学生時代の友人と長い空白を経て再会をした。学校が渋谷にあるのでそのエリアを再会の地とした。
友には自分の結婚式の2次会の幹事をして頂いた。30年前の話だ。それからは数度会ったのみ。それぞれに家庭があり、お互い長いようで短かったそれぞれの年月を経て、無事で、今に至っていた。再会の時は思わず涙も出そうだった。山あり谷ありの年月、それを語り合うだけであっという間に時が流れるし、昔話ではすぐに35年前の自分たちに戻るのだった。
懐かしの青山界隈を歩くことになる。青山一丁目。ここは、もちろんホンダ。一階ショウルームでは即座にタイムスリップする。80年代のウィリアムス、マクラーレン。F1カーが展示されていた。綺羅星のようなF1ドライバーたちが乗った車の迫力には震えが来た。ターボありNAあり。あの頃次々と革新を生み出しレースで勝利を重ねるホンダ、とても輝いていた。
少し歩いて、絵画館のイチョウ並木へ。クヌギの木漏れ日溢れる外苑のカフェの戸外デッキでランチ。日差しは強いが木陰の空気はひやりとして、もう秋の盛りに来たのは明白だった。
表参道から懐かしの母校へ足を向ける。母校はコロナ予防接種会場になっていて、入ることが出来なかった。卒業生でもダメとのつれないお言葉だが仕方がない。正門から続く懐かしい並木道は奥行きを持って続いてゆく。母校で一番好きな風景だった。どん詰まりには古い建物があったと記憶している。しかしあのツタに覆われたチャペルはもうないと言う。しかし正門右横には真新しい高層ビルが。もちろん当時にはなかったしただそれさえも建てられて25年は経つだろう。
渋谷に出る。五島プラネタリウムはとうに無くなりヒカリエが出来たことは知っているが、東急渋谷駅の跡地の高層ビル・渋谷スクランブルスクエアは知らなかった。流行に敏感な友人に案内をして貰う。もう、懐かしの街の風景も大きく変わった。渋谷スクランブルスクエアに登り、渋谷の街を見下ろしてみる。あのスクランブル交差点、学生時代は学校が終わるとよくあの中を抜けて行った。友人のアパートが下北沢にあり、そこまでそのまま歩いて行った。あの喧騒の中を我が街のように闊歩した時はあっという間に去った。
お互いに年をとったね、と笑っていいあう友人は自分にとっては35年前と何ら変わらない。しかし街は変わり、傍目で見ればやはり自分たちはそんな年齢なのだった。長きのインターバルを経て再会できた友人。話をして目を閉じると、若き友は柔らかな笑顔を浮かべキャンパスを歩き街を抜ける。その透明な声は今も変わらない。そして今にも連戦連破だったF1、ホンダサウンドがテレビから聞こえて来る気がする。
バブル・リーマンショック・大震災・コロナ・・お互い消息もあまり知らない中、それなりに、自分たちなりに乗り越えてきた幾つもの波。病める時もあれば健やかなる時も、自分には確かにあったし、友人にもやはりあったのだろう。
今を生きる自分たちにとって懐古は前向きではないかもしれない。でも、いいではないか。若き日を振り返り、そこに居た自分たちを思い出す。今でも間違えなく言える。何かにもがいていたあの時代。酸欠の金魚が鉢の水面から顔を出すかのように辛かったけれど、今思い起こせばそれは輝いていてやはり栄光の時代だったと。そして自分達にはまだその先、楽しい未来が、待っていると。
友との邂逅に感謝し、懐かしい日々を思い出しその輝かしさを改めて感じる。「ようこそ輝く年月へ」と過去は語りかけ、同時に「明日を開くのも貴方だ」と背中を押してくれる。そう、将来を楽しみにする。再び友と再開し、次に笑いあうのは何時だろうかと思うだけで、この先の未来、それは自分達が織物のように積みかさねて作っていくもの。それが楽しみで仕方がない。
早くも落ちてきた秋の夕日を感じながら、渋谷駅で握手をしてから手を振った。柔らかい友の手の温かさが、今を生きることのすばらしさとして感じられた。輝いていたあの年月を再び思い出すのはまた次の機会だ。
これからも積みあがっていくゆっくりとした日常へ、戻っていく。
(2021年10月14日・記)
懐かしい心の中の風景は、いつまでも色褪せることもない。