日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

季節外れの北帰行

北関東へ向かう列車だからだろうか?列車に乗り込み自転車の入った輪行袋を固定して椅子に座って気づいた。椅子にスチームが通っていた。いやそれでは昔の客車列車だ。今はヒーターだろう。

朝6時半の長距離列車だった。新幹線も通っているが各駅停車で行けるのならそうする。知らない駅で停まる。高校生が乗ってくる。長い距離だと客層は一巡二巡する。ドアから入ってくる空気はつど見知らぬ匂いがする。新鮮だ。

生まれて始めて東北本線に乗ったのは幼稚園か小学校低学年か。父が会社の保養所を予約してそこへの家族旅行だった。行き先は那須だった。そして次は日光への修学旅行だったろう。「ひので」という専用車両だった。その頃既に地理マニアだったので利根川を見てこれが日本第二の大河、坂東太郎か、と興奮した。屋敷森と呼ばれる林に北西を囲まれた家屋敷が点在している風景も惹かれた。冬になると北関東を襲うからっ風「赤城おろし」から家を守るためだった。

高崎線に初めて乗ったのは幼稚園の頃だろう。これもまた旅行だった。鬼押出し雲場池を覚えている。軽井沢だった。その帰り道に焦げ茶色の客車から虹が見えた。初めて見る完璧な虹だった。その後大学生の頃、当時富山市に転勤していた親元に帰省するのに高崎線経由信越線周りの特急によく乗った。籠原あたりで高架になる。ここから見る浅間山は絶品だった。遥か向こうに噴煙を上げている。横川軽井沢の難所超えも風情あった。機関車を連結するのでその間に多くの客はホームに出て峠の釜めしを買いに出る。食べ終わる頃には右手直ぐに浅間山の煙が狼煙のように上がっている。長野を超えると豪雪地帯になる。見る見る雪が増え、驚いたことに列車の走行音は雪に吸い込まれる。まるで自分は真っ白な雪原を無音で跳ねるウサギのように思えた。北陸に出ると荒れ狂う日本海だった。波頭が砕け線路を濡らす。親子ですら振り返らずに一気に通り抜けよと、そう歌われた親不知海岸あたりの風景には過酷さが纏わっていた。

そんな風景も東北へ新潟へ北陸へ。新幹線が開通してからは様変わりだ。当時の列車より倍近い速度で高架線路を走るのだ。難所は全てトンネルで通過。尖っていく空気にも、変わっていく言葉にも気づかない。昔ながらの移動手段は消えていき、ただ効率化が言われる。僕が今でもできる限り各駅停車に拘るのはそんな風潮に対するアンチテーゼだろう。

列車の巡航速度が落ちた。運転士さんのマスコンさばきに一瞬の逡巡を感じた。窓の外を見て唸った。空気と地面の温度差だろう、見事な霧の中だった。これでは飛ばすことは出来ない。宇都宮がこの列車の終着駅だった。しかし今日の僕はそこで乗り換え更に北に行く。このまま進むと「みちのく」になる。

僕はいまそこを目指している。開いた扉からの空気はぐっと冷たい。北帰行とは渡り鳥が夏に繁殖地である北へ飛び去ることを言う。自分は深まる秋に北を目指している季節外れだった。それが何であろう。みちのくは「道の奥」。その行き先に何があるのか、僕は知らない。何処かの駅で降りて自転車を組んで走るだけだ。初めて見る集落を見て峠を超えていく。そんな北帰行もあってはいいではないか。そう、自転車に乗って知らないことを、知りに行く。それが旅だろう。

愛車と共に、北へ向かう。「みちのく」を目指す列車に乗った。何処まで行くのか何処で降りるのか。誰も分からない。それは季節外れの北帰行なのだから。

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