日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

殻を取り払うべきは

所用があり都内を東西に横切る電車に乗っていた。コロナ騒動も一息ついたのか、外国人がとても多く乗っていた。ここまで流れが戻ったか、と嬉しかった。外国人も郷に入っては従うのだろうか、皆マスクをしていた。ガイド本やパンフレットなどを手にしているから旅行者だと一目でわかる。ある駅で5,6人の西洋人が乗ってきて空いている席に散らばった。立っていた自分も次の駅で空席が出来たので、目の前の女性にこう尋ねた。May I sit down here?と。

Oh, sure ときた。それを想像していた。会話の端緒が欲しくややポライトにそう尋ねたのだった。年齢は自分と同年代だろう。会話が弾んだ。カナダから来たという。日本は初めてだ。一週間で東京エリアを回るという。

-貴方は何処に住んでいるの?どんな仕事をしているの?あなたの英語は綺麗ね。
-ヨコハマですよ。仕事はもうリタイヤしたんです。英語も数年話していないから忘れてきたので、こうして話が出来て良い機会です。
-アーリーリタイヤメント?いいわね。横浜は明日行くのよ。大きな港があるのよね。
-(早期引退・・別にいい事ばかりでもないがな・・・)と思いつつ彼女にチャイナタウンも良いと勧めて、聴きたかったことを聞いた。

-日本の印象はどう?

この手の質問はテレビ番組などでも良く目にするもので、答えとして彼女が挙げた形容詞もよく聞くものだった。僕はそれが実際に聴きたかったのかもしれない。

- Disciplined
- Polite
- Well organized
- Safe and clean
- Punctual

一発目に出てきた単語が Disciplined(規律ある) だから、駅のホームでの行列や歩行者信号の風景を前にして余程それが印象深かったのだろう。それになによりもこれだけの大都会でゴミ箱一つないにもかかわらず街にゴミが無い。皆、持ち帰るのよね。と興奮していた。

僕は日本と日本人のすばらしさを外国人に伝える事がとても好きだ。だから実際に自分が目にした仕事の取引先のあるアメリカ人の事例を話した。財布を落としてもその中にクルー(Clue)があれば、絶対戻りますよ、と。少なくとも彼女は目を丸くして、ただひとことワオ・インクレディブル と言った。

フィッシュマーケットの活気と寿司の美味さ。そして秋葉原に寄って来たという彼女たちはそこで見たコスプレの若い女の子たちと平和な街が共存していることに驚いたと語った。夢のような数日を過ごしているのよ。これから「シブヤクロッシング」に行くの、と言った彼女たちは新宿ではなく代々木で山手線に乗り換えた。握手をして別れた。

とても嬉しかった。外国人が日本と言うとフジヤマ・ゲイシャというステレオタイプでみる事を、また日本人が外国人と言うと「ガイジンさん」と言って一歩引いてしまい殻にこもりなかなか話しかけない事も、いずれも自分は昔から歯痒く好きではなかった。

今では前者は流石に無いだろう。むしろマンガやアニメなどが良い印象として先行している。十数年前自分がドイツ・デュッセルドルフに住んでいた頃ですらドイツ人の若者が日本のアニメ(ナルト)のコスプレをしインマーマン通りあたりをたむろしている光景は日常的だった。その後移り住んだパリではさらに進んでいた。FNACというマルチメディアのチェーン店、その書籍コーナーには日本のマンガ本が勢ぞろいしていた。ドラゴンボール、ナルト…。そしてこれもまた学生がたむろして見ていた。セーヌ川に沿うパリ日本文化会館では絶えず近代・現代の日本の文化を発信しフランス人には大人気だった。渋谷駅前のスクランブル交差点は今では有名なスポットだ。ニューヨークのタイムズスクエア並みだろう。

では後者はどうなのだろう。若い世代は変わってきていると思いたい。そんな垣根がなくなってほしい、それが会社生活を通じ海外の人と接してきた自分がいつも思う事だった。宗教も人種も異なる人々を一概に「ガイジン」と呼ぶこともなくなってほしい。

そういえば車内で会った彼女は日本の印象について、Shy とか Hesitation という単語は口にしなかった。一昔前にはよく言われた言葉だ。確かにあれほど自己の考えを発信するのに熱心な今の若者たちにはそれはないだろう。とすれば、外国人に話しかける一歩や機会があればまた変わっていくのではないか。

しかし同時に思った。ごみを捨てるというサポーターの振る舞いがミラクルのように報じられる国際大会でのサッカーファンや、大谷選手の活躍と彼の人柄などの現地報道を見るにつけ、嬉しいけど逆にそこまで凄い振舞をしているわけではないのだが・・と。これはメディアの過剰な情報操作ではあるまいかと。真実ならばなんだかこそばゆいし、気恥しい。

そう思う自分がもしかしたら一番古めかしいのかもしれない。褒められてこそばゆく謙遜する。「秘すれば花」そんな言葉を美しいと思っている。つくずく外国人には理解されないだろうし、しかしその価値観は嫌いではない。大切なのだ。そんな考え方も又日本人だなと思うのだった。

旧き価値観を忘れずに大切にし、自分をダイナミックに変えていく事。…殻を取り払うべきは自分かもしれない。

秘すれば花と言う言葉も価値観も美しい。大切にしたい。しかし今はもっと殻を破り外に向けて自己を発信するべきだろう。誰も気づいてはくれまいから。

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