日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

桜の夜

桜の花びらが舞っている。夜風が冷たい、それが花びらをこの時期まで枝にとどまらせたのだろう。やや強い風に枝からはらはらと離れて気まぐれな空気の中を泳いでいた。

三十三年前の今日。ちょうどこの時間帯に自分達は六本木のトラットリアに居た。気取らぬ店だった。学生時代の友人が二人で仕切ってくれた。男性の友人はそれがプレッシャーだったのか、何度かトイレに行っていたという。女性の友人は笑顔でそつがなかった。それは自分達二人がごく近しい人たちだけを呼んだ小さなパーティだった。

どんな料理が出たのかも、立食だったのかも覚えていない。ただ女性の友人が伝手を使いその店を貸し切りにしてすべてをアレンジしてくれた事、そして男性の友人が軽妙に盛り上げてくれたことを今でも感謝の想いと共に憶えている。その日は昼前から忙しかった。自分は羽織袴だったが相方は綿帽子に白塗りだった。こんな神前式は嫌だし、ましてや親戚一同が来る。スピーチや余興の数々。友人のそれは嬉しく楽しいが、謡や舞踊などを親戚がするのはどうかと思った。しかしそれは親のリクエストでもあった。親戚もいい迷惑だが断れなかったのだろうと思う。祝い事とは厳粛を通り越してかくも滑稽であると思ったが、それが親の願いなら仕方ないのだった。

そんな思いの反発があったのか、イタリアンレストランのひと時は心から楽しかった。何の余興もない、それぞれの友達が集い一箇所にまとまる。十人だったのか二十人だったのかも覚えていない。酔っ払ってどうやって新居に帰ったのかも覚えていない。それが自分達の第一歩だった。

あの時と同様にカジュアルな内装の店だった。店の大きさも近いだろう。違いと言えば人数だった。今日は二人きりだった。サラダとアヒージョ、オムレツにパエリア。赤ワインのグラスを重ねて「サンテ」だった。もう三十三年なんだね。すごいね。そんな話が出た。すこし感慨深くドラマチックになれば、と昔話の引き出しを開けた。開いた扉からは幾つもの昔話が湧いてきた。しかし彼女は今の話のほうが楽しそうだった。男はいつもセンチメンタルな懐古にふける。女性はリアルな現実を視る。そんな話は良く聞くが、正しいな、と納得した。

ただお互いに対する感謝はあった。トラットリアで着飾らないイタリアンを頂いた。スペインバルでカジュアルなスパニッシュを食べた。賑やかな笑いがあり、落ち着いた笑いがあった。スペイン料理を初めて食べたのは渋谷だった。結婚前だった。センター街からパルコ裏に登るスペイン坂にそんな店があった。恥をかきたくは無かった。しかしメニューもワインも解らなかった。何が出てくるかも分からない。いくらかかるのかも分からない。何を食べたのか、ただ汗をかいた事だけを覚えている。

いつかスペイン料理店に入っても緊張しなくなった。それは歳月のお陰だった。長いようにも思え短くも思える時間の積み重ねだった。あの時交わした指輪は今は二人とも外している。自分は紛失を恐れた。妻は家事で汚れるのを嫌がった。そしてそれらを何処に保管しているのかも自分は知らない。それは些細もないことだろう。次は三十四回、そして。

・・何処まで行くのかも分からない。互いに健康であれば回数は増えるだろう。店を出て桜の花びらの中を家路に向かった。自分達は桜に包まれる。あの桜の夜の日もきっとこんな素敵な風景だったのだろう。

歳月は短くとも長いのか、長くとも短いのか、よくわからない。

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