道具の補修・破れた登山パンツ

登山パンツは夏用、春秋用、秋冬用と季節と残雪の有無、登山する山の標高に応じて3種類を使っている。かつてはニッカボッカ―も使っていたが、あまりにレトロで最近は出陣機会はない。

春先のトレッキングで登山道に横たわっていた倒木に足を引っかけた。悪い事に倒木には小さな幹が伸びていてそれに登山パンツが引っ掛かってしまった。加齢だと思う。というのも以前ならもっと高く足を上げて倒木をクリアしていただろうから。意識せずとも足を上げる高さも変わり、足を運ぶ速度も変わる。それを受け入れての登山をしている。

登山パンツに引っかかっただけなら良かったが、勢いづいていたのでそのまま転んでしまった。お陰でパンツの傷跡は大きくなり、枝を抜いたら親指大のカギ裂きがあった。

登山パンツはストレッチ素材で、昔の生地なら針と糸で縫っていたが自分の手法はこのパンツには歯が立ちそうになかった。同行していた山仲間のアドバイスで補修布と補修ボンドで直そうと決めた。

夏過ぎてはや秋深しの感。高い山に行くのならこのパンツの出番だ。洗濯したままだったパンツを引っ張り出して、100円ショップで買った2点、「補修布」と「布地のほつれ止め液」で補修した。

補修布はナイロン製のテントや雨具の補修テープと原理は同じ。後者は糊面があり貼り付けるのだが、前者はアイロンで張り付けるものだった。

細かいほつれをはさみで切ってから中温のアイロンで裏から補修布を張り付けた。剥がれる様子もない。表面に返し、鍵裂きの傷跡のうえにたっぷりと補修ボンドを塗布した。

なかなか良い仕上がり具合だった。このパンツももう25年は使っている。未だに現役で、さすがにほつれも多いが風が冷たくなる季節はこのパンツは欠かせない。

山道具はいずれも長く使う。消耗品的要素の強いものもあれば、長く使えるものもある。いずれも使い込んで、壊れたら自分で治すことで、愛着もわく。手を取ってじっくり見ることで思わぬ劣化などに気づくこともある。

登攀家がザイルをチェックしクライミングギアを点検する。山スキーヤーがビンディングを調整し、シールの接着面を補修しビーコン動作を確認する。ハイカーが登山靴の靴ひもを交換する。皮の登山靴にミンクオイルは1年に1回程度、あとは山行の前後に防水ワックスを塗りこめる。自分はクライミングはやらないが、それ以外は大切なルーチンだ。

山歩きの道具は大切なパートナー。だから誰しも入念に確認するし、何よりもいじるのは愉しい。サイクリストが自転車をいじるのを無上の楽しみにするのと同じだ。

今年の秋の連休は二週連続の台風でやりこまれた。予定していた山は延期した。お陰もありようやく懸案だったパンツの補修も出来た。道具を補修することでそんな自分もまだ一応は「登山・ハイキング愛好者」であるという想いを新たにした。そんな意味で、有意義だった。

台風の雨も悪くはない。

アイロン台を取り出して裏面から「補修布」を貼り付けてみた。そして「ほつれ止め」を塗った。これでしばらくはこれまで通りの「信頼できるパートナー」だろう。

 

医者との付き合い 悪性リンパ腫その後

良い医者とは何だろう。症状に合わせた治療をしてくれる医師か。自分の納得のいく説明をしてくれる医師か。安心感を与えてくれる医師だろうか。

最初のポイントが最も大切だろうが、後者2点も重要だ。余り説明を受けぬままとにかく治療を受けて治癒。それは素晴らしいが病が単純でない場合はそうもいかないだろう。患者もきちんと知りたいし、安心したいのだから。

自分の病(悪性リンパ腫起因による脳腫瘍)では脳外科との付き合いは余り濃密ではなかった。切除野を示してくれるでもなく、とにかく腫瘍は可能な限り切り取ってその細胞診断をしてくれた。詳しい説明もしてくれたのかもしれないが、なにせこちらの記憶は飛んでいる。微妙な手術を神がかったメスさばきで行ってくれた、素晴らしい医師だったと思う。

転院した違う病院での血液内科の主治医は「対話」を大切にしてくれた。自分の腫瘍のタイプと進行具合(ステージ)、治療法、そして平均余命について、全てを包み隠さず説明してくれた。こちらがどんな素人レベルで質問をしても、気長にわかりやすく説明してくれた。入院時の家内を交えた面談が2時間以上かかったのだから、その懇切丁寧ぶりがしのばれる。医者としては言いずらいかもしれないセカンドオピニオンについても、積極的に他院にも確認してほしいとすら語ってくれた。

