日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧

兄弟の会話

- 兄さん、なんで僕らは今日四トン車に載せられてこんなところに来たのかな。大きな機械で吊り下げられて掘った穴に入れられてさ、挙句向きが悪いとかでぐるりと回されて目が回りそうだったよ。だけど今迄と土の味が違うよね。まぁ接地したら根っこの周りに…

とうげみち

峠の駅に降り立った。その峠の東側から流れ出る沢は東へ流れ南進して相模川となり相模湾に流れ出る。その峠の西側からはいくつもの流れをあわせて富士川になり駿河湾に注ぐ。甲州街道の最大の難所とよばれたその峠はそんな分水嶺でもあった。 峠には昔ながら…

祈りと力

聞く音楽の世界には子供の頃にクラシックで入った。演奏する音楽の世界には学生時代にロックから入った。 クラシックは器楽曲・交響曲がとっかかりだったが年齢とともにミサ曲・モテット・カンタータ・オラトリオ・レクイエムなどの宗教合唱曲を聞く事が増え…

特権

色白で線が細い。咳き込むと体をくの字に曲げる。そんな人なら心の細やかさが尖り、人が感じない物を感じ取り、見えないものを見ることができるだろう。健康な人には縁のない世界を。 子供の頃からそんな姿に憧れていた。自分は咳が出ると止まらず気管が狭ま…

コンビニの割引券

これよかったら使ってよ。 そう娘は何枚かの券をわたしてくれた。それはコンビニエンスストアで特定の商品を安く買える割引券だった。少しでも安いといいでしょ、と彼女は付け加えた。そこには主婦の顔が確かにあった。 父親の一回忌の為に住み慣れた街へ帰…

答え探し

高さにしてゆうに十五メートルは超えているミズナラの林だった。僕は夜のウッドデッキに出て風のままに揺れる暗い林のシルエットを見ている。夜も更けて上着がないといられないほどの冷気があたりをつつむ。我が家の裏手には沢がありそこにはミズナラの林が…

恐れすぎなのか

もう何十年も昔だろうか。共に山を歩いた事は無いがグループのメンバーとして知己のある二人の山仲間が越後の山で救助された。今でいうドクターヘリに乗ったと聞いた。その原因はスズメバチだった。スズメバチに二度刺されると初回時に刺された際にできた体…

横浜の味

五十年近い年月を横浜市民として過ごした。当然ながらその地の食べ物に好きなものが多い。港があり西洋文化が入ってきた。華僑もまた住み着いた。洋食そして中華。横浜の食文化はその地を離れ山梨に住む今も懐かしく、時折接したくなる。決して遠い場所では…

話好き

六年間欧州で生活をしている間に、出張や一時帰国で何度も帰国していた。飛行機を降りると同じ人種ばかりでさすが母国だといつも思っていた。しかし入国審査で最初の違和感があった。それは税関を過ぎて鉄道やバスの切符売り場で、構内のコンビニでさらに膨…

Vin de Shih Tzu

山梨県、今となっては自分が住む県。人にはそこは便利なの?とも聞かれるが、さて便利とは何だろう?いつもの通り広辞苑を開けてみる。都合の良い事、上手く役立つこと、そう岩波書店は書いている。都合が良いか悪いのか、役立つか役立たぬのか。それは個人…

日々これ好日

自分が移住した街にはアウトドア雑誌や山梨県の地元新聞社に稿をよせているライター氏が住まわれている。彼はバックパッカーとして日本中、いやアパラチアントレイルやオート・ルートをはじめとした海外のトレイルもバックバッキングで歩きそれを紀行として…

定番は悪くない

自分の楽器は癖もわかり愛着がある。しかしリハでスタジオまで持っていくのも重たく面倒だ。エフェクターを試したいときなど、ステージが近くなってきた時、そうなると自分の楽器を持っていく。もっとも自分の楽器とエフェクターで音を作っても本番のハコに…

御茶ノ水 譚

香川の高松で生まれた自分は三歳になる前に親の転勤で横浜に引っ越した。鶴見という京浜工業地帯の街に父の会社の社宅がありそこに住み始めた。昭和四十年代の前半といえば海岸の工業地帯もフル稼働で、高台の社宅からは沿岸部の工場の煙や炎が見えた。そん…

我が街の駅そば

駅そば好きだ。駅そばとは駅のホームや構内にあるソバ屋。それについて文庫本も出ているほどにマニアも多いと推測する。今は昔となったがそれでも安い。早い。美味しい。昔の牛丼屋のようなキャッチフレーズだろう。 駅そばの最大の魅力は立って食べること。…

好いですねそれ

小さなサイクリングをした。雨を承知で走ったのは前回の走行が自分にはやや不本意だったからだ。我が家から隣県の長野は近い。そんな長野県まで県をまたいで走ってみた。アカマツから草の原へと進む往復十六キロは良いルートだった。途中で何かのトラブルが…

