日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

平均律クラヴィア曲集第1巻 大塚直哉演奏会

バッハの大作、平均律クラヴィア曲集第1巻の全曲の演奏会だった。通して生演奏を聴く機会はそうもない。矢も楯もたまらずに予約して良い席を取った。演者は大塚直哉氏。楽器はチェンバロ

平均律クラヴィア曲集は第1巻と第2巻。上下になるがそれぞれ独立した作品群だ。12の調性で長調短調でそれぞれ曲にする。つまり24曲。そして1曲は前奏曲とフーガを構成するので48の前奏曲とフーガになる。上巻と下巻は同じ構造なので計48曲、96の前奏曲とフーガだが上下巻の完成の間には20年の隔たりがある。やはり円熟に達した第2巻(下巻)のほうが個人的には聴きごたえのある曲が多い。

大塚氏の演奏に触れるのは二度目だ(*)。前回は10カ月ほど前だっただろうか。隣町のコンサートホールだった。あの時は「色々な鍵盤楽器で聴くバッハ」と題した演奏会でパイプオルガンとポジティブオルガン、そしてチェンバロという動作原理も音も異なる三つの楽器を弾き分けてバッハの音楽の構成と響き方を講じてくれた、素敵な試みの演奏会だった。

今回はフレンチスタイルのチェンバロで一気に大きな作品群だ。「音楽の旧約聖書」と呼ばれる平均律クラヴィア曲集。雅なチェンバロの響きで、休憩を入れて3時間に近い演奏会は楽しかった。普段はやはりピアノで聴くことの多い作品だ。ピアノはベロシティが効くのでチェンバロとは大きく響きが異なる。それをチェンバロを意識してピアノ風にひかない演奏もある。逆にスタインウェイの華麗な響かせる豪華な演奏もある。どちらにもそれぞれ味がある。といってチェンバロが音の表情を作りずらい楽器かと言えばそうではない。事実大塚氏は変幻自在の音を聴かせてくれた。素晴らしい演奏会だった。

一通り24の調性・短調長調の組み合わせによる世界を楽しめた。大塚氏自らが言うように、それは宇宙の旅に近いものと思えた。演奏の後、カーテンコール、そしてマイクを握っての解説の時間があった。前回の演奏会でもそうだった。解説の時間を設けるとは少し型破りな演奏会だった。「バロックの世界を誘う」というシリーズ企画と知り納得した。前回の解説では、それぞれの楽器の動作原理の説明とそれによる聞こえ方の違い、バッハの意図した音についての説明だったと思う。今回の説明もやはりチェンバロの持つ多彩な響きの説明、それは上下2段の鍵盤を独立して使うか、連動させて使うか、そしてミュートを効かせるかのよるもの・・。そしてバッハがこの曲集で意図したことについての考察を話していただいたのだった。

バッハの平均律の作曲意図について、バッハ自身の考え方はこうではないか、という解説を述べられた。
管弦楽付きの曲・例えばブランデンブルク協奏曲などでは、自己の作曲能力の高さを示したかった。
カンタータでは、神への信仰を示したかった
・そして平均律では、調を巡るシステムを追求し、そこにリズムの技法を取り入れ、自己の技術の研鑽であり後世の人が学ぶためのものとしようと考えた。

どの話にも肯け興味深いものだった。信仰もあり学術的でも理論的でもあり、かつストイックでもある、とはいえ20人と子だくさんのバッハはやはり人間臭い。しかし彼の造った作品はどれも不滅の光を発し、平均律に至っては「音楽の旧訳聖書」とまで言われる。旧約聖書はイエス以前の世界、創世記に至ると聞く。音楽を志す者ならば誰しもそんな起源に触れ自分なりに消化し自分の道を探すことになるといなろうか。謂れをそう考えている。第一巻は終えた。第二巻24曲をいつかホールの生の演奏で聴いてみたい。こちらにはBWV871、881、887、892、893と好きな曲が目白押しだ。

巨大な「旧約聖書」を聞きながら、今夜風にあたったならさぞや心地よいだろう、と部屋の窓を開けた。春浅い冷たい風に織物のような音楽が溶け込んでいく。こんな素敵な世界に触れていると果たして今自分は夢の中か現生か、いったい何処にいるのだろう、そう思うのだった。

平均律クラヴィア曲集第1巻演奏会 チェンバロ:大塚直哉 2023/3/25神奈川県民ホール

大塚氏の演奏会は2回目。バロック音楽を身近にしようという試みには好意を感じた。

(*)https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2022/06/03/010008