その面談の後、心から納得して「この先生の治療を信じよう」と思ったのだった。3か月の入院と3か月の通院に渡る長い治療の幕開けだった。

主治医の予定した治療を終えてからは、満足のいく結果をもって「様子見モード」に移行した。最後の診療で、主治医が自分に語ってくれた今後5年間の生存の確率にはショックを受けたが、ある程度想像をしていたことでもあった。そして彼は最後に言う。「もう二度と自分とは会わないようになればいいですね。」

最期まで主治医は、「信頼できる医者」だった。彼の治療を受けてとても良かったと思ったのだった。

その後の「様子見モード」での治療は、同じ病院の医者が派遣されている小さなクリニックだった。新しい医師も入院していた病棟で見かけていた。同じ血液内科の医者だった。

様子見モードでの治療は、毎月の血液検査。半年おき程度でのCT検査。それの繰り返しだ。新しい主治医さんは前と異なり徹底的に患者と寄り添うという感じはあまり感じなかった。質問に対する回答もあっさりして、毎回その診療は数分間の時間だった。

血液検査のフィードバックではすべてのデータ値を参考にするのだが、自分の場合は「可溶性IL-2R」という値が大切だった。これが安全圏ですから大丈夫です。そんな説明だった。なんだろう、これは。一般的な腫瘍マーカーなのか。それもわからなかったが、特に問題ないという事で自分も深追いはしなかった。

先日の血液検査の結果を見て主治医は首をかしげてこう尋ねた。

「採血前になにかキツイ運動されましたか?」

何故わかるのだろう。仰る通りでその採血2日前に登山をして、筋肉痛で歩くのも厳しい状態で採血したのだ。

「それがわかるのですか?確かに2日前にハードな登山をしました」というと、数多ある検査項目の中から「CK」という項目を示して説明してくれた。「これが高いからわかるのです。」

どういう意味なのか、いくつか質問の仕方を変えてみるとよくわかる答えが来た。

「これは筋肉に含まれる酵素ですが運動などで破損すると血液に流出します。これの血中濃度が多いという事は筋肉組織が大きく傷ついているという事です。」

なるほど、と膝を打った。

さすが医者だった。すべてがロジカルで、とても分かりやすかった。そしてついでに聞いてみた。「いつもチェックされている「可溶性IL-2R」とは何ですか?いわゆる腫瘍マーカーでしょうか?」

「これは可溶性インターロイキン2レセプターといい、腫瘍マーカーともいえますが、悪性リンパ腫の再発を見ている値ですよ。数値が高く鳴れば悪性リンパ腫が疑われるのです。」

これもまたこれまでの曖昧な想いが氷解する答えだった。自分の病にピンポイントした観察値だったのだ。

素晴らしい医者だったのだ。説明の仕方や人との向き合い方にはやはり人間としての個性がある。そのことにようやく気付いた。必要以上の事は語らずいたずらな不安は与えないものの患者が知りたいことは全て納得のいく説明をしてくれる、それだけの事だった。

最初の主治医が例外的だったのかもしれない。すべてにオープンに向き合い時間をかけてくれた。しかし今の主治医の目利きの良さも流石だと思うのだった。さすがに血液内科の看板を掲げているだけあった。

患者にとって良い医者とはなにか。適切な治療は当然で、医師免許を取得した方である以上それはある程度は担保されるのだろう。何かわからないな?と思う場合は患者側から欲しい情報を引き出せばよいだけの事だった。「知りたい」という想いがあれば誰しも真摯に答えてくれる。

いたずらに多くの情報を出して患者を困らせるよりは、必要最低限の開示であとは患者との関係構築の間で進めてけば良い、そういう考えも良くわかるのだった。

毎月血液検査をしているというのはなかなかよいもので、くだんの値以外も肝臓系・生活習慣病系(尿酸値・中性脂肪・善玉悪玉コレステロール・血糖値など)全てが定点観測される。目下全ては青信号。何か兆候があれば、今の主治医がきちんと示してくれるだろう。

少し時間がかかったが、方法論がいくつもあることもわかった。もちろん、これからも良い値であってくれるのが、一番うれしい事だ。なによりも、人を信じる安堵感が心の中に大きい。医者との付き合い方がようやくわかったように思えた。

相手を信じ、コミュニケーションをしっかりとること。医者と患者の関係ばかりでなく、社会でも、家庭でも変わらない。人間は独りで生きているのではないのだから当たり前すぎる話だろう。

