スパイ大作戦、またはミッションインポシブル。人によっては、格好良すぎるトム・クルーズ演ずるイーサン・ハントの嘘のようなアクション映画を思い出すだろうし、あるいは渋いピーターグレイヴス演ずるチームリーダーのジム・フェルプスとメンバー達が活躍するテレビドラマだろうか。こちらのチームメンバーは個性あふれ魅力的だった。性格俳優マーティン・ランドゥ演ずるニヒルな変装者ローラン・ハンド、紅一点として美貌を用い色仕掛けもして相手の懐に攻め入るシナモン。力持ちのウィリー、電子・機械に精通したバーニー。見事なチームワーク。自分はテレビドラマをかなり熱心に見ていた口で途中参加のレナード・ニモイの好演も好きだった。映画版はテレビ版へのオマージュに満ちていたがなにせジム・フェルプスが悪の首謀者だったので腑に収まらなかった。そんな映画版ミッションインポシブルで、主人公イーサン・ハントはなぜフェルプスが悪玉と見抜いたのか。それは聖書・ヨブ記だった。彼はヨブ記の一説を思い浮かべ犯罪のキーを探し全貌を解いたのだった。そんなヨブ記とはいったい何だろう。そもそも西洋人なら誰もがヨブ記を知っているのだろうか? ヨブとは人の名前か?確かにアメリカのホテルなりモーテルに、ヨーロッパのホテルに宿を得たらナイトテーブルに必ずあるだろう。一冊の本。それが聖書だ。ただ自分にはそれが新訳か旧訳かは当時はわからなかった。
阿刀田隆氏は作家・エッセイストとして活躍されている。といっても自分は二、三冊程度読んだだけだ。三年前に癌で入院していた時、病院でお世話になった行動療法士さんがクリスチャンだった。彼女とは本の好みがあいリハビリ中によく本をめぐる話や一冊の本が自分にどれほどの影響を与えたかを話した。自分のそれは北杜夫の「ドクトルマンボウ航海記」であり彼女のそれは三浦綾子の「塩狩峠」だった。彼女は自分に聖書に触れることの大切さを教えてくれた。自分は東京・渋谷のとあるプロテスタントの大学を卒業したが、必須授業である「キリスト教概論」で何を教わったのか全く覚えていない。単位を取るだけの通過儀礼だった。そもそも新約聖書と旧約聖書の違いも分からなかった。しかし阿刀田隆氏が分かりやすく書いた本があるという事を知り、病床でその本を取り寄せた。「新約聖書を知ってますか」という文庫本だった。時折眠くなったがイエス・キリストの生涯を少しばかり知ることができた。「旧約聖書」を残していた。同様のタイトルの文庫もあったがなぜか取り寄せて数十ページ読んだだけだった。
あれから三年半。つまらない事で自分は転倒し頭を打ってしまい病院に救急搬送された。頭蓋骨内に出血があったため一週間ただ経過観察で入院していた。本を読みたくなった。家内に言って書棚から読みかけで放置してあった「旧約聖書を知ってますか」を持ってきてもらった。こんな時間でもないと、また、病院という誰もが救いを求める特殊環境下だからこそ前回同様に読めるのだろう。そう思った。
言うまでもなく旧約聖書は天地創造から人類の誕生へ、そして新約聖書はそれを踏まえてのイエス・キリストの誕生と復活を描いているのだろう。聖書はキリスト教の経典だと思っていたのでマリア様やイエスが出てこないと話にならない。そこで新約を先に読んだのだった。十二使徒や福音書・手紙などを知った。その時はそれなりに咀嚼できた。しかし癌と言う苦しみから逃れた今となってはもう中身は忘れていた。ただバッハが作った自分の好きなマタイやヨハネなどの受難曲を聞くときに、ははあ新約聖書のここを歌っているのだな、と知ることができてとても嬉しかった。
今こうして新旧解説本が病床にある。旧約聖書の原本は分厚い。新約の倍はあるだろう。そして読む気が失われるほどにつまらない。そこはさすがにショート・ショートの名手だった。骨子をおさえつつわかりやすくユーモラスに描いてある。少々退屈だがストーリテリングの巧みさによって楽しく読み進める。
彼の話はアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ そんな四人をアイヤー・ヨッという掛け声で覚えましょう、とまず書かれている。親しめる。何代にもわたり血のつながった彼らは旧約聖書の主だった登場人物となる。彼らがどんな生まれでいかに神様を信仰し幾多の苦難を乗り越え血脈を維持したのかが書かれている。目標のためには神の声の下、対する敵をどんどん殺戮していく。なかなかに残虐で血なまぐさい。大河ドラマにしてほしいほどだった。本来は創世記とアダムとイブが最初では?という予想は裏切られる。本はその後に続く。いよいよモーゼが出てきて海が割れた。神の信仰者達ははこうして安息の血へ向かう。ヨシュア・サムソン・ダビテ・・どこかで聞いたような名前の人々は脈々と「神により油が注がれる」。彼らの神とはイスラエルの神。今で言うならユダヤの神様だろう。イスラエルとはこうして出来上がった国家だと知った。様々な要因から彼らは国土を失い流浪の民となり迫害もうけた。第二次世界大戦後に再びその地に国土を建設する。そして今も紛争が絶えない。彼等にしてみれば旧約聖書を読んで欲しい。そこに我が国の歴史・地勢が書かれているだろう、そう言いたいのだろう。天地創造・アダムとイブ・カインとアベル・ノアの箱舟の話は本の後半に出てくる。作者は著作の前半部はイスラエルの歴史について言及されている箇所を書き、途中からさかのぼって天地創造からアブラハムまでの神話の世界を書いた。そのほうが読者になじみやすいだろうから。そんな注釈があった。ヨブ記についての記載も後半にあった、
アイヤー・ヨッか。教養としては面白い。しかし日常の行動を戒める言葉を探すならそれは新約聖書にちりばめられているように思う。旧約聖書のエッセンスはこうだろうか。「神を信じなさい」。信仰しなかった部族はすべて神によって無慈悲に滅ぼされるのだから。
さて、そんな知識を西洋人、つまりはキリスト教徒ならだれもが知っているのだろうか。旧約聖書はユダヤ教、新約聖書はキリスト教、そんな割り切りがあっているようにも思うが、ミッションインポシブルでのイーサンハントはヨブ記を知っていたのだった。映画中の彼の宗教について言及はされていない。つまり日本人が誰でもうろ覚えで仏教のさまざまな宗派のお経の冒頭を言えるように、中東のあの地で生まれた宗教をだれもが常識として知っているのだろう。
この二冊から僕は何を得たのだろう。不可能を可能とする凄腕スパイのような手腕か?それなりのエネルギーをかけて読んだのだが「信じることの大切さ」を学んだように思う。何を?それは、ナイショとしたい。
