日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ヤッホーの山 大朝日岳

おーい、山よ、さようなら。ヤッホー、又来るからね。

そう叫んでしまった。周りに人がいても、恥ずかしくもない。体の中からエネルギーが湧いてきた、それに従っただけだった。それは山頂からヤッホーと叫ぶ無邪気な幼童のようだった。秋の高い空にそんな声は吸い込まれてしまった。やまびこもなく、それを期待したのだったら肩すかし。大きな風景は一服の絵画で微動だにしなかった。ただ、そう呼びかけたかっただけだった。

この先に登山道は大きく高度を下げていく。高い空の下に王者のごとく君臨する山頂を見るのはここが最後の場所だろう。そこから北に伸びる尾根道では振り返っても前衛のピークに隠されてしまう。しかし山頂が作る影が北の山すそに伸びてくる。ハイマツ帯はとうに終わりダケカンバの林もブナの林に変わった。目の前の谷底に降り立てばこの山旅も終わりだろう。あそこまで3時間半だろうか。傾きかける西日との追いかけっこが始まる。

長い山だった。アプローチも長ければ、実現するまでも長かった。10年以上も前から登ろうと思っていた。幾つかの山の上から自分は遠くにこの大きな連峰を憧れを持って眺めた。一般的な登山者なら最高峰にはとうてい日帰りは出来ない。また、あえて日帰りをするような山でもない。その大きさを味わうべき山だった。連峰として見事だがその中の最高峰は確かに風格に溢れているのだった。実現に時間がかかったのは、この山群は最高峰のピークハントではなくテント縦走に拘りたかったこともある。二泊三日では厳しいかもしれない、それほど大きなスケールには心技体のベストな時期が必要だった。

コロナの流行だけでは負けなかっただろう。しかしそれに続く自分自身の病。病があけた自分は体力もバランス感覚も病前とは別人と知った。そしてこの山を諦めた。遠い東北の地に憧れの山が残っていても良いだろうと自分を納得させた。しかし、自分は登りたいと思った山に関しては執着が大きい。これ迄も時間をかけて実現してきた。この山も連峰を南東から北西へ縦走することを諦めれば1泊2日で狙えそうだった。テントなどと欲張らずにも、避難小屋がある。

豊かな沢音から一気にブナの林の登りとなった。稜線に登りつくまでは息が上がる。同行する仲間は二人。もう25年来の山仲間と、この数年で山に目覚めた学生時代の友人。病後になってからは大きな山は独りでは不安で、友人達にはご同行をお願いしたのだった。自分はしんがりで、彼らを追いながら歩く。急登に目線は上向きになり、その果てを友が二人登っていく。圧倒される密度のブナ林。ブナを透過する太陽光が空気を緑に染めている。もう少し登れば空気は色ずくだろう。傾斜が緩み小さな湿原だった。木道の上には大きなクマの糞がある。

避難小屋は静かだった。シーンとして誰もいない。小屋番もこの季節では下山していた。小屋の数分前にある沢が水場だった。水飲みに来たクマに遭遇でもしないものか。しかし沢水は冷たく、友はそこでアルミコッヘルを使い二合のコメを炊いた。水の美味しい山だから、とレトルトやフリーズドライは止めたのだった。米炊き名人を自称するだけあって友の炊いたご飯は粒だって美味しかった。沢水でわずかに冷やした缶ビールもいい具合だ。

山の夕べは愉しい。独りでのテントとは違い仲間が居る。そして遅く小屋に入ってきた男女3名のパーティも隣で食事を始めた。見ず知らずの人たちが山好きと言うだけで結びつく。ヘツデンを消すと漆黒の闇となり夜具の立てる音が煩わしい。がそれもやがて止む。シーンとして、目が冴える。無音にも音があることを知ったのは山の夜だった。テントではないので獣の気配を感じる事もない。今日の風景が頭の中をぐるりぐるりと回り始めると、いつもの山のように浅い眠りに導かれる。

翌日は長い行程だった。休憩を入れたら11時間だろう。連峰の東端のピークを踏んで再び深い樹林帯へ降りる。すぐにロープ場を交える急登で第二の峰。ここで初めて巨大な山塊の全貌に触れることが出来た。目指す最高峰は左手にまだまだ遠く、ぱっと見でも4時間では登れそうになかった。驚くべきは幾重にも重なりあう山の波だった。いったん森林限界の下まで下り長い登りに転じた。ナナカマドの赤い実が秋の空に映える。悲しい程に赤いのは何故だろう。

50年近く山歩きをしているという友が、ここが山の水では日本の中では一番美味しいと断言する水場は稜線にあっても潤沢に流れているのだった。空になったペットボトルを新たに満たしてごくごく飲んだ。それは甘露だった。

