日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

日々のスケッチ・随想

目の毒

都内の街角で見かけてしまった。思わず足を止めて見とれた。バイク乗りを辞めて15年以上経つ。しかし今でも密かに心の中に火が残っている。それは時々燃える。 自分がバイクに熱心に乗っていたのは1980年代から2000年あたりまでだった。当時のバイクにはレー…

変わりゆく街

駅前に降りたのは四年振りだった。コロナになる前、ライブ直前のつめでこの街の音楽スタジオに頻繁に通っていた。ライブまで数週間に迫った頃、中国から端を発したウィルスは未曽有のものとなり、世の中は停止した。バンドのアンサンブルは完成していたがラ…

尾翼のマーク

飛行機が好きだ。第二次世界大戦で使われた飛行機が特に好きだ。また小学生の頃はそんな好奇心を満たしてくれる書籍も多かった。日本海軍エース坂井三郎空戦記に始まり、本土防空戦、そしてバトル・オブ・ブリテンからドイツ本土防空戦、さらに数年前に友か…

代名詞禁止法

ねぇ、あれとって。そこにあるでしょ。これ見て、これ。あの事だけどさ・・。 そんな会話が続くと何故か苛立たしくなるのは脳腫瘍を摘出するための外科手術の影響でなにかの「緒」が切れたからなのだろうか?頭を開き病巣を取り出しホチキスで縫合してからは…

桜の夜

桜の花びらが舞っている。夜風が冷たい、それが花びらをこの時期まで枝にとどまらせたのだろう。やや強い風に枝からはらはらと離れて気まぐれな空気の中を泳いでいた。 三十三年前の今日。ちょうどこの時間帯に自分達は六本木のトラットリアに居た。気取らぬ…

角刈り禁止

千円を機械にいれるとカードが出てくる。それを手にして待合の長椅子に座る。先客三名か。今日は二人体制だな、少し待つな、と足を組んだ。見慣れた風景だが壁の但し書きに目が行った。 「当店では角刈りとそれに相当する髪型のカットは受け付けておりません…

フリーになって欲しいこと

バリアフリーは随分と一般化してきた。自分がもし家を建てるのならバリアフリーにするだろう。つまらない事でも高齢者は足が引っかかる。カーペット一枚の有無が転倒リスクを左右する。ましてや部屋と部屋の間の扉周りの建具で段差があるとやはり危ない。そ…

雨のち晴れ、そして雨

車で西に向かっていた。自分はその地にある建物に品物をいくつか届けようとしていた。しかし前日の天気予報では中部地方から東海地方にかけて雨予報で所により強い雨とあった。普段より時間がかかるなと覚悟して早めに家を出た。西には強い雨の予報があり、…

性に合わぬこと

「三万すった」、そう友はタバコを手に諦め顔で戻ってきた。軍艦マーチが店外に流れだしていた。僕はその向かいのハンバーガー店で時間をつぶしていたのだろうか。彼に一度だけ付き合って店の中に入ったことがある。千円札を自販機に入れると手にした皿に数…

信じる事に決めた・福之記13

抗癌剤の治療が決まった時、自分は家内に犬用のバリカンを持ってきてもらった。病院の浴室で鏡を見ながら自分の頭を丸刈りにした。薬で毛が抜けるのなら自ら短くしようと。さっぱりした。が、毛根はなかなかしたたかで、意外にも抗癌剤に耐えた。しかしその…

フキ三昧

子供の頃、原っぱにたくさん咲いていた名も無い花を姉は無心に摘んでいた。それは小さな花束になり持ち帰ると母は「マーガレットね」と言うのだった。姉の嬉しそうな顔と花を摘む後ろ姿はよく覚えている。眼の前の路傍の草の前にしゃがんでプチプチと音を立…

桜並木の見沼用水

埼玉県の見沼公園あたりの風景を知ったのは誰かのブログだったろうか。いや、ランドナーというキーワードで検索したWEBサイトだったかもしれない。ランドナーとは今流行りのカーボンやアルミのロードバイクではなく、鉄のホリゾンタルフレームに泥除けのつい…

羽やすめ

次回のバンドのリハーサルに向けてベースギターの練習をしていた。新しい曲の音をようやく拾えた。まずは曲を流して全体像を掴みたい。リズム楽器はノリが大切で音源を流しながら体で拍子をとって弾いていた。曲の途中で止めると体の中のグルーブ感が止まっ…

薄いコーヒー

♪冷えだした手のひらで包んでる紙コップはドーナツ屋の薄いコーヒー ほっと一息は良いものだった。僕には陶器のカップに入った目の前のそれは歌の様には薄くは感じられなかった。 駅前のドーナツ屋は店舗統廃合だろうか、一度廃業し違うテナントが入っていた…

捻じれたチェーン

油まみれの指先を見て思い出した。香川で自転車屋をやっていた祖父の指だった。子供の頃毎夏遊びに行くといつも祖父はパンクを直しチェーンに油を指していた。その彼の指先は真っ黒で石鹸で洗ってもとれていない。もはや地肌の色と化していた。黒い手指に笑…

