日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

年に一度は、夢の国へ

新年の楽しみ、色々ありますね。お正月に漂う独特な空気感は自分にとっては「襟を正して厳粛でもあるし、離れていた家族にも会えてのんびりもできる」そんな、やはり晴れがましく楽しいものです。

自分にとっての新年行事で欠かせないのはもうひとつ。「年に一度の夢の国」を味わう事です。

デジタル放送、ネット、そんなインフラの改善に伴い8時間遅く時間の進む「かの地」からの中継がライブで見られるようになり久しいです。かの地とは、そう、ウィーンです。きらめく美しさと楽しさのワルツとポルカ。ムジークフェラインザールの夢の響き、紡ぎ手はウィーン・フィル。指揮者は毎年変わります。そうです、「ウィーンフィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサート」。元旦の夕べにNHKで放映されるのが楽しみです。

しかしこの時間帯はお正月らしい番組もあるのでもっぱら録画のみ。そんな訳でテレビが空くころ録画をゆっくり見ています。

90年代あたりから歯抜けではありますがニューイヤーコンサートのCDを集めています。カラヤンマゼールアバドクライバー、メータ、ムーティ小澤征爾・・・万事につけてこのあたり指揮で様々なクラシック音楽に接したので、彼らが指揮する年のCDは少し棚にあります。今年はダニエル・バレンボイムが指揮です。

基本的には「ワルツ王」・シュトラウスファミリーの曲目ではありますが、ヨハン1世、ヨハン2世、ヨーゼフ、エドゥアルト、そんな親子兄弟の一家で「よくぞこんなに沢山曲を作ったな」。、そんな感じで毎年新しい演目との出会いばかりです。それにヘルメスベルガーやツィーラーなどの作品も加わるので、自分にとっては「演目全部知っている」という事はあり得ません。いったい対象の作品はいくつあるのだろう?だからいつも新鮮。聞き馴れた曲が来れば嬉しくのめりこんでノッてしまうし、初めての曲はじっくり聴きます。

今年の指揮者、バレンボイムは自分がクラシック音楽を聴きだした頃はピアニストとして著名でした。ただバッハとモーツァルトピアノ曲ばかり聴いていたので彼の演奏にはあまり触れた記憶がありません。同じく、ポリーニアシュケナージなども聴き始めは少し遅れました。

バレンボイムは夭逝したチェリスト、ジャックリーヌ・デュ・プレの旦那さん。そんな程度の知識でした。しかしいつぞや彼は名指揮者。そしてイスラエルの国籍を取り直し、音楽を通じてアラブの世界との平和を訴える活動も始めていました。このあたりからは自分もネットで指揮者としての素晴らしい演奏を目にするようになったのです。

恥ずかしながら第1幕は未知の曲が続きました。そして第2幕の歌劇「こうもり」序曲で「おお!」と盛り上がります。自分の中でのスターであるカルロス・クライバーが自家薬籠中とした曲ですが、負けず劣らず、素晴らしい。そしてエドゥアルト・シュトラウスポルカプラハへの挨拶」、このあたりは唸りました。優しい演奏です。愛聴しているムーティ指揮の2000年版の溌溂とした解釈とはまた違う魅力でした。

最後の2曲は毎年のお約束。イントロのみ演奏していったん休止。「美しき青きドナウ」です。これが無いと収まらないのです。そしてホールを振り返り、「ウィーンフィルから皆様へ、新年おめでとう」の挨拶。、そして指揮者の挨拶は続きます。


ウィーンフィルが今年こうしてここで演奏できることはとても大切なことです。
しかしもっと大切な事、それは皆さんもご存知の通り世界が今とても厳しい情勢に面していることです。
今ここで沢山の音楽家が一つのコミュニティになり、そして皆が同じことを考えています。
コロナは医療の破局ではなく人類の破局であり、それは皆を分断しようとしています。
自分たちはこの音楽家たちが今感じあっているように、それに立ち向かうのです。
今日これらの演目を演ずることがこの今の問題を乗り越えるための素晴らしい見本なのだと考えているのです・・

