日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

白の上塗り

とある木工品を作っている。サンドペーパーで木肌を整え木工ボンドを使った。塗装する必要があった。色はトリコロールとした。フランスに住んでいた頃、パリの空の下で何気なく揺れている国旗には嫌みが無くて好ましかった。特に青空を背景にすると良く映えた。七月十四日の革命記念日は概ね快晴でシャンゼリゼ通りは三色旗で埋まる。爽やかな気分もした。異国人でありながらも感じた。国旗のあり方に嫌みが無くまた国旗自身も素敵だ、と。

誰もが自分が中心で、好きなようにそれぞれが振舞う。男女の挨拶は頬を合わせキスをする。それが自由・平等・友愛かどうかは分からないがその三つの言葉がフランス共和国の標題だった。国旗の三色、青白赤はそれぞれの言葉に合致するというらしい。 ラヴェルフォーレドビュッシー、そんなフランス印象派の音楽は夢心地にさせてくれる。乗っている自転車は1960年代のフランスの小旅行車を模したランドナーと呼ばれる車種、そしてパリの売ります買います掲示板で僅か50ユーロで手に入れた1980年代フランス製のくたびれたロードバイクバゲットを手に取るとチーズと赤ワインが欲しくなる。自分はほんのわずかだけフランスかぶれしているのかもしれない。

木工品を三色旗の色にしようと思ったのは作っているのモノが少しだけヨーロッパの香りが似合うだろうと思ったからだった。自分にとっての欧州とはやはり住んでいたドイツとフランスだった。どちらの国の色を塗るか迷った。ドイツなら黒・赤・黄。フランスは青・白・赤。ドイツの国旗はすこし堅苦しく思えた。フランス国旗にはなにか自分を幸せにしてくれるものを感じた。

油性塗料を塗っている。赤も青も鮮やかで見栄えが良い。しかし白は曲者だった。もともとの木材が明るい黄色のパイン材なので白を塗っても目立たなかった。そこで白だけ何度も重ねてみた。するとそこだけ塗料が厚くなった。期待していた効果とは別の結果に至った。白くなると言うより何故か濁るのだった。何故だろうと考えた。白は最も無防備な色に思える。そこに何らかでもほかの色素が混じれば色は変わる。何も混じらぬこと、白が純粋といういわれるのはそこから来たのだろうか。ウェディングドレスは純白であり綿帽子や角隠しを被った女性の顔も又白く塗られる。どちらも何らかの意味がある。しかし価値観が多様化した今では余り深入りするテーマではないかもしれない。

白を幾重に重ねても白から遠ざかるのが不思議だった。光線の具合かもしれないし、塗ったのに濃くならないという自分の焦りがそこに映っているのかもしれなかった。

純粋だった自分は何時までだったのだろう。今は濁りがあるのだろうか。白を白と見えない自分はどうやらそうに違いない。成長し社会で生きる中で様々な色を知っていく。しかし会社を離れた今はもうこれから新たに知っていく色など無いのかもしれなかった。それは気が楽ではあるが同時に寂しいものだった。

塗装を終えた木工品に表面保護にとクリアラッカーを吹いた。すると思ったより光沢が鮮やかになった。白も何故か輝いた。これで良かったではないか。手を加える必要もなかったようだ。何事も深く考えずに素直に受け止める。すると万物はありのままの姿を見せる。自分が失ってきたのは素直さだと知った。スウッっと肩の力が抜けたように思える。もう何も焦る必要も、気にする必要もない。白を上塗りする必要など何もない。あるがままに受け入れる事が大切に違いない。

フランスとドイツ。余りに性格の異なるこの隣国同士。長い歴史の因縁もある。二国に住んだ身としたらどちらにも良しあしがあると思った。しかし作っていた木工作品の塗装は悩んだ。かたや自由・平等・友愛の青白赤。こなた勤勉・情熱・名誉の黒赤黄。テスト的に塗った結果自分は青白赤のトリコロールを選んだ。しかし失敗だったか。白は重ね塗りすると白くなくなるのだった。

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