日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

谷戸の奥へ。鶴見川源流のサイクリング

谷戸。谷地。響きが良い。何か惹かれるものがある。

丘陵地から複数の枝尾根が発生する。その間にはいつしか水が湧き、谷が形成される。沢の誕生。深山ならばそれは深い谷になりやがて大きな川になる。神奈川県の下末吉台地や東京都の境、多摩丘陵あたりでは、ちいさな流れはゆったりと平地に入る。そして豊かな土地が広がっていく。下流側から見ると広い谷がゆるやかに狭くなり、そしてみるみる小さな森と丘に囲まれる。これが谷戸地形・谷地地形。

何故谷戸に惹かれるのか。洞窟探検でもないが、大きな間口から深い奥行きを見るならば誰しもそれを探ってみたくなるのではないか。水があり、奥行きある谷間。その思いはある種の「母体回帰」かもしれない。またそんな自然の残る箇所は豊かな生態系が残り格好のビオトープ。惹かれるのは当たり前だろう。

自宅のすぐそばにも谷戸はあるが、寂しい事に開発されつくしてしまい、無理に作った道路と急斜面に立つ家ばかりだ。もう少し自然豊かな谷戸に行きたい。そうだ、鶴見川の源流はどうなのだろう。素晴らしい谷戸になってはいまいか。

この川の名が冠された街には通して40年以上住んでいる。昭和40年代の臭くて汚い川の時代から治水工事も浄化工事もすすんだ今に至るまで、長い時間を共に過ごしてきた川だ。源流は何処だろうか、興味はあり以前から地図で追っていた。なるほど、多摩丘陵南麓か。遠くはない。そしてこれは地図で見つけたのだが、漢字は異なるが自分の苗字と同じ町が流域にあることを知り、それも魅力的だった。

小田急線より北、京王線より南。横浜線より東、そして南武線より西。これらに囲まれた不等辺四角形は自分にはあまり土地勘のない場所だった。行政単位に落としこむと、横浜市青葉区川崎市多摩区、町田市、稲城市、多摩市、日野市の一部、そんなエリアになろうか。しかし鶴見川の源流をさかのぼり自分と同姓の街に行くならば、この未知なる四角形に踏み込むことは必須だった。

多摩区に住む自転車仲間はこの界隈に詳しい。走りたい旨を伝えると、さっそく計画が送られてきた。コロナに罹患し少し実施は遅れたが、彼との前回の自転車旅のエンディングが少し心残りだったので、「餃子とビール」をキーワードに加えて、小さな旅に出た。(*)

・自分の自宅からの一筆書きサイクリング軌跡につなぎたい
谷戸を探りたい
鶴見川の源流を見たい
・自分と同名の街を走りたい
・餃子とビールで、前回と今回の旅を締める

そんな我儘に、友人は直ぐに応じてくれた。

鶴見川は全長42キロとサイトでは書かれている。自宅は河口から遡る事約6キロ地点が近い。すると源流迄残り36キロ。自宅から自走出来る距離でもあるが、締めがビールと餃子なので、そうもいかない。まずは「脚力保存」と横浜線長津田駅まで輪行した。ここには鶴見川水系恩田川が流れている。自分のサイクリング一筆書き軌跡は恩田川と自宅を結んでいる。ここから恩田川に沿って走る事で、軌跡の一筆書きは、まずは成就できる。

いつものイタリアン・クラシックロードにまたがった友人が駅前で待っていてくれた。自分は今日の相棒にはいつものランドナーではなく、久しぶりのフレンチ・クラシックロードを選んだ。

このあたりをよく走るという友人に具体的なルート選びをお願いすることになった。今日はルート選択で頭を使わない。大変にありがたい。ソロの多い自分は計画立案も大きな楽しみだが、その地に精通されている方にはありがたくお世話になってしまおう。前回サイクリングにて友人のルート選びの「癖」と走りの「呼吸感」はよくわかった。それは自分には心地よいものだった。

宅地から谷戸へと「八幡の藪知らず」のようなルート選択で友は進んだ。教科書に出てきそうな見事な谷戸の入り口に魔法のように辿り着いた。左右に尾根がありそれが目の奥で狭まる。間の谷は田んぼで、稲穂が重い。田は空間の奥までつづいていて、ここからでは果てが見えない。自転車でそこを辿る方もいれば、スケッチをする人、望遠レンズで鷹の飛翔を捉えようとしている人。谷戸に惹かれてやってくる人々は自分と同じ世代だった。自分が童謡「古里」を口ずさむなら、かれらも間違えなく歌をあわせるだろう。ウサギは居ずとも、小鮒ならかの川に居るだろうと思う、そんな想像をしていると、目の前をトンボが飛翔した。季節になれば、蛍も出るだろう、そんな谷あいだった。

実り豊かな田んぼのあぜ道で友は座りおにぎりを食べていた。米の味をしみじみと味わえる塩むすびを食べながら言うのだった。「ご飯が美味しいな」。何にせよそれなりの労力をかけるのが農作業。ありがたい話と、自分も思う。