そんなメッセージを分かりやすくゆっくりと語りかける、その語り口もバレンボイムらしさを感じさせました。
ラストの「ラデツキー行進曲」はこれもゆったり目に演奏。観客席に振り替えり、皆の手拍子を求めるシーンでは、その一体感にやはり涙が出ますね。

いつか、本当に一度でいいから生で、目の前で聴いてみたいウィーンフィルニューイヤーコンサート。しかしそのチケットは抽選でブラチナ。奥さんが毎年応募しようか?と言ってくれますが遠慮しています。お正月は日本ならで味わえる風景に接したいし、この番組は録画をゆっくり見るのが楽しみ方です。今年の「夢の国」、いつも通り素晴らしく楽しめました。今年の演奏は良かったので久々にCDを買おうか、と思っています。

ウィーン・フィルは我が憧れ。初めて聞いたウィーンフィルNHKホール、そして欧州ではパリ・シャンゼリゼ劇場。彼らの演奏で聴いたハイドンシューベルトブラームスブルックナー、ベートヴェン・・これらに接した興奮とその記憶を大切にしています。そのウィーンフィルの本拠地であるムジークフェラインザールは自分にとっては「夢の国」です。2008年3月にここで聴いたウィーン交響楽団の演奏会は「夢」のようでした。

ウィーンフィルの映像も長く見ているとメンバーも変わっており、コンマスのライナー・キュッフェル氏を始め好きな奏者もそのメンツが変わってきています。そして、何よりも基本ドイツ・オーストリア人の男性団員に限定されていたオーケストラにも今は女性団員も東洋人の団員もいるのです。それでも変わらぬ伝統の音。ダイバーシティの流れは避けることが出来ず、誰もがそれに向き合い、取り入れていきます。伝統を重んずるウィーンフィルもそうです。皆が変革を求め自ら変わっていく。コロナへの対応もそうあるべきなのでしょう。

今年も「夢の国」から年に一度の中継も楽しめました。バレンボイム氏も言っていたようにコロナの中それを乗り越えたいものです。


1月1日に全世界に向けて放映されるコンサート。英語コメント版がネットに上がっていました。 https://www.youtube.com/watch?v=K6smjwItpM8

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左 : 憧れのムジークフェラインザールにて聴いたウィーン交響楽団のウィーンの春を祝う演奏会。2008年3月、指揮ファビオ・ルイージ

右 : もっとも最近聴いたウィーン・フィルの演奏会は2010年、パリ・シャンゼリゼ劇場にてベートーヴェンの「第9」。2010年11月、指揮クリスティアンティーレマン

さて今年の王様は? ガレット・デ・ロア 2022

長いようで短かったフランスでの生活から帰国して10年以上経過しました。あっという間です。

帰国直前には中学生だった長女も小学生だった次女もそれぞれ結婚や就職で独り立ち。今は親元にはいません。そんな家族ですが、フランスに住んでいたころの新年の最大の楽しみの一つが「ガレッド・デ・ロア(Galette des Rois)」を皆で食べる事です。

ガレット・デ・ロア、言ってみればアーモンドクリームの入ったパイです。その中に主に陶器で出来た「フェイブ」(小さな人形)がどこかに埋もれています。1月6日に家族でそのガレット・デ・ロアを切り分けてフェイブが出てくればその人が「今年の王様」。王様にはガレット・デ・ロアを買うと共に付属してくる「紙で出来た王冠」を被って頂き皆で祝うのです。フランスの家庭で一般的な行事を、我が日本人家庭でも行っていました。

・・それが楽しかった。今年は誰が王様か。そんなことで新年で一番最初の楽しい催しです。なぜか長女と次女がそれぞれ王様になる確率が高かったのです。

ガレット・デ・ロアは年に一度きりの季節菓子ですので、どの店も腕を振るって商機に備えています。有名店も街のブランジェリーも、それぞれ一世一代の品を作っているのです。

