日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

違いがわかるヤツ

犬を飼っているのなら彼らが水を飲む姿が好きなのではないかと思う。我が家は餌台をつかいそこに水のボウルと餌のボウルを置いている。犬の食欲は限りないように思える。可愛いからと人間の食べ物も含めて好き放題にあげるとしっぺ返しが待っている。彼も肝臓の値が悪いと言われ、ペットフードだけにしてくださいと強く獣医に言われた。おやつも無くなった。彼はいつも空腹なのか、餌のボウルは直ぐに空になる。一方の水のボウルは少しづつ、思い出したように減っていく。ピチャピチャと音を立てて飲む姿を見ていると飽きない。四肢をふんばり少し頭を下げて赤い舌をチロチロ出すだけだ。あれでよく水が飲めるなと思う。機嫌が良いと彼は顔を舐めてくれるから、すぐにわかる。彼の舌はざらざらしていて粘着力がある。だから水をああやって飲めるのだとわかった。

山の見える高原から少し谷間に下りる。そこには日本有数のウィスキーメーカーの蒸留所がある。駿河湾にそそぐ大河の源たる清流が流れている。水が良いのだ。その水はペットボトルにも詰められて大手飲料メーカーのラベルが貼られ日本中で売られている。道の駅の一角にそんな湧き水がごうごうと流れ出す蛇口があった。ふんだんに出ている。持参したペットボトルにつめてみた。冷たくて旨い。実に美味しい。体の全細胞があげる喜びの声が聞える。

今まで飲んだ自然の水で一番おいしかったのは何処だろう、と考える。やはり登山での出会いだ。南アルプスは熊ノ平、聖平、静高平がまず挙がる。ごうごうと溢れる水だ。静高平は運が良ければ巡り合える水場だが自分は幸運のくじを引いた。東北も美味しい。やはり飯豊連峰や朝日連峰になる。飯豊の梅花皮小屋。朝日の銀玉水。稜線上なのに豊富な水量であれを甘露と言うのだと思った。いずれも長い縦走の途中での水で、体の疲れも手伝ったのだろう。岩の割れ目から出てくるのだから自然そのものの新鮮な水だった。冷たくいくらでも飲めた。それでいれるテントでの珈琲も美味しいものだ。先の蒸留所そばの湧き水も勿論並びうる美味しさだった。

山小屋の水事情は乏しい所もある。小屋は大体水の出る場所に作られるが、アルプス級の稜線では厳しい。雨水をためてそれを使う小屋もある。臭くて飲めない。煮沸の前提だった。しかし今は飲料水ならペットボトルの水がどの小屋ででも手に入るから状況は変わっただろう。

車のドアを開けてくだんの蒸留所そばの水場で組んだ水を犬用のボウルにあけた。普段は喉が渇かないと近づかないのだが彼はすぐにボウルに来てたちどころに一杯平らげた。匂いが違うのだろう。そして味も更に違うのだろう。「お前には違いが判るんだな」、僕は家内と顔を見合わせた。今迄は自分達も犬も住む街の水道水だった。そのまま飲むこともあれば濾過してから炭酸ガスを入れて飲むこともある。そのままの水もまあこんなもんだな、と思う程度だった。

犬は何も言わないが体の反応が全てを物語っていた。お替わりしても飽くまで飲んでいた。彼は僕よりも味覚が優れているのだった。これまで彼にとっては美味しくない水で何かすまない事をしたと思う。また何処かで美味しい水が手に入るといいね、それまでは少なくとも濾過はするから我慢してな、と彼に話しかけた。

人間が口にする飲み物は今でこそお茶類のペットボトルが多いが一昔前までは人工甘味料で味付けられたものばかりだった。それは化学式で表現することさえも出来そうだった。昔の犬は庭で飼われていたから水はボウルに勝手に溜まった雨水だったのかもしれない。しかし今ではそんなふうに人工的に味付けされたものに慣れた人間の舌よりも、自然の味に慣れ親しんだ犬の舌のほうが敏感なのはなんとも皮肉な話でもあった。

自分達の舌にも自然本来の味覚を覚えてもらいたい。すると湧き水の持ち帰り用のポリタンでも買うのだろうか。人工的な匂いがつかなければ良いが。

我が家のワンコ、水の味の違いが分かる奴だった。人より優れているだろう。これまで美味しくない水で悪かったと思うのだ。

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