日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

小さなお客様

我が家に造園屋が入り庭木を植えて土地を整備してしてもらった。あとの細かい事は自分達が楽しみながらやるのだった。実際庭に出て野草の一つでも植えようものなら、砂利敷きを整備しようものなら、一時間の作業で精魂尽き果てるのだった。照り付ける陽射しは高原の夏とはいえさすがに厳しい。野良用の服はたちどころに汗まみれになった。少しづつしか進まない。

それでも少しだけ形になった庭を歩いていた。草刈り機で刈った草もそのままで朽ちるがままとしていた。実際枝も草も刈り取ってしまったらあっという間に腐敗していくのだった。そんな朽ちいく草ががさごそと動いているのだった。何だろうと近いづいた。

蟹だった。小さな蟹が懸命に動いている。僕は子供の頃に毎夏遊びに行っていた四国の祖父祖母の家を思い出した。香川県と言えば歌にうたわれた金毘羅参り。母が生まれた街はそんなお参りの船が出入りする港町だった。そこから鉄道が真っすぐに金毘羅さんへ伸びていたのだった。さすがに自分の頃はそんな時代ではなかったが広島の鞆の浦に渡るフェリーが出入りしていた。海のすぐそばの、そして塩くさい川の横手に母の実家があった。

家はトイレが離れにあるといういささか古びたものだった。そこまで行こうとするといつも目の前に小さな赤いものが動いているのだった。それは沢蟹だった。手足を入れて1センチもない。それが至る所に居るのだからまるで母屋が動いているような錯覚を覚えた。そんな川でよく遊んだ。河原にはやはり無数の沢蟹が地面を動かしていた。

目の前の蟹は見慣れた沢蟹よりも少しだけ大きかった。彼は僕の視線を感じたのだろうか、一瞬止まった。慌ててカメラを取りに行った。まだ彼はそこに居た。つん、と突っつくと危険を感じたのか懸命に横に逃げていく。蟹歩きを久しぶりに見た。

我が家の裏手には沢がある。それが小さな森を作っている。八ケ岳の斜面から湧き出た水が小さな流れをなしている。地形図を見ると源流までは二、三キロメートルしかない、小さな流れだった。窓を開けると沢音が聞こえるのだった。きっと蟹はそこから遊びに来たのだと思う。そんな源流近くに蟹が住んでいるとは思ってもいなかった。まさか釜無川から百メートルを超える断崖を登ってきたわけも無かろう。しかし沢の水面から五メートル近い谷を登り森をくぐってやってきたのだから不思議だった。何しに来たのか。まさか挨拶に来たのではあるまい。午後の散歩だろうか。いや、ここのところ続いていた造園工事を見物に来たのだろう。

鹿も来る、狸も来る、狐も来る。そして今度は、沢蟹か。千客万来だった。自然界のサークルがある。生物循環とも食物連鎖とも言われる。光合成により植物は成長し二酸化炭素を吸い酸素を吐き出す。植物は動物や微生物の餌になる。我が家の来客者もその中のどこかに組み込まれている。かくいう自分も又、その中の一部に過ぎない。

小さなお客様はそんな事を考えさせてくれた。

沢から登って来たのか。造園工事の賑やかさに見物でもしたかったのか。