週に三、四回程度、日が落ちる時間帯に一時間程度ノルディックウォークをしている。高原の空気が冷えてきて歩いていても心地よい。ポールを突いて後ろに突き出すように動かす。時折ポールはグレーチングの穴にはまってしまい動きが止まる。カーボンのポールが折れてしまったら困る。グレーチングが続く路肩を外しやや車道寄りに歩くようにした。
平地や下り坂では前を見て歩くが登り坂では足元を見る。前方に何かがあった。石ではない。近づくと渦巻の殻だった。カタツムリだろうか。
なぜ路肩の雑草から五十センチ以上横に出て車道に居るのかが分からない。近づくとぬけ殻ではなかった。ナメクジの様な本体が殻から出ていた。アスファルトはまだ昼の陽射しの名残があった。このままここで歩いていたら干からびるか車に轢かれるだけだろう。
カタツムリに触るのはいつ振りだろう。子供の頃は角を触ると引っ込むので面白がってよくいじったものだった。殻を持ち上げると少しだけ本体がアスファルトにねばりついた。えいや、と剥がして路肩のアジサイの葉に載せた。路肩には彼の体の水分の跡がのこった。やはりカタツムリにはアジサイが似合う。
しかしどうしたことか、彼はごろりと裏返しに落ちてしまった。足元の草むらは深く、その奥に裏返しになった殻が見えた。余計な事をしたか、と反省した。あのままでは不幸な結末だろうとそうしたがお節介だったか。
暫く観察したが彼は殻から全身を出してその角が動いていた。角は目だと思っていたが触覚なのかもしれない。角で安全を確認するのだろう。体は波打っている。彼にしては懸命に体の向きを変えようとジタバタしていたのかもしれない。
その姿が何かに似ているのなと思った。よく考えればそれは自分だった。何故かわからぬが焦っている。そして体は思ったように動かない。頭だけ空回りしているがそれも疲れた。
さっさと帰宅してシャワーでも浴びよう。自分が子供の頃、還暦と言えば立派な老人だった。しかしこの年齢の誰もが思うだろう。まだ若いと。焦りが物理的な体の疲れからなのか脳の疲労によるものかは分からない。いつか僕も裏返しから、元に戻るだろう。