日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

大きな背中

信用金庫に行った。街の中にある小さな支店でも駅前に立つ都市銀行地方銀行とは違い、信用金庫は比較的空いている。いつもはATMだがカウンターまで行ったのは、先日世を去った父親の預金口座を締めるためだった。

受付で応対してくれた女性担当者さんは父の死と施設にいる母のことを聞くと目を丸くした。お二人で揃って良く見えてましたから、とのことだった。地元の為の金融機関とはそういうことだろう。

何処の銀行でもそうだろう。ここもまた、窓口5カ所程度のカウンターが横に並び、その奥に、机椅子がカウンターに平行して数列並んでいるのだった。

カウンターでの処理を奥のテーブルに回し、そこで確認して、又戻す。そんなやり取りに見えた。最前列がお客様窓口。次列は確認係。するとその奥の列は何だろう。カウンターの女性は何か確認する事項があると、三列目やその奥に居る行員の席へ向かっていた。奥になればなるほど上位職なのだろう、と直ぐにわかる。

僕は大学時代の友を思い出していた。片思いの恋で身を焦がし、学業そこのけで大学を止める一歩手前まで行った男だった。彼は地元の街へUターン就職をした。大学卒業後も旅行や結婚式などで何度も西へ800キロ離れた小京都と呼ばれる彼の街へ出かけてきた。彼が居なければ縁の無い地だったが今では初見の観光客よりはその街を知っている。行ってすぐに気づいた。彼は町中に知人がいた。それは彼の陽気さという天与の才と、信用金庫職員と言う仕事柄からきているのだろう。実際、大きな体で顔を皺くちゃにして笑う彼を見れば、手持ちの金はすべて預けたくなる、そんな男だった。陽気だが呑気でもあり緻密さには欠ける男だと学生時代に思っていたがそうではなかったのだろう、自分が海外転勤を終えて帰国すると「支店長」の肩書を持っていた。僕は出世しても尚屈託なく町の人と気軽に触れ合う友を見て、不意にとても泣いてしまった。懐かしさと頼もしさ、彼の変わらぬ男ぶりの良さがそうさせた。見送りに来てくれた新幹線の駅でも、また泣いた。すると彼も泣いているのだった。

もう定年だろう、時間に余裕が出来たな。ならばもっと会えるな。そんな話をした。すると彼は「いや今度の九月で理事になるんよ。もう何年か働かんにゃいけんのじゃ」と言う。理事さんとはすごい話だ。奴の大きな背中を思い出した。度量が大きかった。垣根が無かった。信頼があった。当たり前だと思うのだった。

理事さんは流石に店頭には出ていないのだろう。目の前の数列のカウンタにもいないだろう。ふと、担当の女性に聞いてみた。「ところで信用金庫の理事さんとはたいしたものですか?」と。聞くまでもない問いだった。人様の大切な資産を預かり、個人事業や地元の会社へ運転資金を貸し出すのだ。中途半端では出来ないだろう。 

受付の女性は自分の両親を覚えていてくれた。人を覚え信頼しやがて信頼される。そんな当たり前の先に、彼は居た。年齢柄、色々と悩みがちな日々がつ続く。晴れ間は見えない。なにか前向きな力をあの陽気な友から貰いたかった。彼の大きな背中はいつも力をくれる。また会いに行くか。涙に備えてハンカチを何枚か持っていこうと思う。

彼の街の古刹は季節に応じて美しい。彼に会って力を貰いたいと思う。

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