くにさかい

昔から長野が好きだった。信濃の国だった。山と高原に憧れを持つようになったのは何故だろう。生まれた讃岐の国で山と言えば讃岐富士と言われている飯野山だった。平野は狭く海岸沿いには塩田が、平地にはため池がそして思い出したように盛り土のような山が…

香しき煙

赤提灯はただでさえ魅力的だ。仮にそれが何軒も並んでいたとする。ある一店でもし路端の窓からオヤジさんが焼き鳥を仰ぎその煙が通りに出ている、あるいはオニイサンがハッピーアワーです、どうですかぁと呼び込んでいる。さてどちらに行くだろうか。 ハッピ…

悩める大福帳

大福帳とは好い名前だな。かつて放映されていたドラマ、時は幕末。商家に嫁いだお嫁さんが大福帳を見せてもらうようにご主人に頼むシーンがあった。如何にも幸運をもたらしそうな大福帳という名前はそれで知った。今でなら家計簿だろうか。いやむしろ大福帳…

沸点低下

気温は海抜百メートル上がるごとに零点六度低下する。山ヤとしてはそれは山行時の服装を考える際に無意識に計算してしまう。 山でテントや避難小屋に泊まる場合には沸点が気になる。以前は白米を焚いていた。しかし海抜三千メートルの稜線で米を炊くのは難し…

高原への道

等高線で見ると緩やかに見える。下見でも車で何度か走ってみた。コースの半分は森の中で日差しも遮られるだろう、そう思った。 会社時代の先輩お二人が泊りがけで遊びに来てくださった。入社した部門の先輩と他の部門の先輩。ともに海外営業のお二人だった。…

闇夜のデッキ

夕食後。ウィスキーを飲みたかった。今日一日は庭仕事だった。庭の防草シートを剥がして燃やすごみの袋に入れた。それは十五袋に及んだ。そして混合燃料を補給して狩り払い機のエンジンを入れた。心地よく歯が回り僕はまるで破壊王のように雑草を刈り払った…

森のナポリタン

ナポリタンを食べたい。そう思う事が多い。たまたまだろうがSNSでナポリタンがらみの投稿をよく見る。あのケチャプの濃厚な味が欲しくなる。もっともきちんとしたナポリタンを余り食べたことがない。自分が子供の頃に母の作ったスパゲティ料理はそれに近かっ…

嬉しい副作用

何時からだろうか、「お薬手帳」という冊子が登場しそこに自分が処方された薬が時系列で記録されるようになったのは。それまでは医師の診察を受けてから病院で薬を貰っていた。ところがやがて病院は処方箋だけの発行と変わり、薬は処方薬局で貰うようになっ…

学友

学生時代の仲間二人が我が家に遊びに来た。年賀状のやり取りだけとなった関係から久しぶりに会おうと切り出したのは僕だった。そしてこの数年の間に何度か会ってきた。 S君は今や行税書士事務所を四軒経営している男だった。学生時代からすでにサラリーマン…

苦労とご褒美

ああ、極楽だぁ。 頭にタオルを載せたオトウサンが唸った。彼は八十歳を超えているだろうか。するとたまたま鉢合わせただけと思われる男も頷く。まったくですねぇと。その男は還暦を越えているだろう。禿げ頭でお腹が出た初老の男だった。天空は蒼く渡る風は…

寝言

暑いさなか、犬は板敷きに横になっている。気持ちが良いのだろう、寝ている。しかし時々何か唸る。寝言だろうか。犬語は理解できないが何と言っているのか気にはなる。 家内も時々寝言を言う。急に唸ったり、ああ、と声を出すこともある。明瞭な言葉をしゃべ…

待ちわびたよ

忠犬ハチ公を知ったのは幼稚園の時だっただろうか。渋谷という街に銅像があるという。そしてハチ公にまつわる話を聞いた時に、自分の犬に対する思慕は高まった。以来、ずっと犬が好きだ。当時東京都大田区に住んでいた叔母の家に何故泊まりに行ったのかは覚…

裏返し

週に三、四回程度、日が落ちる時間帯に一時間程度ノルディックウォークをしている。高原の空気が冷えてきて歩いていても心地よい。ポールを突いて後ろに突き出すように動かす。時折ポールはグレーチングの穴にはまってしまい動きが止まる。カーボンのポール…

ハローワーク

昔は「職安」と言われていた。今ではハローワーク。名前が変われば印象も変わる。その建物には以前ほどの悲壮感を感じない。就職した会社で会社人生活を全うする人は今はいかほどの割合だろうか。終身雇用という仕組みは消えた。しかし自分が社会人になった…

夜の散歩道

一日を病院の待合室で過ごした。とても混んでいた。二科を受診しようとしたのだから時間がかかっても仕方がなかった。朝十時前に家を出て診察を終えたら十四時だった。外に出てホームセンターで培養土を買った。庭木を少しづつ植えようと考えていた。 帰宅し…