日本に帰国してから、フランスのパンを焼くブランジェリーでも、そして日本に進出していたフランスの有名ブランジェリーでも売っていることが分かり、この日だけは楽しいフランスの新年の行事を続けています。一応1月6日に食べるという事ですが現実には当日以降も1月いっぱい位までは現地でも販売されていましたので、だいたいその時期、としていました。

当時は四人で楽しんでいたガレット・デ・ロアですがいつからかそれが三人になり、そして今年からはこれを楽しむのは自分と家内の二人だけになりました。これでは「今年の王様」争いも熱は入りません。もっぱら美味しいパイ生地にアーモンドのクリーム餡を味わうだけの行事になりました。

皆で目隠しをして切り分けたガレットを「これ!」と言っていた日は遠くなり、「まぁフェイブはどうでもいいじゃん」となっています。

たまたまですが今年は小さなサイズは売り切れで、それこそ4人で食べていたサイズのガレット・デ・ロアしか手に入りませんでした。今日のところは二人でその半分を平らげるのに精いっぱい。その中からフェイブは出ることもなく「今年の王様」は決定できませんでした。

家内との勝負は、明日に持ち越しです。2022年のガレット・デ・ロア。誰が王様? まぁ僕が王様になってしまったら家庭崩壊です。奥さん、今年も王様よろしく、そう思っています。

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今年は買い出しに行くのが遅れ、毎年のブランジェリでは売り切れ。それでは、とフランスではそこら中にある冷凍食品店PICCARDで仕入れました。日本に進出していて、ありがたい。焼き上が直後は香ばしい匂い。フランス産の冷凍食品ですから味は本場です。

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フランス在住の頃から集めたフェイブも昨年の分までで16枚。ピンとこないものやフランスの大手スーパーのロゴをあしらった「お手抜きデザイン」のフェイブもありますが、可愛らしいものは可愛らしいのです。さて今年のフェイブはどんなものか・・

 

そろそろやってみるか。思案中

家のオーディオシステムです。

過日友人宅に遊びに行き、マランツのアンプにJBLのスピーカーで迫力満点のサウンドを体感しました。一応私もベーシストなのです。ベースラインとバスドラムがビンビン響くのを体で体感してしまうと頭の中で音を立ててタガが外れます。出費は抑えるべき・好きなように金は使うべき、というその均衡が崩れてしまうのです。

以来、良い音で好きな音楽を聴きたいという欲望が大きくなっています。

自分の音楽の趣味はジャンルについていえば雑食です。70年代までのソウル・ロック。フュージョン系も日本のポップスも基本的にはその辺りまで。クラシックはバロックから古典派、ドイツロマン派と一部フランスの印象派。そんな嗜好の中、やはりアナログな音であるクラシック音楽を良い音で聴きたい、そんな思いが大きいのです。古雅なチェンバロ。残響豊かな、あるいは硬質なピアノ。ウィーン・フィルやシュターツカペレ・ドレスデンの豊醇な音色・・・。あれです。

音源については幸か不幸か、あまりこだわりが無いのです。アナログレコードのすばらしさは良くわかりますが、すでに好きな音楽は全てデジタル音源になってPCの中に保存されています。PCに保存してから手放したメディアも多いのです。これらを再びメディアのレベルまで戻そうとは思っていません。場所を取らない、検索が容易、そんな利点は代えがたい。だからMP3を快適に聴ければよいのです。MP3であればスマホに好きな曲を入れておいて、ブルートゥースで好みの再生機から再生できるのですから、まさに隔世の感があるのです。

どんな音が欲しいんだろう・・・。ビート系ではやはりベースラインが攻撃的に聞こえるという事。それしか求めません。しかしクラシックだとピアノやチェンバロ、オケが温かみをもって聞こえる事。

