川の源は小さな雫。岩の割れ目から落ちる一滴。いや地面から滲み出るシミかもしれない。
山歩きをしていると有名無名、本流枝流の多くの川の源に接するだろう。沢を詰めて稜線に上がるというルートが多いからだ。日本一長い川は信濃川だがその源流には水源を示す碑があった。それは甲武信岳への登山ルートだった。途中はつまみ食いだが新潟市の万代橋で悠々と日本海に注ぐ信濃川を見た。あのほとばしりがこれか、と思った。
川を最初の一滴から海までたどるのは面白い。何もない山から渓谷をきざみダムになり人々が営為を成す街をめぐり、大河となり海に注ぐ。起承転結がある。
地元の街を流れる一級河川鶴見川。奇麗な川ではない。子供の頃は酷く臭い川だった。しかしそれが工場埋立地の中、東京湾に注ぐあたりは流石に立派だった。その本流の源は自転車で訪ねた。整備されて泉になっていた。その枝流は自分の生活に深く関わっている。毎月の病院にはその川を渡り春には桜を見る。お世話になる以上その源を見たい。鶴見川の主たる枝流は三本だろう。下流から上流に向けて矢上川、早渕川、そして恩田川。恩田川には縁がないが矢上川と早渕川は生活行動圏内だ。
身内に不幸があり多忙なうちに七月は去っていった。諸事に忙殺された。自分の時間が欲しかった。暑いが自転車を家から出した。
矢上川を遡った。満潮時には潮が入ってくるのを見ることができるが、普段は淀んで臭い川だ。川沿いの道もあるが武蔵野貨物線あたりでそれは暗渠となった。田園都市線の駅あたりで再び対面したら近所の側溝を流れるような藻の茂ったドブになっていた。予め国土地理院2.5万分の1地形図で水源は調べておいた。東名川崎インターチェンジの南西斜面にそれを探した。コンビニの裏手の側溝。スマホのGPSが地形図のそれと合致した。そこには枯れ草と石や泥が溜まり水が出てくるにはもう十メートルは下流だろう。住宅の裏手でそれ以上の探索は無理だった。矢上川の源流を見て、それが酷く荒れて虚しいものでも、満足した。
ここから田園都市線の走る丘陵地を西に行けば早渕川の上流になる。源流には五キロ以上北に登る必要があった。綺麗に区画割れした街をフェラガモとコーチの紙バックを下げた自分たちくらいの年齢の夫婦が駅から歩いてきた。東急電鉄が作った高級住宅地だった。出発も遅くなり夏の暑さが加わり早渕川まで丘を下っそれ以上の旅は諦めた。
早渕川は同じく台地上の港北ニュータウンの隙間を縫うように大地の裾を回って東京湾を目指していた。里山の裾には緑色の稲穂が鮮やかだった。川は高いところから低いところを目指す。地形のあり方の妙は魅力的だった。自分の日常生活圏内になり未知を探るというサイクリングの楽しみはこれで終わった。早渕川の源流は、まあ次回だ。
夕方になり南からの風が強くなった。疲れた足にはきつい仕打ちだった。
ベダルを回しながら世を去った身内のことを考えた。今の自分があるのは間違えなく彼のお陰だった。父だった。彼もまた源流で生を受け大きな海に向かい大海に出た。その行程にも谷や渓谷、淀み、ダム、暗渠、色々あったのだろう。起承転結の人生だったと思うのだ。
向かい風の中に父の声が混じっているように思えた。「お前も元気にやれよ」と言っているようだった。頭を振った。夏の夕暮れの幻かもしれなかった。