日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

もう要らない

渋谷に来た。この街から東へ坂を登った先に母校がある。二年間の教養課程を神奈川県厚木市の新設キャンパスで過ごし専門課程からが渋谷キャンパスだった。

学校帰りはいつも渋谷の町に吸い込まれていた。センター街を歩き宇田川町交番の奥まで進むと輸入レコード店がありそこはパラダイスだった。その向かいには東急の経営する大型雑貨店もあった。なんとはなくこの二軒がゴールだった。パルコ前は公園通り。テレビドラマのエンディングロールで松田優作が長い脚を伸ばして壁によりかかるワンショットが印象的なあの通りを上る事もあった。小洒落たスペイン坂を上るとガラス張りのスタジオがあった。当時人気だった紺野美沙子さんがDJをそこでやっていた。あまりの小顔と美しさに人だかりができていた。そこからは渋谷駅に戻らずに松濤の高級住宅街を抜けて友のアパートのある下北沢まで歩いた。近くはないが友とそぞろ歩きするのだから気にならなかった。道々での話題は何だったのか覚えていない。縁のない女性への憧れか、間もなく終わるモラトリアムへの惜別だったろうか。

彼女との最初のデートも渋谷だった。映画は見たが何を食べたのだろうか、センター街の雑踏の二階に上がり気楽にとお好み焼きだったかもしれない。銀座などは若い二人には向いていなかった。原宿はキャピキャピしすぎていた。表参道はお洒落すぎた。新宿は怖かった。池袋はなお怖かった。その点渋谷はいつも安心できる街だった。・・・そう、確かに渋谷が我が街だった時代は確かにあった。間違いなく風景に溶け込んでいると思っていた。

街は生きている。新陳代謝する。東横線ホームが地下駅になってからの変化は目まぐるしい。馴染のビルはとうに消えた。デパートも無くなった。

久しぶりに妻とともにセンター街奥のあの大型雑貨店に行った。今は何でもネットで買えるが現物を見て買いたかった。センター街の雑踏にたじろいだ。スクランブル交差点自体が有名になり外国人ツーリストはわざわざ見に来るほどだ。とてもまっすぐに歩けない。小柄な妻はしばし人並みの中に埋まってしまった。一苦労だった。嫌気がさして復路は公園通りを選んだ。こちらも大間違いだった。狭い歩道はさながら動脈硬化の血管のようで人は殆ど動けなくなった。そこをヘルメット無しで電動キックボードが走り抜けていく。

もうこの街は要らないね。
二度と来ないわ。

そんな話をした。時代とともに街は変わるのだが何よりも人もまた変わるのだった。確かに渋谷に違和感がない時代はあったが、それが似合わなくなった今を特に後悔することもない。

今の自分達に必要なものは何だろう。健康年齢は七十五歳までと言われている。大目に見て八十歳としよう。スタスタと歩けるのはあとせいぜい二十年だろう。ゆっくりとした生活、という言葉が浮かぶ。人混みのない場所で、景色の良いところで、空気のきれいなところで。夜明けとともに目覚め日暮れとともに寝る。しかし脳と体は活性を極める。いやそうあるにはそんな環境が必要だとおもう。心と体がそれを求めている。

時と共に不要なものは捨てていき、必要なものを得ていく。それが自然な姿だと思う。

久しぶりに渋谷駅からセンター街へ。交差点自身が観光名所化したスクランブル交差点を経て歩くと嫌気がさした。もう要らないと思うのだった。

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