何となくですがその全ての解を「真空管アンプ」に求めてしまいます。スピーカーはJBLに漠然と憧れますが、これは色々選択肢がありそうです。

現在居間には音楽を再生するシステムはなく、それは自分の書斎のみ。PCのOUTPUTから出てくる信号を、自作のトランジスタアンプと自作のスピーカーで鳴らしています。自作のトランジスタアンプと言いますが勿論キットです。NFJ社のキットYDA138デジタルアンプ。これをやはりキットのFOSTEXの8Ωのフルレンジスピーカ(SP直径6センチ)ボックスで鳴らしている訳です。左右8Wもない小出力のアンプです。しかしこのスピーカーを鳴らすには充分なドライブ力で、室内で聴くには充分です。ただしパイプオルガンの低音を大きめに鳴らすとスピーカーがビビリます。あれだけの空気の出力の音です。こんなちんけなシステムでは仕方ありません。

ということもあり、真空管アンプのキットを模索しています。真空管のアンプならこれも自作できるでしょう。出来る事ならば自分で作りたいのです。

キットを検索すると(株)イーケイジャパンのキット(ELEKIT)からいくつかのラインアップがあります。値段も出頃。工作もCR部品やトランス程度のはんだ付けなら老眼進む自分でも時間をかければ出来るでしょう。8Ωであればスピーカーの選択肢もあります。他にもキットは多い。お財布と老眼の進行度、手指の震え具合を見計らいながらゆっくり時間をかけて調べます。

全ての趣味に共通することかもしれませんが、あれこれと資料を調べ考える段階が一番楽しいのでしょう。しかしどこかでリターンキーを押さなくては先に進みません。もう少しだけ考えてみましょう。今の自作オーディオシステムはパソコンの前に座るにはピタリです。音も満足。しかし、もう少し大きな部屋で鳴らしたいのです。楽しみと苦しみの同居する、素敵な時間です。

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現在使っている自作オーディオアンプの基盤(火入れ式時の写真)。チッブ部品は装着済でしたので、自分はCR類やコネクタの半田付け、それにケーシングの塗装だけでした。こんなのでもなかなかいい音なのですが・・・。

 

寒い夜に・豚バラ大根とお手抜き湯豆腐

寒い日々が続いています。それでも陽がさしているうちは暖かいですが、陽が落ちると急速に冷えてきますね。「冬至」は過ぎたが「大寒」は未だです。

帰宅するととにかく「熱い風呂」と「暖かい食べ物」が欲しくなる。そんな季節です。

暑い風呂はともかくも、暖かい食べ物・・。スーパーに行くと簡単な鍋ものセット、おでんセット、などツボを押さえた具材が並びます。野菜は大根と白菜が「ここに居るよ」と言っています。精肉では鍋用肉団子やつみれなどの加工品も存在感が高いです。

さて大きい大根が特価でした。ではこれで温かいものを。

最近悪玉コレステロール値も気になるので、炒める、揚げる料理は出来るだけ控えようと思っています。煮る、焼くならよいでしょう。そこで今宵は「豚バラ大根の煮物」「湯豆腐」にしましょう。どちらも湯気を立てますので冬の食卓向きです。

・豚バラ大根の煮物
- レトルト品で味付けもアリで、それはもちろん美味しいのです。しかし少しでも安上がりに自分でやりましょう。
- 大根は大きくカットして予め塩一つまみで荒茹でしておきます。透明になりフォークやヨウジがスッと入るまで煮ました。
- 豚バラと他の野菜を炒めます。使う油はごく少量。チューブニンニクと微塵に切った赤唐辛子を入れて油に風味付けします。そこへ豚バラを始めに投入。肉から沢山油が出てきますので、野菜類はそこに追加。今回はいんげんとオクラ、シイタケです。
-野菜に軽く火が通るまで炒めたらそこへ湯切りをしておいた大根を投入、水を入れ蓋をして低温で煮込みます。味付けは「アゴダシ」粉末としました。何度か味見をして出汁粉末、ないしは液体だしの素などで調整します。
-大根にだし汁の色が通ったら食べごろでしょう。より保温性を高めたいので最後に水溶き片栗粉で薄めの餡状にしました。

