日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

終着駅は始発駅

「終着駅は始発駅」、書き上げたこの1600字の原稿にはその題名が相応しいと思った。もしかしてそんな題名の本があったはずだと探したら鉄道作家・エッセイストの宮脇俊三さんの書だった。読んだ記憶もあるがなにせ彼の書は大変多く今は数冊を手元に残すだけだった。この本も気に入っていたが何故手放したのかは覚えていない。宮脇氏の秀作の題を頂戴するつもりもないが、やはり終着駅は始発駅なのでお借りしよう。

会社時代の一年先輩から「会おう。会社も辞めたから昼呑みしよう」という連絡を頂いた。アウトドア好きな彼は自分の一年先輩で、入社してからずっとバイクキャンプツーリング、登山、サイクリングキャンプ、といろいろ遊ばせていただいた。理系の彼は自分とは発想法が異なるので刺激的だった。何でも自分で工夫するというアプローチは自分にはなかった。彼は入社10年目の頃に会社を辞めてバックパッカーとして世界を放浪して、その後は長く会う事もなかった。帰国後は某携帯電話のキャリアに就職されていた。二年前にガン病棟に入院していた頃、彼の声が聴きたくなり年賀状を伝手に連絡してみた。力を貰いたかったのだろう。再会の日程は直ぐに決まった。

コロナになるまでは時々ご夫婦で市民マラソンに参加したりトレッキングしたりしていたという彼に会う以上、自分はアウトドアマンとして会いたかった。テントを担ぎ供に丹沢を歩き雪の雲取山を登ってきた。バイクにまたがり甲斐駒の懐で、千葉の海岸で、伊豆で、テントの前で焚火をしてきた。彼は自分にアウトドアの魅力を教えてくれた。そんな彼にはやはり「先輩のお陰で自分もアウトドア現役ですよ」と言いたかった。

その先輩と当時共につるんで自転車で走った他の先輩方を誘い再会の場所まではサイクリングで行くことにした。京浜工業地帯を走る鉄道路線に沿ってペダルを踏んだ。とある駅は盲腸線の終点で電車はそこで折り返す。その駅の外には駅前の工場の従業員しか出られない。一般人は駅のホームか隣の公園で折り返しの電車を待つだけだ。目の前には東京湾がゆったりと波を刻んでいる。カモメが飛翔し魚を捕獲する。目の前の工場を見て思い出した。ここは死んだ父が現役の頃に通っていた工場だった。営業マンだった父はここで造られる巨大な発電機用タービンを売っていた。海辺の終着駅は彼の人生の中での思い出だったろう。彼は先日世を去りその息子も今は病で会社を辞めて人生も折り返しだった。

のんびり走った6時間程度のハーフデイ・ライドだった。先輩との再会の場所は自分がその先輩とアウトドアの計画を練る為にいつも立ち寄っていた中華料理屋だった。懐かしき自転車野郎どもが再集結したことになった。

くだんの先輩は会社を辞めたという。以前から日本語教師の志を持っていることは知っていたので水を向けると、これから中国に一年間語学留学するといわれた。彼の住む街は中国人が多く住んでいる。中国語人材が必要な市が語学留学生を募集しており、彼はそれに受かり市費で留学に行くという。最初の退職、バックパッカーの旅、リタイヤしての語学留学。鮮やかだった。相変わらずの彼の着眼点や発想と行動力。僕がずっと彼に惹かれていたのは、そこだった。カモメのように自由だった。

帰国したらまた連絡するよ。と彼は言ってくれた。出国日は近かったので羽田まで見送りに行くよ、と返したがご遠慮された。それは風に乗って生きている彼にとっては不要な気遣いだ、と気が付いた。

海辺の終着駅で亡き父の面影とたゆたう波を見た。懐かしい店で彼の新たな旅立ちの話を伺った。自分ももうストレスだらけの都会から離れようと考えている。ご同行頂いた諸先輩方もこれからの人生をいかに豊かに過ごすかを考えられていた。誰もがこれから再出発だった。

まさに「終着駅は始発駅」だった。命が尽きるまで自分たちは毎日を重ねていくのだから。

工業地帯のローカル線。この駅で電車は行き止まり。北側の工場の人以外は駅の外には出られない。かつて父が通った工場をきっと彼は死の間際に思い出したかもしれない。南にはホームの下を東京湾がゆったり波を打っている。終着駅だった。しかしそれは同時に始発駅でもあった。

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