日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅13・渚通り(立原正秋)

・渚通り(立原正秋著 1998年 メディア総合研究所)

文学作品には作者自身の生き様や、こうありたいという理想、価値観、自身が問題と捉えていることとそれに対する考え、などが前面に出てくるのだろうか。私小説ならそれが比較的わかりやすく出てくるのだろうし、純文学にすると少し遠回りした表現になるのではないだろうか。

立原正秋の短編集を図書館で手に取った時、「渚通り」という彼の小説によくありそうな散文的なのに印象を残す書の題名に魅かれた。

勁直(強く正しい事)。矜持(誇り)。そんな断定的で強く美しい日本語を知ったのは立原正秋の書だった。彼の作品は「己に対して矜持を持ち、勁直に生きる男」が主人公になることが多かった。そんな男がいるならば実に素敵だと、そうなりたいものだ、と、自我も持てない大学生の自分は感じたのだ。

借りたのは九つの短編が纏まった本だった。作品の前後が分からないが、立原氏の長編作品「恋人たち・はましぎ」に通じる世界がそこにはあった。従姉妹同士の恋愛、女衒と言う世界に住む男。どちらかが習作であり、どちらかが集大成かもしれぬし、集大成で書ききれぬエッセンスだけを短くまとめ直したのかもしれない。(「交喙の嘴(いすかのはし)」、「渚通り」)いずれもまぎれもない自分の読み慣れて憧れた文章がそこにあった。

全体を通して男の美意識はこういうものだ、という強い考え方が根底に流れている。

「ネクタイ」では老夫婦に漂う愛情と、控えめに夫を支える老女の姿を暖かく撮られている。「十万円の弁当」では、電車に請負師風の男が置き忘れた風呂敷包み。慌てて男は戻ろうとしたが電車の扉は締まる。見ていた男はその嵩から十万円札が入っているに違いにないと思い持ち去り、飲み屋でその包から支払おうとしたらずっしりとした海苔巻きのお弁当だった事。労働者が置き忘れた愛妻弁当を密かに持って帰ってきたのか、という笑い話の裏に、お弁当を作る妻とそれを大切にする夫の風景が少ない文字で簡潔に書かれている。「交喙の嘴(いすかのはし)」では長い時間お互いを意識しあっていた従姉妹同志が互いの気持ちに気づくという姿を描いた。そんな読みやすい掌編もあれば屠畜場に勤務する町役場の勤め人が遊びに入った曖昧屋で知り合った過酷な女衒世界とそこでの泥沼のような愛憎劇。それを冷徹に客観的に眺める勤め人。そんな重たい表題作「渚通り」。

立原氏の作品は「冬の旅」を始め学生時代にいくつか触れた。どれにも作者の美意識が感じられた。日本本土では産まれていないというご自身の出生に対する思いがどこかにあったのだろうか。立原氏が違う人生を送っていたら、彼の男らしい文章は産まれなかったかもしれぬ。彼が日本の古典芸能に触れていなければ彼の美意識は違うものだっただろう。その意味で彼の書は立原氏が自分の生涯を通して得た価値観の表出ではないか。時代が進み世間の考え方も価値観も変わった今では生まれない作家だったのかもしれない。

学生時代に立原氏の書を友に薦めたところ「私はこれ好きじゃないな」と一読した彼女は言った。後に妻も又「なんだか男目線すぎる」という感想を読んだ当時に言っていた。特に女性からは確かに今なら受容されないような価値観なり表現も使われているのかもしれない。しかし、それをいったん外してみる。「強く正しく誇りを持って生きる事」という姿は自分には美しいと思える。なぜなら、自分はそのどれも持ち合わせていないからだ。

…隣の芝生は青く見える、ということだろう。

短編集でも作者の勁い文体に彩られた美意識が根底にあり、魅了された。