谷戸から戻ると鶴見川沿いになった。走り慣れた下流中流での盛り上がった土手道はもはやなく、堀割状の川に沿って歩道自転車道とかかれた舗装路が伸びていた。小田急線を鶴川駅で渡る。道は時折川を離れ少し登っては川の横手に下る。何度繰り返したことだろう。つかず離れずともにする水の流れは細くなり、上流近しを思わせた。

友が自転車を止めて交差点を指さした。なるほど漢字こそ違うが、自分の苗字と同じ名前のついた町の看板がかかっていた。香川県西部にしかない自分の姓となにか関係あるのかもわからない。東京都町田市を走る神奈中バスも小山田がその終点だった。そこからは鶴見川の源流はすぐそばだった。

期待していた源流は谷地の最奥から一滴がこぼれ落ちているわけでもなかった。整備されたのだろうか、小さな泉に「鶴見川源泉」と、書かれた看板があった。背後には多摩市との境の稜線。町田市がその昔は相模の国(神奈川県)だったことを思えば、目にする稜線はさしずめ「相武国境尾根」と言えるのだろう。鶴見川はやはり相模の国で生まれてそのまま海に注ぐのだ。それが嬉しかった。

国境稜線までは短いがきつい登りだった。10%を越える坂道だろう。レーサーの友はダンシングで登る。自分はフロントインナーを落としてなんとか登りきった。レーサーにも関わらずフロントインナーは28枚齒のギアに換装している。自らの貧脚を考えギア比1対1を狙ったのだ。替わりにフロントの変速性能はあまり良くない。坂の途中には「中央新幹線非常口工事」と書かれた工事現場もあった。そうか、リニアモーターカーか。磁力で浮いて走る鉄道。夢の世界だと思っていたが本当に隔世の感がある。

稜線に上がって広い展望を得た。丹沢が午後の光を浴びて霞の中に立っていた。前衛の大山。そして奥に主脈。塔ノ岳、丹沢山、最高峰の蛭ケ岳。何度も歩いた稜線が懐かしい。決して楽させてくれないルートには気力体力の残るうちにまた行こうという思いがある。涼しい風が吹き、友と自分の汗ばんだ体を冷やしてくれた。

この尾根は「戦車道」と呼ばれているらしい。なんでも旧陸軍の戦車の走行練習のルートという。95式軽戦車か、97式中戦車辺りがここを走ったのかと思うとミリオタとしては感慨深い。今は全舗装で公園化されているが大きな起伏もなくたしかに走りやすい尾根道だった。鳥獣保護区サンクチュアリーの看板もある。稜線の東側は多摩ニュータウンがすぐそばに見える。

「このあたりで下りましょう」。友はそう提案してくれて自分はそれに従った。

町田街道を横切るともう橋本の街だった。橋本は懐かしい。18歳の頃は自動二輪の免許取得のためにこの街の教習所に通った。登山に熱中し丹沢の山々に通った頃はこの駅からバスに乗り山に入り、山からの下山バスの終点もここだった。甲州への家族旅行の帰りは当時は国道16号線に頼る以外はなく、渋滞の名所橋本五差路そばにあるチェーンの中華料理店にも帰路良く立ち寄った。

そんな懐かしい街の駅にはいつしか京王電車も来ており、いずれはリニアモーターカーも来るのだろう。渋滞の名所は立体化された。今日の行程の締めには家族と何度か立ち寄った懐かしの中華料理店で餃子とビール、とも思ったが、それはなにか切なかった。二人の娘たちは成人し、もう自分たち夫婦の下を離れた。そんな現実下で昔日を思い出して何になろう。自分は未来を生きなくてはいけない。懐かしい話は胸の中にそっとあるだけで充分だ。

駅のビルに同じ中華料理店のテナントがあった。そこで、前回と今回のサイクリング無事終了を祝った。たちどころに生ビールが二人で六杯、餃子二皿が消えて行った。

今回はルート選びもすべて友に頼ってしまった。友にとっては走り慣れたルートに、足手まといが引っついた形になったのだろう。しかし嫌な顔一つせずに、共にジョッキを重ねてくれる。ありがたい事、この上なかった。

全ての願いはかなった。友は京王線に、自分は横浜線に。それぞれ大きな輪行袋を担いだ。走行距離は30キロ程度だったが、これを「充実の日」と言わぬのなら、他にそんな日はないだろう。

(*)https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2022/07/19/224855

長津田駅から10分も走ると豊かな田んぼの中になった。

自然がそのまま残った豊かな谷戸に走り込んだ。時の流れもスローで、焦る必要もない自分たちもここで休憩を取った。全く横浜も懐が深い。

この小さな泉が鶴見川の源泉という。この背後の森が相武国境稜線。ここに降った雨がここに集まっている。長く親しんだ川の起源を見ることが出来た。

橋本駅輪行袋に自転車をくるんだ。ここまでの名ガイドをしていただいた友に感謝。

今回のルート図。アンドロイドアプリ「山旅ロガー」で取得したGPXファイルをカシミール3Dに展開したもの。