・お手抜き湯豆腐
-湯豆腐というか、単に冷蔵庫の整理。主役は白菜。そして豆腐。あとは冷蔵庫の中で疲労気味の野菜クン。それに特価品だったキノコ類に加えジャコ天やちくわなどの練り物もなかなかいい味です。それらざくざくと切って最後に豆腐。自分はもめん派です。味付けは今度は「イリコダシ」粉末です。湯豆腐ってもっと繊細な食べ物ですよね‥。これ、そんな素晴らしい日本料理のお名前を勝手に借りただけのバッタモン。お手抜きです。

・サラダ
付け合わせのサラダはサニーレタスに塩昆布を振ったもの。ふと思いついてアクセント用にカレー粉と胡椒を振ってみましたが、これがなかなかイケました!

・ご飯
数日前に三合炊いた「まぜごはん」。過日友人の家でご馳走になった「まぜご飯」が美味しかったので自分もつくりました。三合なんて二人の生活ではなかなか減りません。茶碗一食分をこまめにビニール袋に入れて冷凍していましたので、その中から2個に出動頂きました。

さて味の方は、まぁ所詮粗雑な男が作る料理です。家計に優しく、自分が満足して、家内がお世辞でも「美味しい」と言ってくれるのを目標地点にしていますので、今回も無事「ハッピー・ランディング」のようでした。こんなの食べてくれる人が居る事に、感謝ですね。

・・「大寒」もカウントダウンです。これが過ぎると暦的には春の訪れ。これからは暖かくなるといいな。気温が温まれば、身も心も、温まりますね。

(2022年1月19日・記)

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粗雑な男が作る粗雑な料理。試食係に申し訳ないのです

 

追憶の百名山を描く・五竜岳

●始めに: 

日本百名山深田久弥氏が選んだ百の名峰。山岳文学としても素晴らしい書ですが、著者の意とは反して、このハントがブームになって久しいです。自分は特に完登は目指していませんがただ良い指標になるので自分で登れる範囲で登っています。またこのうちで自分で登れる範囲はテレマークスキーで登っています。この深田百名山、登れる範囲をどこかで終えたら、あとは自分の好きな山を加えて自分の中での百名山にしたい、その程度に思っています。

自分が登った懐かしい百名山を絵に描いて振り返ってみたい、そんな風に最近思うのです。いずれの山も、素晴らしい登頂の記憶しかありません。時間をかけて筆を動かす事で、その山行での苦しみや歓び、感動を、まるで絵を書くようにゆっくりと思い出すのではないか、そんな気がするのです。追憶の山との再会です。

五竜岳 (2818m 富山県黒部市・長野県大町市
五竜岳を初めて見たのはガイドブックの写真だっただろう。それは今思えば唐松岳辺りから撮影した「よくあるアングル」だった。なるほど、ゴツゴツしているな。肩の張りが半端ないな。こういう山は苦手だな・・。それが第一印象だった。

ある年の夏、事もあろうに五竜岳を目指した。実際に八方尾根を辿りながら高度を上げると左手に異様にゴツゴツした巨峰が威風堂々と出現したのだった。「嘘だろう?あれ・・」
しかし稜線に出て唐松岳から五竜岳を見て「唸った」。それは岩の巨大なカタマリ。何かの拍子に地表が突然怒り狂い、好き放題に、エネルギーの為すがままに隆起したに違いない。

唐松山荘のテント場は稜線を黒部川に向けてぐんぐん下がる。早いもの順に上から埋まるのは道理で自分は真ん中ほどの猫額の地にテントを張った。夕方に沈む対面の剣岳は岩の殿堂。峻険な山が夕日に消えるが、左手には異様に大きな存在を感じるのだった。明日あれに、果たして登れるのだろうか。不安と緊張が疲労に加わり、なかなか寝付けないテントの夜だった・・。(2016年8月・歩く)

山行記録はこちら。http://www.asahi-net.or.jp/~yw7y-zs/2016goryudake.html

(2016年8月・歩く)

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遥かなり、岩の塊、五竜岳。明日あの山頂に無事立てるのか?

