「旧・東ドイツのエリアはこことは違う」そう言っていたのはドイツで働いていた頃の現地人社員だった。東西ドイツが統一され20年以上も経っていたが実際多くの旧・西ドイツ市民には統一後の税金が旧東ドイツの復興や格差是正に使われたと不満が多かったようだ。会社の人達もそんな話をしていた。
それは別として自分が憧れていた街は何故が東ドイツに多かった。ザクセンの古都・ドレスデン、ライプツィヒ。いずれにも素敵なオーケストラがありバッハゆかりの地だ。ワイマールやアイゼナハなどにも惹かれていた。ドレスデンでは憧れのシュターツカペレ・ドレスデンの演奏会に酔った。ライプツィヒの聖トーマス教会でバッハの墓に触れ、頭の中に平均律の旋律が鳴りやまなかった。ワイマールでは青年バッハが宮廷オルガニストとして働いた。アイゼナハに至ってはバッハの生誕の地だった。自分の憧れの地はすべてバッハという糸で縫い合わされているようだった。
アイゼナハで目を引いたのはヴァルトブルク城だった。宗教改革をとなえローマ法王から追われたマルティン・ルターはこの城の一室にこもり新約聖書をドイツ語に翻訳した。それは狭い部屋だった。ルターと言えばプロテスタントの一派だろう。そういえばバッハもプロテスタントだった。自分の住んでいた街にもプロテスタントの教会が多かった。ドイツ=バッハ=プロテスタント。そんな図式が自分の頭をずっと支配していた。バッハをはじめとするクラシック音楽は実際ドイツやオーストリアでは広く根付いている。街中にある教会ではバッハのコラールを聴く事が出来た。
宗教の違いは多くのいさかい、戦いを産んできた。新約聖書には異教徒について記載されている。それはユダヤ教でありイスラム教だった。南ドイツのレーゲンスブルクには異教徒を排しエルサレム奪還のために遠征する十字軍が渡ったとされる橋がある。ドナウ川を渡る石造りの堅牢な橋はいかにも戦いに向かう戦士の行軍にふさわしいものだった。不幸な戦争や紛争、緊張は今も各地であるだろう。宗教観の違いが争いの元になるという感覚は「やおろずの神」を信奉する日本人にはピンとこない。
バッハの鍵盤曲を聴きながらふと思うのだった。バッハはプロテスタントだ。自分が愛聴するバッハの演奏家もまたドイツ・オーストリア系の人になる。乱暴な推測を許してもらうとするとドイツや北欧がプロテスタント、フランス・イタリアなど南欧がカトリック、旧東欧をロシア正教、と乱暴に仕分けしできそうだ。(*)すると自分の好きな演奏家達はプロテスタントではなかろうか。彼らにとって自分の信じる宗教の音楽なのだから、それは「自分の音楽」だろう。ではカトリックの信者は、ロシア正教の信者は、バッハをどう思うのだろう。異宗派だから演奏をしないのだろうか。そこまで考えを進めて自分はすぐに自己否定をした。フランス人もイタリア人も素晴らしいバッハの録音を残しているではないか。
タチアナ・ニコラーエワについてはその録音の名声は聞いてはいたが実際に触れてこなかった。鉄のカーテンの向こうに居た女流ピアニストが西側に出てきたのは東西の壁が崩壊してからだった。彼女が演奏するバッハの平均律全48曲を最近ようやく聴く事が出来た。聞き馴れてきたグレン・グールドやフリードリッヒ・グルダ、アンドラーシュ・シフの演奏にも比肩しうる演奏だった。タッチ、アーティキュレーション、すべてが目新しく心地よかった。ロシア人の彼女をロシア正教徒とするならば、彼女も又宗派を超えた録音を残したことになる。バッハの平均律はピアノを志す人ならば国籍や人種を問わずに誰もがお世話になる。その意味で、宗派や宗教を越えて全人類共通のテキストだろう。
女性らしい柔らかなタッチと時に強く精緻に届く彼女のピアノの音色を聞きながら思うのだった。「良い音楽は全てを超える。宗派や宗教を越えて人々に届き、平和を実現する」と。音楽があれば世界の争いも止むのではないか。楽観的かもしれないが今一度素晴らしい音楽に触れてみるのはどうだろうか。
(*)欧州のキリスト教勢力図について https://wjn.jp/article?id=13508021