日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

横浜鶴見・点描

横浜市の一番東に位置する鶴見という土地に住んだ期間は幼稚園から小1まで、そして大学四年から、6年間の海外転勤を除き今日まで。40年を越えていた。街は随分と変わった。ずっとJR線を挟んでの末吉台地と呼ばれる西側の高台に住んでいる。昭和40年代初めの鶴見・末吉台地はまだまだ長閑な丘陵地で、川崎市上空には飛行船が飛んでいた。「日立キドカラー」と書かれていた。東に目をやると海岸の工業地帯から常に黙々と煙が上がっていた。

学生時代の酒屋の配達のアルバイト、リタイヤ後のご老人を載せてのデイサービスのパート運転手。その守備範囲は馴染みの末吉台地だった。概ね鶴見区の末吉台地の道路と地形は頭に染みついているが知らないのは海岸地帯だった。JR線の東側は平たん地で、埋め立て地も広がっている。そこは今も昔も京浜工業地帯の一部であり、町工場や重工業。自動車関連の工場や倉庫、物流倉庫が並ぶ。全く違う風景だった。異国と言えた。

地元を見直す訳ではないが自分にとって異国であるエリアを最近思い立ってサイクリングを兼ねて幾度も訪問しているのは、そろそろこの街に居ることが辛くなってきたからだった。いつか山の見える空気の美味しい環境に住みたいと思うのだった。ただ、自分を育ててくれた街にはやはり想いがある。自分の知らない湾岸地帯も良く記憶に残したいと思う。そんな目で見ると町は魅力にあふれている。すこし忘れないように風景を点描したいと思う。

● JR鶴見線 
JR京浜東北線鶴見駅の2階に対式ホームがある。3両編成程度の短い終端型のホームが鶴見線の起点・終点だった。ここから線路は大きく東へ曲がり東海道線京浜東北線・貨物線を越えて湾岸地帯へと進んでいく。主線は南武線支線の終着駅である浜川崎を経て扇町まで。支線は浅野駅から分岐する海芝浦支線と安全駅と武蔵白石駅の間から分岐する大川支線。海芝浦・大川支線ともに単線区間だ。車両はかつてはチョコレート色の17m級旧型国電・12形だった。大川支線のカーブのRがきつく、そこを走れるのは旧型国電だけというので最後までそれが数編成残っていた。とても好きな車輛だったが今では本線支線ともにステンレスの131系にとってかわった。20m級電車だがそのために大川駅支線のR部分は線路を敷きなおしたと聞く。濃茶色の旧型国電車輛が好きな自分としては寂しいが、それは昭和ノスタルジーだろう。工業地帯を進む鶴見線は運河を渡り海を見る。潮の香と工場の空気の中を走る、都会のローカル線だ。

埋め立て地を渡る錆びた鉄橋。ガタゴトとやってくる鶴見線

車庫は弁天橋駅にある。有数の工業地他の最中だ。

● 魅力ある駅
癖のある、魅力的な駅が多い。鶴見駅の隣、国道駅には戦争中の弾痕ものこる遺構だ。同駅の高架路線下はトンネルのようでウナギの寝床ともいえる。そのレトロな風景は何度となく映画のロケ地となってきた。し尿の匂いが染みついたそこには一杯酒場と何故か立ち退けなかったのか人家もある。しかしここ数十年でかなり空き家になっている。いつまで持つのだろう。

国道15号線を高架で渡る鶴見線。その高架下が国道駅の改札になる。そのトンネルは異次元空間に近い

高架下は鰻の寝床のように長く、飲み屋と民家もある。昭和の香りに満ちる

海芝浦駅は鉄道ファンにはお馴染みだろう。ホームの下はもう東京湾になっている。ここで降りるのはある重電機メーカーの社員だけで改札を出ると守衛所があり社員証提示が求められる。初めて訪れた。鉄道ファンはここで数十分、電車の折り返しを待つことになる。最近になりそのメーカーが土地を一部開放し公園としたがいずれにせよ独特な風景だ。サイクリング仲間とこの電車に乗り、折り返すまで水面を渡るカモメを見ていた。

海芝浦駅。終端のこの駅は北が工場、南は東京湾。この会社の勤め人以外下車は出来ない。

浜川崎駅は武蔵野からやってくる南武線と貨物線が重なり合い複雑に分岐線が絡み合いそのレールの放つ光は幾何学的にすら思える。鉄道ファンなら血圧が上がるだろう。

大川駅扇町駅は埃っぽい工場が立ち並ぶ埋め立て地が終着駅だった。いずれも無人駅でレールは雑草がたわわだった。使われなくなった側線は夏草に埋まってその痕跡を探すのは容易でなかった。

浜川崎駅は、鶴見線南武支線東海道貨物線が合流し複雑な構内になる。そこをディーゼル機関車がゆっくり走ってきた。

● 一杯飲み屋と船着き場
鶴見線の駅は起終点である鶴見駅を除くとすべてが無人駅。弁天橋駅や安善駅の前などには気楽な一杯飲み屋がある。朝晩に便数は多く昼間は運行の少ない鶴見線。夕方は工場の仕事が終わると人で一杯になるのだろう。酒と冷蔵庫のビール、棚にぶら下がったスナックや乾きモノだけを並べている店もある。冷蔵庫以外は何の設備もない立ち飲み屋。そこではどんな会話がされているのだろう。怖いもの見たさに覗きたいが沼に入ったら出られそうにはない。

駅と駅の間は小さな運河が幾つも通っている。そこには釣り船の船着き場がある。釣り船が幾重に係留され、浮きもやいなどが無造作に岸壁に置かれてそこにゴミやワカメがからまる。喉の渇きそうな風景がある。

