何故だろう、この十年以上の間、飾らなかった。生活に彩が無かったのだろうか、余裕が無かったのだろうか。押し入れの奥から絵が出てきた。それはドイツを去る日に買ったものだった。
デュッセルドルフは当時人口五十万人の都市だった。そこに日本人が五千人住んでいた。1%が日本人の比率だった。日系企業の欧州本部としてこの地は多くの日本の会社の支社が置かれていた。駐在員の多くは街の真ん中を流れるライン川の西岸地区に住んでいた。そこはオーバーカッセルやニーダーカッセルという地名だった。またデュッセルドルフ市内を出てしまうがその西のメアブッシュという街にも多くの日本人がいた。ライン川西岸が日本人居住区というとわかりやすい。そこには日本人学校があり日本人幼稚園があり、日本のお寺もあるのだった。しかし石造りの家並みと路面電車がゴトゴト走るその様はやはりヨーロッパだった。自宅はそんな街に在った。
二年と少し住んだ街を離れる時に自分はすっかりこの街とドイツが好きになっていた。次の任地はパリだった。普通は嬉しいはずだがデュッセルドルフは離れがたい。ドイツの記念に、と妻が買い求めて来た絵があった。それはオーバーカッセラー橋あたりの上空からライン川とデュッセルドルフの街を北から俯瞰した絵だった。もう一枚は旧市街・アルトシュタットでのクリスマスマルクトの絵だった。どちらも気に入った。
まだいくつもあるのよ、と妻に言われその画家さんのアトリエに行った。それはメアブッシュのマルクト広場からほど近いフラットで良く行くアイスクリーム屋の近くだった。魅力的なデュッセルドルフの街の絵が多くあった。もう一枚買いたかった。選ぶのに苦しんだ。しかしライン川の土手の林の中のレストランを描いた一枚は直ぐに自分を射止めた。僕は暇があればその林まで歩き、自転車で走り、雪が降ったならばクロスカントリースキーを履いてその林を歩いた。そんな中にレストランがあった。春先に中庭でビールを片手に白アスパラのクリームソースがけ・シュパーゲルを食べるドイツ人は如何にも人生を楽しんでいた。転居したパリのアパルトマンでその三枚を飾っていた。フランスに住みながらドイツの絵を掛ける日本人とは、何かおかしいなとも思った。
取り出した絵の中で自分が一番気に入っているライン川の林の絵。なんとガラスが割れていた。普通ならば諦めて捨てるか画材店でガラスを切ってもらうだろうか。しかし僕はそこに透明なアクリル板を嵌めようと思った。ホームセンターに行き600円だった。
割れたガラスを取り除き、ハサミでカットしたアクリル板を嵌める。残りの二枚のガラス版とは遜色がない。しかも軽くなった。残り二枚もアクリルに変更しようとも思うほどだった。
あらためての三枚の絵。好きな絵だったのに何故飾らなかったのか。子供達は受験から就職、自身はキャリア形成、子育てを終えた妻は学童や子供養育施設での仕事・・。だれもそこまで手が回らなかったのだろう。絵には謝り、これからもう一度飾ろうと思っている。それらの絵は自分達を幸せにしてくれるだろうから。