 

理性と感性? 論理的か感情的か?

さて、あなたは理性と感性、どちらが好きですか? あなたは論理的ですか?感情的ですか?

永遠のテーマかもしれません。

自分自身はかなり感性重視。論理的ロジックよりも感情的な起伏を本能的に大切にしているように思うのです。しかもそれを恥じていない、いやむしろ、エモーショナルに傾く自分が好きでした。しかし損もしました。

その最たる例が、会社員時代。マネジメント職として何かを常に決定しなくてはいけません。ロジカルな部下に「なんでそう決めたのですか?」さて・・一番困る問いでした。なぜなら、「なんとなく」だから。もちろんそれなりのロジックの構築を経ますが、最後は「気分」「直感」。当然ロジカルな部下は満足しないしそのうちに侮蔑されるのです。だから「ロジカルシンキング」の指南本、我が家に一体何冊あったことか。

しかしいったん仕事を退き、改めて自らの周りを見回すと、感性重視、ってやはり素敵だな。と思うのです。あらゆることに感情移入が出来ますから。しかし尤もこれすらも非論理的な書き方です。ロジカルな方にシンパシーが無いのか、といえばそうではないのですから。

そんな感性派の私ですが、それでもとても違和感を感じることが最近やたらに多いのです。それは・・・・

家内、あるいは母親との会話です。

そもそも何の話題をしているのかが分からない。いきなり「今度さぁ、あれさ、こうしようよ」と言われても「はぁ?」となります。

話題が分からない。「あれ」と言われて何なのかわからない。ある程度推察がついてもこのような言い方をされること自体が不快なので、わからなくともわかっても「何のこと?」「何の話題?」「何について?」「誰がやるの?」と聞き返してしまいます。話の前提をまず共通にしてほしい。そして次に「代名詞」を使わないでほしい。会話の主語は何で目的語は何かを明らかにしてほしい・・。

そう本当に思うので、家内にも、母にも聞いてしまいます。高齢な母親は仕方ありませんが、家内はね・・。

そこで、「家庭内では代名詞の仕様を禁ずる」「家庭内では主語を明確化しよう」と宣言です。

しかし、かく言う自分も、いきなり突拍子もない話題を頭に浮かぶまま話題に挙げるし、代名詞のオンパレードです。

わかります。代名詞は使いたくもないですが、そもそもその名詞が思い出せないのです。頭に浮かんだまま話すと「主語」は見事に欠落するのです。

加齢と共にその傾向が強まったこともありますが、多分、自分が家庭に居る時間が長くなり家内と時間を過ごす事が増えたために気づいたのでしょう。以前はそもそも気づく時間さえなかったのに今では嫌になる時間があります。

奥さんは気の毒です。これまで通りの話し方では、頻繁にダメ出しを旦那から食らうのですから。メンタル心配だよね。逆の立場ならね、自分もわかる。

これではいかんな。そう思うのです。しかし自分も言い出したら止まらなくなります。脳外科の手術をして本来持っていた性分が更に「尖る」のでしょうか。自分の事をそう理解しています。

すべてがロジカル。堅牢が故にそこには破綻もない。行為全てか公式に落とせそうです。・・・・気持ちは良いけど、肩が凝るな。四角四面は、疲れるな。自分だっていつも論理性を問われればストレスたまるな。冷静に追い詰める相手が憎くなるな。逃げたくなるな。そして最終手段、「CTR+ALT+DEL」、押したくなるな。

あれ、それを僕は家内に対してやっているぞ。まずいまずい。・・・反省です。

とにかく自分を抑える事。相手から話をしっかり聞くこと。そうそう、深呼吸だな、話す前に。

・・皆さんどうやられているのか、何か良い知恵があったら教えていただきたいと思う、そんな今日この頃です。

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公式ですべて説明が付けば良いのかな?自分にはわかりません。1+1が2で無くとも、あまり気にならないくらいですから・・。

