日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

万引き

何故そんな気持ちになったのか分からない。もう大学生活もひと月を残すだけになっていた。別れがたい仲間たちもみなそれぞれに就職が決まり新しい世界へ行くことが決まっていた。故郷に帰る友もいれば東京で働く事を選んだ友もいた。それぞれだった。

世田谷は下北沢が自分達の根城だった。友人のアパートがあり自分はずっと入り浸っていた。渋谷は学校のある街で、青山通りを渋谷駅に向かいセンター街の飲み屋に行くことが多かった。その日も渋谷で飲んで、下北沢まで戻ってまた飲んだ。そこで解散となったが三人残った。自分はもう一人の友とともに友人のアパートに行くことにしていた。狭い路地を三人で千鳥足だった。彼のアパートの手前にコンビニエンスストがあった。そこでさらに飲もうという事で何かを買いに立ち寄った。

「なぁ万引きしようか?」
「ええなぁ」
「ワレ、何言いよるんじゃ」
「お前はせんでええよ。」
「みつかるなよ」
「オッケー」

僕は目の前の棚にあった小さなものを手に取った。それは「茹で卵」だった。えい、と迷ってそれをコートのポケットに出て何食わぬ顔で店を出た。もう一人の奴は歩きながらコートからウィスキーの小瓶を取り出した。

部屋の主は「お前ら何しよるんじゃ」と怒ったが、ヤツの部屋に戻って三人でウィスキーを開けて玉子を食べた。翌朝二日酔いの頭を抱えて目を覚ましテレビをつけると、なんとスペースシャトルが発射後すぐに爆発して散っていく映像が流れていた。それは1986年の一月末だった。

近所の小型スーパーだった。コンビニエンスストアよりは生鮮食品が多く値段も安い。住宅のある都心部や郊外の街によくある店だった。品揃えは多くないが大手スーパーの傘下だから値段が安い。還暦夫婦は多くの食材を必要としない。そこに行くことが多かった。そこで僕は目にしてしまった。自分の横に居る高齢の男性がカバンに板チョコをスッと入れたのだった。皺くちゃの汚れた手だった。彼はふらふらと店の外に出たがレジにいた女性がすぐに追いかけてお爺さんは捕まった。「泥棒したでしょ、悪い事ですよね」。手を引かれて店に戻ってきた。すみませんでした、と謝っていた。

汚れた野球帽の下の顔は土色で目の光もなかった。彼の周りはしかも、すこし臭かった。

死んだ姉が生前言っていた。彼女もこのチェーン店の違う店舗で働いていた。やはり万引きが多かったと。マニュアルによるとすぐに警察を呼ぶようにという事だったらしい。自分は最後まで見る気が起きなかった。会計を終えて店を出た。

彼は何故チョコレートを一枚カバンに入れたのだろう。お腹が空いたのか。いやそもそも年金をもらえているのか、全く分からない。もしかしたら認知症かもしれない。それは余分な詮索だ。

僕はなぜつまらない万引きをしたのだろうか。大人になるための通過儀礼だ、とその時思ったかもしれない。去り行く輝かしい時間への惜別かもしれなかった。しかし今思えばとんでもない話だった。誰もが就職が決まっていたがもしかしたらそれが白紙になったかもしれなかった。朝日がカーテンから射している彼の部屋のこたつには剥いた茹で卵の殻があり傍らにウィスキーボトルが転がっていた。その奥のテレビでは幾度も爆発シーンが流れていた。エライコッチャと声に出た。本当に何かの終わりを感じた。それはモラトリアムだった。

数年前に久しぶりに下北沢に行った。友とスペースシャトルの飛散を口を開けて見たアパートも無かった。あのコンビニがあれば過ちを告白し代金を払おうと思ったが、もうそれも無かった。その時の自分にはなにか大切な事だったのかもしれないが、全くひどい話だった。店主も万引きに気づいたのか、やつらもこれで学生も終わりだろうからまあいいか、と見逃したのか。万引きを諌めたのに共にそれを食べて飲んだ男は地元に帰り金融業界で理事をやっている。ヤツとは今でもそんな笑い話をする。ウイスキーの彼は証券マンになった。彼のその後を知る伝手はない。時がながれたのだ。

認知症になってしまったら許してほしいが、目下何かをやろうとするときは、周りの人はどう思うだろうか、と気にするようになった。それが学んだことかもしれなかった。

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