血液内科の主治医さんが初回ガイダンスの際に用いてくれた冊子は、今も時々見る。つくづく厄介な病だと思うと同時に、きちんと説明してくれた主治医さんと、今があることに感謝が湧く。相手への信頼が全てだと改めて思うのだった。



麺修行も楽ではない 小平うどん・淵野辺大勝軒

「麺修行」とは美味しいラーメン・麺類を求めて諸国行脚する行為で、その意味での命名者はたぶん自分ではないか。ともかくラーメン(中華そば・支那ソバ)が好きで暇さえあればそこら中に行っていた。それを自ら「修行」とか「行脚」とか呼び、独り悦に入っていたのだからアホの極みだろう。

ちなにみに広辞苑を開くと修業にはいくつもの意味があるようだが「精神を磨き学問・技芸などを収め磨く事」というのがピンとくる。あてつけだがこれなら自分の行為にはうまくはまりそうだ。箔付けされたようなもんだ。

勿論修行で全国行脚される僧であるならば痩身だろう。しかしラーメンで全国行脚する男の腹は無様に膨張している。生臭な修行僧。修行という単語にも申し訳ないところだ。

通っている病院は川崎方面にあり、先日の通院時に、せっかくだから「小さな行脚に出るか」となった。同伴は家内。彼女も気の毒にこれまで「修行・行脚」に付き合ってきた。きっとそれが好きなのだろう、と思っていた。

武蔵野のうどんに惹かれている。極太で赤茶色のうどんは讃岐うどんで育った香川県人である自分を驚愕させた。良く冷えたそれを暖かい肉つけ汁に浸して食べるのが武蔵野では一般的なうどんのようだ。武蔵野ばかりでなく埼玉方面にかけてこのメニューはあるそうだ。小麦の名産地だからだろう。

武蔵村山の「かてうどん」が好きだが台風接近の中そこまで行くのは面倒だった。あ、小平うどんにしてみよう。写真で見ているとそれは武蔵野うどんのフォーマットで、気になっていた。

小平市まで行かずしても、お店は近くにも在った。聖蹟桜ヶ丘だった。300グラムの麺が「ミニ」となっているが、何という量だろう。家内と二人でそれを頂き満足した。もちもちの麺、豚バラとネギがたっぷり入ったしょっぱいつけ汁。あっという間だった。

台風の最中を車に戻る。せっかくここまで北上したのだから何かいいことは?と考えていたら「修行スイッチ」が入ってしまった。このままほぼ西に向かえば、相模原市に出る。JR淵野辺駅の北と南にそれぞれ好きなラーメン屋がある。どちらも大勝軒だ。

家内はこの修行に乗り気だった。ラーメン?食べられるよ、と言う。さすがだ。しかし言った張本人は時間とともに苦しくなってきた。思ったよりも量が多いのだった。運転しながらゲップまでも出てきたが、修行を投げ出してはいけない。使命感があった。

道順的に駅の北側の店に最初に到着した。10年ぶりくらいだろうか?長女とハイキングの帰りに寄った記憶があるがそれが最後だった。しかし今日は暖簾がかかっていなかった。定休日だった。

内心ほっとして駅の南側の店、鹿沼台公園の横にあるもう一軒へ。国道16号からすぐなのでこちらのほうが通った回数は多かった。店内には漫画もあり、子供たちが小さなときは行楽の帰りに良く立ち寄った店だ。しかしこちらも暖簾がかかっていなかった。同様に定休日だったのだ。

「ああよかった」と胸をなでおろした。これで2軒とも開店していたらとんでもないことになっただろう。胃が劣化したのか昔のような過酷な修行は出来なくなったようだ。家内は不満そうだったが、「これも不徳のなすところで」と謝っておいた。

さて、火がついてしまったのだから仕方がない。幸いにここは自宅から1時間で行ける。今度は定休日をしっかり確認して、事前から断食して、一日にして二軒続けての「荒行」に挑むことにしよう。なに、若い頃は平気でやっていたことではないか。全く麺修行も楽ではない。「おいおい、あまり無理するなよ」ともう一人の俗人の自分の声が聞こえる。聖人を目指す追求の旅は、かくも厳しい。

美味しい麺があり、何十年の時を経た今でも営業されているという事はとても素晴らしい事だ。それこそ店主さんの日々の鍛錬・修行のあかしだろう。

「小平」であっても武蔵野うどんはやはり美味しい。次回は武蔵村山まで行ってみよう。

今となっては小宇宙ともいえるこの素晴らしい麺が駅の南北どちらの大勝軒のものかはわからない。しかし客席への太陽光の当たり具合から「駅南側の大勝軒」だろうと思っている。その検証は次回の「麺修行」にて。