山頂ではただ万感だった。長き憧れに峰を踏んだことで、自分の幸せは無限だった。

記念に山頂の小石を一つ拾ってザックに入れた。自分が山頂の小石を持ち帰ったのは、南アルプス北岳聖岳、光岳、笊ケ岳。そして東北は飯豊本山、そしてこの大朝日岳だけだった。いずれも憧れの峰。どれもが長い山旅で、何か証が欲しかった。

今こうして机の上にある変哲もないただの石を眺めながら、記憶の中の山に向かってヤッホーと小さく声を出した。遥かに遠い素敵な山の記憶は、何時までも色あせる事はないだろう。

* * *

●ルート記録(初日二日目の出発時間以外は到着ベース・休憩時間含む)
・2022年10月1日 古寺鉱泉11:10-畑場峰-鳥原小屋15:30・泊
・2022年10月2日 鳥原小屋07:00-鳥原山07:30-小朝日岳09:15-巻道分岐(大ザック・デポ)-大朝日岳往復(銀玉水10:43・大朝日岳11:57)-古寺山15:00-古寺鉱泉17:30

標高差と移動距離(アンドロイドソフト・山旅ロガーにて取得したGPSデータ)
・2022年10月1日 累積標高 登り782m 下り112m 沿面距離5.4キロ
・2022年10月2日 累積標高 登り1363m 下り2084m 沿面距離16.3キロ

●水場
・田代清水:泥のような小さなちょろちょろの沢水。この季節は期待できない。
・鳥原小屋:小屋の数十メートル手前2カ所の沢あり。湿原寄りの沢の奥で豊富に取れる。尚鳥原小屋前の流し台にはホースが引かれているが水は出ない。先の沢が水場。
・銀玉水 :朝日一美味しい水ともっぱら言われる。日本一の山の水、と友は言う。冷たくて豊富な水量。確かに飯豊にも南アルプスにも勝るかもしれない。稜線直下だが水は潤沢。
・三沢清水:ホースから間欠泉のように水が飛び出す。豊富。
・一服清水:北側の山はだから冷たい水。豊富。

●小屋
・鳥原小屋 2階建ての頑丈な避難小屋。トイレは水洗で別棟。また、神社の社あり。
・大朝日小屋 避難小屋と言うが管理人がこの季節にはまだ駐在。立派な2階建ての小屋。食料・飲料水が販売されているかは未確認。トイレは室内。

●その他
・今回のルートでは小朝日岳の登りでロープ場2カ所。小朝日岳から大朝日岳への巻道分岐迄の下りと合わせ、若干のバランス感覚が必要と感じた。
・クマの糞を随所で見かける。クマよけ鈴を三人とも派手にならした山だった。
・水はコース取りにもよるが随所で補給できる。
・前回のトレーニング山行での丹沢大倉尾根往復では足の痙攣に悩まされた。水分摂取不足、ミネラル欠乏。ということで今回は塩分・ミネラル飴と水分を意図的に多く摂取。幸いにけいれんには遭遇せず。
・北向きの下山路は秋の夕暮れが迫るのは早い。稜線から古寺鉱泉への下山路は九十九折。東斜面になり陽が落ちるのが早い。
・下山後の湯は「大井沢温泉湯ったり館」がくつろげる。部外者でも町民割引並みの値段で入浴できる(300円)

深田久弥著「日本百名山」によると、朝日連峰は東南から北西に向けて、鳥原山・小朝日岳大朝日岳・西朝日岳・寒江山・以東岳の連峰を指すと書かれている。今回の山行では前半の3峰を踏んだことになる。

* * *

●ブナの森

ブナの森は心地よい。緑の空気を透過する新緑も、空気を紅に染める紅葉も、落葉してすっきりとした状態もすべてに生を感じる。太い幹の紋様も美しい。ただドングリはクマの大好物でもある。注意するに越したことはない。

●高層湿原

そこは小さな湿原だった。一本のダケカンバがすっくと立っていた。

● 山小屋の夕べ

小屋のそばの沢水で炊いたご飯。思い思いのおかずで食べる。下界で食べたら粗末な料理が山小屋ではかくも美味しいのは何故だろう。笑顔、会話、充足感。

● 朝日

朝日連峰で迎えた朝日。東の空が朱に染まり、あれよと思う間に赤い球があがってくる。その速さにたじろぐ。素敵な一日がこうして始まる。

● 秋の空にナナカマド。君は何故そんなに赤いのだろう?

● どんな山にも必ずあります、緊張の箇所。ここはロープ場。慎重に足を運べば登りきる。

● 嗚呼、大展望。ヤッホーと叫べど帰らない。山よさようなら、また会いましょう。

目指す主峰が近づいた

万感の山頂へ、あと一登りだ。

ここから北西へ、長い稜線が伸びていく。山には果てがない。

今回のルート。鳥原山、小朝日岳、そして主峰・大朝日岳を歩くことが出来た。