日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

黄色い付箋

僕は知り合いとなった作家さんに二冊の本を渡したのだった。一冊は出版社から世に出たばかりのもの。もう一冊は校正もしないままとりあえず本の形にしたもの。読んでいただきたいな、と。

磯の香りのする街。松林が見えそうな路地に彼を訪問した。魚の美味い港町だった。

幾冊もの彼の著作を僕は車に乗せてきた。そのすべてにサインをしていただいたのだった。ラインや電話では話していたが。初対面の作家さん、そして、サイクリストさん。どちらも。初めてという気もしないのは彼の文章を幾冊も読んでいたからだろう。

僕は自転車、それも速く走る事に最適化された炭素繊維の自転車ではなく、クロムモリブデン鋼の、トップチューブが地面と水平になっている自転車が好きだ。スローな旅の友だから。見ているだけでうっとりする。相手はただの鉄の塊なのに。

僕はなぜ、納期二年の工房にフレームを頼んだのだろうか?

すべて彼のおかげ。彼の本に出会う前から僕は自転車旅をしていたが、その書物はある種の方向性を決めてくれた。道しるべ。

自転車旅の入門書、そして旅のエッセイ。さらには自転車がまるで時間と空間を縫い合わすような重要な役割をする小説集。

工房、あのトーエイ社から届いた緑色のフレーム。お世話になっていた自転車店のご主人に組んでもらった。

それはランドナーと呼ばれる旅の為の自転車。変速はダウンチューブに手を伸ばす必要がある。泥よけは旅の途中の不意の雨からサイクリストを守る。皮のサドルは使いこなすと尻のカタチにフィットする。そんな彼にまたがり僕は幾つもの小さな旅をした。

すべての旅の軌跡を一筆書きにつなげよう、それは僕のテーマとなった。北は福島、西は長野まで。僕の軌跡は、クランクの動きと共に長い糸となり、切れずに一本につながっている。蛇行しながら。人力のSLが走る様に。書に記された彼の旅はもっと規模が大きい。そしてそれを記した風景は、時空を越えて手に届く。

そんな本を世に送り出した作家さんと知り合いになれるとも思わなかったが、SNSの時代だった。デジタルの海の中からアナログなつながりが生まれるのも面白い話だろう。

僕の住む高原に、自転車乗りの作家さんはキャンピング・カーに乗ってふらりとおいでになった。手には僕の渡したまだ校正前の、売り出し方も決めていない本があった。

沢山の黄色い付箋が付いていた。

読んで頂いたか。

「二冊とも読んでいて心地よいですね」

そう言って頂いた。小さな温かい波が僕の心の防波堤に届く。

自分の部屋で沢山の自転車の話と本の話。そして、それでは、と彼は一冊を広げ、付箋の箇所に進む。

作家さんは校正をしてくれていたのだった。僕は句読点のつけ方が下手だ。また、場面転換に使う記号や心の余韻を示す記号の使い方も。ルールが無い。だからその場限り。

それらの一つ一つを、まるで整備士が飛行機の内部を懐中電灯で照らしながら、ヘキサゴンレンチで増し締めするかのように、見てゆく。
すべてが終わって少し、いやとても疲れた。けれど彼は丁寧に事を進めてくださった。作家さんの目線は、何も漏らさない。

珈琲でも、とカフェを併設した小さな森の書店に。

店主が実際に読んで納得した本しか置かない、というこだわりの小さな書店。静かなジャズやボサノバの中、淹れたての珈琲。半月前に入荷した僕の本は、一冊も売れていないようだった。

まあそれも、あり。

次もまた売れないかな。しかし今回は作家さんに校正をして頂いた。

この本、読んでみてください。推敲はまだですが。僕は書店の主に手渡す。白紙の背表紙の本。いつかそこに書の題名が印刷され、この店の書棚に並ぶ日を思い。

今度は、サイクリング、いや、ポタリングですね。僕の街は、富士山の見えるたくさんのよいルートがありますよ。そう三歳年上の作家さんは笑う。

いきますよ、トーエイを載せて。

彼はトーエイか、ロイヤルノートンか、ケルビムか。

キャンピング・カーは杜の中に消えていく。