材料や道具をなどは準備できているのに何故か着手できていないことがある。もう十年以上前から用意だけはしている。なぜやらぬのだろう。どうしたらやるのか。
選ぶべき道は三つか。辞める。このまま成り行きに任せる。自分を鼓舞して無理やりにやる。
経済的には何が起きるのだろうか。辞めるのなら準備したモノは無駄になる。原材料ならば勘定としては棚卸資産なのだから破棄すればそれは損失となる。
成り行きに任せるのならば原材料はどうなるのか。買ったときの価値を保ち続けられるのか。こればかりはどうも近年価格は上がっている。しかし下取りしたら損が出るだろう。道具はどうする?買った時点ですでに治工具として計上しているはずだ。するとそれは減価償却の対象で、償却費分は損失が生じるだろう。
無理矢理に着手して形にしたとする。何が起きるのか。
はたとそこで自分の考えの馬鹿らしさに気付いた。自分は商店でも会社でも無い。原材料を加工して形にしてもその後それは売り物ではない。ゆえに自分には何の利益をもたらさない。得るものは満足感だけ。せいぜい完成したものを手にとって眺めて満足するのか、あるいは電源を入れて動作させて、満足するのか、その程度だろう。
開封はしたが作っていないプラモデルのキット。完成品の車両やレール、製作を待つ情景用の駅舎や家、それらを乗せる板など。鉄道模型関連の材料。いずれも引っ越しの際にプラのコンテナに入れたままで塩漬けになっている。
本来ならば書斎に埃を避ける展示台やケースをつくり、そこには離陸を待つ戦闘機が翼を休め、里山をのどかに走る小さな気動車や、あるいは羊が群れる高原の中を小さな蒸気機関車が走るはずなのに。
隣町の模型屋に顔を出したのは少し刺激を貰って自分を走り出させようとしたからだ。初めての店内、店のオヤジ。
プラモデルと言えは戦車や航空機といったミリタリーもの、あるいは自動車やバイクなど、と相場は決まっていたがいつしかガンダムのプラモデルが出現していた。今はアニメキャラなのか、女の子のフィギュアモデルも多くあった。モデラーも多様化したものだと思う。
店主は親切なのかよほどのモデラーなのか、何十年ぶりかに再開しようという老童の質問に懇切丁寧に答えてくれた。自分の質問は塗装についてだった。はじめに、と前置きをしてから彼は塗料の種類について教えてくれた。アクリル系から水性まで。それぞれ良し悪しの特徴ありですよと。自分がこの世界にいた頃はアクリル系が主流だった。パクトラタミヤという田宮模型の塗料だった。それはシンナーを溶剤としていたので喘息持ちの自分には辛かった。ちょうど水彩塗料が出始めの頃だった。
塗装面にはやはりサーフェイサーを吹き下地を整えた方が良い、モールド線が消えるのが嫌ならそれを刃物で彫り直せば良い、塗料はお好みで。そんな話だった。
作ろうとしている太平洋戦で活躍した戦闘機に必要な塗料はリストアップしていなかった。なにしろ心に火を付けるだけの訪問なのだから。
しかしプラモデル屋に来た以上は導火線にはやはり火をつけたい。そこでマスキング剤とサーフェイサーのスプレー缶を買った。これてをもうあとには戻れない。
背水の陣という言葉。背後が川であり海であったら撤退は出来ない。武将はそこまで自らを追い込んで戦いに臨む。老童もやはり同じだった。これらの道具やはり使わなければならぬ。損失を計上しなくてはいけなくなる。遊びなのだからそれも構わぬが、やはり損は出したくない。
追い込んだ。復活すれば四十年ぶりのプラモデラーだ。あとはやるのみだ。