親指サイズ

娘から妻にラインが来た。「円形脱毛症になった」と。それなら自分もなった、直ぐに治るよ、と話したが「相変わらずね。あなた私の円形脱毛症を見つけて指摘したでしょ、結婚前の話よ」と妻は続けたのだった。 すっかりそんな出来事は忘れていた。まだ二十代…

ザノースフェイスのマウンテンパーカー

自分がアウトドア趣味に目覚めた1980年代とは少し混沌としていたな、と思う。国内外の文化が混じっていた。アウトドアのファッションとしての話だ。 ハイキングや山登りは昭和30年代から流行り始めたようで当時は英国スタイルなのかツイードのジャケットを着…

腹帯

友人の娘さんが妊娠されたという。結婚後三年目と言う話だった。その娘さんは母である友には妊娠三カ月でそれを告げたそうだがしばらくは口外しないようにと言われたという。安定期に入り旦那さんからそれを夫の実家に伝えたそうだ。 腹帯などは今も使うのか…

何かが起こる予感

強い風の吹く日だった。木造三階建ての家は揺れる。風は立ち向かうものではなく受け流すものだと知った。梁がたわんで家全体で受け流していると思うと家の揺れは気にならない。頼むぜ頑張れと応援する。これでまともに耐えたらどこかで崩れるだろう。思えば…

終わりと始まり

暖かくなったのか寒いままなのか、よくわからないまま数週間が過ぎている。日中の陽射しは陽だまりを作るがそれはすぐに北風に蹴散らされてしまう。ただ、確実に春が近づく風景は、確かに在る。梅の花はもう散ってしまい樹は肌寒そうに思える。桜の蕾は少し…

天婦羅せいろ、大盛で

一人住まいの母を蕎麦屋に連れて行ったのは母が蕎麦を食べたがっているからだった。父も母も四国は讃岐の人間だ。讃岐はうどん。自分も香川生まれで、物心ついたころからうどんを食べていた。我が家は当時転勤で横浜に住んでいたが母と自分達姉弟は夏休みの…

オープンマイク

オープンマイクと言う言葉を知ったのはバンド仲間からだった。ネットにはこう書かれている。「店のマイクを飛び入りの客に開放する」と。カフェやライブハウスで行われるのだろう、ステージ飛び入りで歌う。バンドメイトの女性は自分たちがやっている音楽と…

日陰の文化・亡き人宛の手紙

実家には老いた母が一人で住んでいる。介護保険の点数を使い切るように様々なサービスを入れている。ヘルパー、デイサービス、介護器具・・。ありがたい世の中で一週間絶えることなく人が出入りしてくれる。そのサービスまで持ってくるのは大変だった。いつ…

ランステの会員証

「ステージでへたりたくないのよ、だから走っとかないと。ミックだって今もステージ狭しと踊りながら走り回るでしょ。彼八十歳なのに」 二人とも少し息が上がっていた。酒が入った上に乗り換え駅の階段をダッシュしたのだ。休日前夜の都心の駅でやってきた電…

娘の自転車

いいの、人の話は聞きたくないの。自分で決めるし人からああだこうだとウンチク聞きたくないの。・・私は一人の時間が欲しいから自転車を買ったの。 くそ、なんで混んでるのかな、渋滞の一番先まで行ってその原因を起こしている「ヤツ」を割り出して謝らした…

僕の椅子

腰かけると少し音が鳴るのは油が切れているからだろう。もともと余りに大きくて決して気にはいってはいなかったのだ。今の家に引っ越すときに自分の部屋らしい一角を居間の角に設けた。狭い敷地に容積率ぎりぎりまで無理やり立てた三階建てだったが、寝室に…

グルーヴィな日々

グルーブという単語を知ったのは何時だろう。間違いなくそれはアース・ウィンドアンドファイヤ(EW&F)の1981年のナンバー「Let's Groove」だったろう。リアルタイムだった。敢えて邦題にするならば「グルーブしようぜ」になるだろうか。レッド・ツェッペリ…

遅咲きのスイセン

師走から年が明けた睦月あたり、千葉は内房に足を運べば一足早い春に会える。それはスイセンのお花畑だ。スイセンは日本の在来種ではないという。球根を誰かが植えたものが、あるいはそれが野生化したのかかは分からない。 内房には「スイセンロード」と呼ば…

陽だまりとからっ風

とある群馬県の古刹だった。古刹の裏手には湿地と澄んだ沼があった。数年前に来た時には気づかなかったが砂利敷の駐車場の隣にアスファルトの大きな駐車場があった。それほど有名とも思えぬこの場所にはやや不釣り合いな大きさだった。しかしその一角に真新…

ソラナックスとゾルビデム

今までに数えた羊は何匹だろう。その数は数えていないがそんな民間伝承のお世話になったことはある。しかしあまり効果もなく、かえって開き直ってガバっと布団を剥いで起きてしまうことのほうが多かった。すると明日のことが気になり目がますます冴える。仕…