日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

山の犬

秩父甲武信岳に知人が登山したという知らせがメーリングリストに届いた。甲州(山梨)、武州(埼玉)、信州(長野)の三州の境に立つからそう名がついた。安易とは言えるかもしれないが「こぶし」とは良い名前だと思う。彼は甲州側から登られたと言うが辛い行程だったろう。自分は楽をして信州側から登った。

日本一長い川である信濃川がその山の北面を源流とすることに興味を持った。水源を見たかった。沢沿いにブナ林を進み唐松林からシラビソになったのだろうか。記憶は曖昧としている。水源を示す標識があった。日本一の大河がこの一滴からか、と思うと感慨深かった。その先の山頂には素朴な標識が立っていた。三国一の峰にしては展望が無かった。霧が出ていたのだった。

山頂から15分も下っただろうか。山小屋があった。髭面の小屋番に受付をしていただいた。晩秋の夕闇が足元まで近づいていた。テントを設営しシュラフの中に潜り込むとハッハッハッと動物の息遣いが聞えた。すわっ、クマか、と思ったら小屋番が声を出して呼んでいた。息遣いは去って行った。顔を出すと大きなセントバーナードが居た。黒くてクマのようだったが大人しかった。さすがにウィスキーの樽を首からかけてはいなかったが、なにやらとても嬉しかった。テントに入るかい?と話しかけたが彼は小屋番の足元で丸くなった。

秩父金峰山という名峰がある。立派さは甲武信岳に負けず劣らず。ただ山頂に大きな岩があり遠目にもアイコニックに見えるのでこちらが好きな山屋も多かろう。山頂直下に山小屋がある。信州の高原レタスの村から登り始めて数時間。小屋が近くなった頃山道を黒い犬がお迎えに来た。この小屋の名物犬だった。小屋に着くと彼は土間で伸びていた。自分の今夜のテント予定地はまだ先だったので先に進む。と暫く彼は僕の後を追うのだった。おいおい、迷子になるぞ。早く帰れ、僕は何度そう言ったかわからない。何処かの地点で彼は踵を返していったのだろう、気づけばもう居なかった。

東京都の西の端、八王子から山梨へ向かう中央線は低山の宝庫だろう。1000m未満から1600mあたりまで多くの山がある。高川山と言う1000mに満たない低山がある。大月市の山だ。そこには何故か犬が棲みついていた。登山者に愛されていたのだろう。山頂近くまで登ると噂通りやってきた。黒い雑種だった。つかず離れず。低山とはいえ冬には積雪を見る山だった。軽アイゼンをつけての登山客は冬にもいるだろうが、彼がどうやって越冬しているのかわからなかった。長い間彼はハイカーの間で人気者だった。

この三つの話とももう30年前の話になる。犬の寿命を考えたら三匹ともこの世にはいないだろう。自分も再訪していない。

ずっと犬と暮らしてきた。12年はあっという間だった。多くの安らぎと笑いを自分達にくれた。これ以上の家族のパートナーは居ないな、と思っていた。僕には彼を犬用のザックに入れて登山をする夢があった。山頂では撫でるだけではなく一緒に登ってくれてありがとう、という感謝の言葉をかけ途中で汲んだ美味しい湧き水を飲んでもらおう。そう思っているうちに呆気なく彼は逝ってしまった。甲武信岳セントバーナード金峰山の黒い犬、高川山の雑種犬。そして我が家の彼。皆何処へ行ったのだろう。

登山者の誰もが彼らの事を覚えている。我が家の誰もが彼の事を覚えている。犬は人類最古の家畜と言われるが本来はオオカミだった。山の犬たちは本来の姿で土に還ったのだろう。我が家の犬も世を去る前日は南アルプスを見る高原のキャンプ地で一人楽しそうにテントの外へ歩み出てていた。彼もまた山に触れ安心して土になったのだろう。

登山をこれ以上続けるのか、悩ましい。年齢がら危険な山に独りで行くのが怖くなってきた。しかし何処かで山の犬たちが見守ってくれるとしたら、彼らに対してできる恩返しとは、ゆっくりと出来る範囲で歩く事だろうと思う。遠くから、くりくりした目を動かし赤い舌を出し、クンクンと鼻を鳴らしピンと耳を立てた彼らが見守ってくれることだろう。出会えばウィスキーの一滴でも与えてくれるだろう。そんな夢を見るほどに、彼らは素晴らしい。今それを思っても彼らは遠くにいる。それが寂しい。

確かな息遣いと暖かい体。どれほど癒してくれても僕らよりは長く生きない。土に還っても僕たちの心の中に棲み続ける。

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