駅前にある酒屋にはカウンターに酒と乾き物。手軽な一杯なのだろう。

運河には釣り船の船着き場。工業地帯と海釣りの同居。

運河を渡る。その上には潮の香りが漂う。

● トラックと化学工場
京浜工業地帯にある工場や倉庫群を製造業やロジスティック業、あるいは製造業の細分化、といった観点で分けるとどんな産業が多いのだろう。ヘビーインダストリーは多いが、小規模な化学工場もありそうだ。前者の為に大型トラックが埃っぽい道路を絶えず走る。お陰で路面の状態は悪い。橋でもないのに道路が揺れる経験はそうそう遭遇しない。後者は独特な匂いがする。ポリカーボネイトなどの成型工場ではないだろうか。そんな道を走るサイクリストはいつもトラックにおびえ、鼻が曲がりそうな臭いに目が回る。

● 魚河岸通り
大正から昭和初期にタイムスリップしたような国道駅の高架下トンネルを潜り抜け南に伸びる道は旧東海道だ。成程それらしい。今はかなり店の数が減ったがここは魚河岸通りと呼ばれている。生麦あたりで水揚げされた朝どれの東京湾の魚が並ぶ。威勢の良かった市場の親父たちもご高齢になった。しかし魚は光っている。「明日、ひらめ二枚ね!大きいの釣りますよ」と電話で注文を店主が受けていた。頼もしい声だった。街道沿いに天婦羅屋があるのもそれらしい。裏手の川の堤防に上がると一箇所だけ貝殻浜と呼ばれる浜がある。かつて汚染水で有名だった鶴見川。今でも河口近くとも水面は綺麗ではない。指先に付けて舐めてみたが少ししょっぱい。満ち潮だった。漁船や釣り日音が係留されている川岸から少し先に行くと旧東海道の一角に生麦事件の現場がある。アパートの一角にそれを示す碑があった。馬で遊びに来た英国人一行が薩摩藩大名行列を横切り、無礼者と切られたのは1862年と言う。後の薩英戦争の引き金だった。今はそれを知る者もいないのだろう、日常の一風景に過ぎない。
少し降り曲がるとレトロな銭湯がある。炭酸泉はぬるくて暖まる。長湯をするにはもってこいの湯だった。その先に大手ビールメーカーの工場がある。試飲が出来るので家族で何度か来たことがある。今のカラダでは昼に酒は飲めなくなった。それもまた、時の流れだった。

魚河岸通り。十年前はもっと栄えていたが。時間帯によっては賑わうだろう。

鶴見川も最下流に近い。漁船や釣り船の係留がある

旧東海道の一角。住居に生麦事件の現場碑がある

● 屑鉄回収
鶴見の街や川崎の京浜工業地帯では当たり前の風景だった。自転車に大きなビニル袋に沢山のアルミの空き缶を詰め込んで走るゴミ回収のオジサンだった。アルミ空き缶は軽いので缶を満載したビニル袋が三つ四つ付いても自転車は動くのだった。巨大な風船か泡が走っているように見える。白いビニル袋と真っ黒に日焼け・垢やけしたオジサンとの対比がまるで色の反対色の様にお互いを引き立てている。それにリアカーをつけて合計6袋や7袋を運んでいる達人を見た時は唸った。それらを売って日銭を稼いでいるのだろう。一体いくらもらえるのか。彼らがどこからアルミ缶を収集しているのかはすぐにわかる。通りのごみ収集箇所につくと彼らは缶回収のゴミ袋を解きペットボトルや瓶には目もくれずアルミ缶を選んで自分の袋に詰め込んでいるのだった。ゴミとして出された以上はその所有権は何処に帰属するのだろう。誰も彼らを注意はしない。そんな風景は既成事実だった。

● 沖縄タウン
数年前のNHKの朝ドラに出たように、鶴見は昔から沖縄から移住してきた人が多く、まとまって住んでいるエリアがある。沖縄県人会の会館もある。その1階は沖縄の食材の店だった。あたりを見回すまでもなくすぐに気づく。エスニックな食材店やブラジル料理店もある。実に多国籍なエリアだった。以前散歩中に自宅の近くの家の解体現場で働いていた作業の方に話しかけた。彼らはトルコ人だった。いずれも家族や一族郎党を呼び寄せコミュニティを作る。工場で働く方を中心にまとまっているようだった。ブラジル系移民の多い群馬の大泉町に行かなくとも十分にエキゾチックだ。

オリオンビールの提灯が如何にも南国沖縄らしい。沖縄物産センターにて

● 褪せた街並み
総じて工業地帯の街は色あせている。京浜工業地帯をなす鶴見と。お隣川崎市川崎区はボーダーレスで一体化している。工場と倉庫の埋め立て地から少し内陸に入ると住宅地となる。古い町並みが壊されてようやく新しい住宅も見るようになったが裏道はまさに京浜工業地帯の香りがそのまま漂う。工場の匂い、昼酒の匂い、し尿の臭い。それらは裏通りに染みついている。商店街は疲れ気味だが活気がある。かつて自分の姉がこのエリアに住んでいた。物価が安くて重宝したが常に治安が心配だったと言っていた。自転車で走り抜けても多くは分からない。歩く速度で何か発見があるかもしれない。

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横浜市鶴見区は市の中心でもある中区に次いで外国人の居住者が多い区と聞いた。ダイバーシティと誰もが言うが日本も都心を離れるとやはり外国人にあう事もない。しかしこの街は先をいっている。区役所の受付にある案内看板を見て驚いた。多様性のるつぼだと思うのだった。ダイバーシティはここに在った。我が街もいろいろな発見があるのだった。知らない世界は好奇心と言う心の扉を開いてくれる。そんな扉なら全開でありたい。

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