 

これからを楽しむ人たち

自分も参加しているバンドにご夫妻揃って参加していただいているバンドメイト宅へ、同じく他のバンドメイトと遊びに行きました。

お子様も巣立ち、ご夫婦だけになったのでお住まいを綺麗にリフォームされ、共に趣味の世界を持つお二人がそれぞれ楽しめるような夢のような空間となったという事で、拝見がてら遊びに行ったのです。

流石にギタリストさん、旦那様の愛機が壁にかかっています。2本のギターに天井からスポット照明をあてるようになっていました。楽器屋さんのようです。Gibson345。ご本人曰く「無茶苦茶鳴りが良い」。今度スタジオに持ってきてほしいな!オールドなので今なら百万円は超えると言います。それにFenderストラトコーネル・デュプリーがお好きな名ギタリストさんです。また、対面にはご主人のご趣味であるロードバイクが2台。カンパで組まれた1台に、シマノで組まれた1台。カーボンフレームのいかにも速そうなバイクでした。

居間に伺うと壁一面にCDとアナログレコード、そして単行本を収納する立派な作り付けの棚です。圧巻です。ご夫婦そろって音楽大好き。その守備範囲はソウル・ファンク・ブルース・レゲエ・ロック・ジャズ・ポップス。どれもが基本1970年代までの音楽。ご夫婦曰く「クラシック以外は何でもあります」。

ただリフォームの際にアナログレコード棚の中身を急いで収納しなおしたのでしょうか。棚にはレコードが綺麗に収まっていますがあまり中身がそろっていないようです。

さてここでもう一人のバンドメイトの出番です。名うての、ブラックミュージックとロック、ジャズファンクなどのレコードコレクター・マニアとしてその道では有名なお方です。音楽誌の出版社からブラックミュージックのガイド本まで出版されているのです。そんな彼は、秩序良く入っていないアナログレコードの棚に業を煮やし?ご本人自ら棚のレコードを床に置き、整理を始めたのです。「マニアとしてはこのディスプレイは許せない」そんなところだったのでしょう。

彼はまずは多くくりなジャンルに分けてからそれを更にレーベル別、年代別などで細分化させたかったようですが、それは叶わず。おおくくりなジャンル分けでも大変です。レコードの数が半端ない。ここで不詳・ワタクシも参加。ソウル・ブルース、ロック、レゲエ、ジャズ、日本人アーティスト。このくらいは私でも仕分けできる。と思ったら大間違え。レゲエがさっぱりわかりません。結局オーナーに確認しながらの仕分けでした。

ご夫婦ともにこれらの音楽がお好きですが、好みのジャンルは異なるようで、居間で音楽をかけるときはさてどうするか、これはなかなか大変です、といった興味深いお話を伺うことが出来ました。

一通り上記の多くくりなジャンル分けで今日はおしまい。あとは、オーナーご夫妻による細分化が始まるのでしょう(か?)。

レコードの整理。その途中でやはり久しぶりの発見があるようで、そのたびにターンテーブルに乗ります。

ジャンルの細分化はあれど、みんなそんな音楽が大好きな人の集い。「つー」といえば「かー」となります。これだけで話が通じるのはやはりバンドメイト。というか皆音楽ファンだから。他のメンバー程あまり詳しくない私も参加できます。

音楽がお好きで互いを尊重しあい聴かれるご夫婦の姿は素晴らしいし、これからの生活を見据えて楽しみやすい家にされ、今後を考えている、そんな姿は人生の先輩として参考になります。そう、「これからの時間、楽しめるうちは楽しみたいね」。これが今日の共通の一言だったように思えます。・・これからを、楽しむのです。

訪問を快く受けていただいたバンドメンバーご夫妻、それに車を出していただいたメンバーさんに感謝の一日でした。

楽しかったな。今日は。ありがとうございました。(2022年1月16日・記)

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