日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

こうして覚醒するのか

好きではない、むしろ苦手だな。そんな思いはないだろうか。

それは国民楽派と呼ばれる音楽だった。19世紀中ごろから20世紀にかけてのヨーロッパではドイツ・ロマン派の影響を受けながらも自民族に継承されていた音楽や伝説を反映させた民族主義的な音楽が出てきた。東ヨーロッパからロシア辺りの音楽がそれにあたる。バッハに始まりモーツァルトからブラームスブルックナーに至るまでドイツ・オーストリアの音楽に傾倒したが、国民楽派は少し違うなとおぼろげ気にわかっていた。何か香りがするな、と中学生のころから思っていた。それを自分は「スラブの節回し」と呼んでいた。ゲルマン民族ではないスラブ民族の音楽だ。なぜ彼らからはそんな節回しが生まれたのだろう。

ヨーロッパにはゲルマン民族、ラテン民族、スラブ民族人が居る、そう地理で習う。自分は転勤でゲルマンの国とラテンの国に住んだ。国民性と音楽に関連性があると思った。中世にゲルマン民族がヨーロッパを東へ大移動してその地に居たスラブ民族との間に何が起きたのだろう。スラブ民族の歴史を知らずには語れないだろう。しかし自分は何も知らない。学び直す必要があるように思う。

スラブ節とは何だと言われても自分は感じるだけで上手く言えない。しかし忍耐、悲哀、寂寥。そう、何か「耐える哀しみ」が根底にあるように思う。これは神への祈りや勝利の凱歌を朗々と唄うゲルマン人の音楽で感じたことはない。このある種のネガティブな雰囲気がきっと中学生の頃の自分に苦手意識として刷り込まれたのだろう。

実際きちんと聞いたことが無いのだった。チャイコフスキーは少しは聴いた。ではムソルグスキーは、ヤナーチェクは?ドボルザークは?スメタナは? 有名曲は一度は耳にした。しかしじっくりと聞く気がわかなかったのはこの独特の泥臭い節回しだった。

二十世紀の大指揮者の一人に挙げられるジョージ・セルハンガリー生まれの彼はハンガリー人とスロバキア人の血をひいている。ブルーノ・ワルターしかり当時のユダヤ系音楽家ナチスの台頭に脅威を感じてドイツを逃れる。セルもオーストリアやドイツで指揮者として活動を始めたが、身の危険を感じてアメリカに渡った。

新天地アメリカで彼はクリーブランドのオーケストラを任される。彼は徹底的にアンサンブルを鍛え上げてこのオーケストラは全米ビッグファイブとなる。アメリカで一番ヨーロッパ的な音を出すオーケストラとの評判がある。音楽評論家・吉田秀和氏の「世界の指揮者」(昭和五十七年・新潮社刊)ではセルの音楽の特徴をこう挙げている

- 合奏の完璧さ、明確で柔軟な表情、バランスの良さ
- 各セクションの等質性
- セルが各声部の等質性を追求すると(彼の録音であるドボルザークの「新世界」を引用し)その音楽の持つ土臭いノスタルジックさ、色彩感が失われるのではないか。それが彼の音楽を「冷たい、機械的だ」と一般に言われる批評の下地になるのではないか。

冷たくて機械的、その表現は十九歳の時にこの本を手にしたときにまず印象に残った。だからこそジョージ・セルの録音には触れてこなかった。しかし何故か彼のブラームスを買った。交響曲第三番にハイドンの主題による変奏曲をカップリングしたレコードだった。これが実に素晴らしかった。第三番の第四楽章が立体的だった。これがブラームスの譜面なら他の指揮者とはどうして違うのだろうか。聞き馴れたベーム、スゥイトナーと並べてきいた。明瞭な違いがあった。

続いて彼のシューマンを手に入れた。シューマンのシンフォニーは彼がいろいろと楽譜に手を入れたせいで音が曖昧になりやすいと言われている。何枚か聴いたが確かにもやもやとして心に届かなかった。しかしセルの演奏に触れ驚いた。各声部がすっきりと聞こえて初めて聞く音楽に思えた。これは凄い指揮者だな、と思った。これまで霧の中に在った四曲に光が射した。シューベルト交響曲九番も心を揺るがした。そして最後にルドルフ・ゼルキンソリストに迎えたブラームスのピアノ協奏曲の二曲を手に入れた。とても好きなこの二曲だ。感心は確信に変わった。実に堂々としていた。時に唸り声を出しながら弾くゼルキンのピアノに正対し、感情移入が無くドライな演奏のように思える。が堅牢で風通しが良かった。とどめはブルックナーの八番だった。重厚長大して深遠なブルックナーをまったく弛緩することなくCD二枚に収めていた。ヨッフムドレスデンが霞んでしまう。オーケストラはすべて彼が鍛え上げたクリーブランド管弦楽団だった。ウィーン・フィルとシュターツカペレ・ドレスデンこそ、という自説は危うくなった。

国民楽派も彼の演奏で聴けたら良いなと漠然と思っていた。するとネットから案内が来た。ソニーからリマスター版でドボルザークの七番から九番の交響曲をカバーした二枚組が出たようだ。1950年代から60年代初頭の録音なのだ。しかし見事にリマスターされていた。それは昨日届きもう何度聴いただろうか。僕は今迄何をしていたのだろう、と後悔した。あまりに聞き馴れた「遠き山に日は落ちて」がこれほどすっきりとしていた曲とは知らなかった。一切の感情移入が無い事が自分の「スラブ節」への苦手意識を粉砕した。一つ学んだ。人間は新しい事にこうして目覚めると。

昨夏に広島へ旅行したがその帰路の新幹線でたまたま隣に座った米国人はクリーブランド出身のコントラバスの若い演奏家だった。彼はいつの日かクリーブランド管弦楽団に入りたい、そんな夢を語ってくれた。ジョージ・セルは凄い指揮者だね、と言うと彼は目を輝かし全くその通りだよ、だからあそこに入りたい。そう熱く語ってくれた。吉田秀和氏は最後にセルの項目をこう締めている。「セルの名はこの管弦楽団をここまで育てたというだけでも指揮者の歴史から消える事はないだろう」と。最大の賛辞だと思う。

先日手に入れたジョージ・セルクリーブランド管弦楽団によるドボルザークのリマスタ版。60年以上前の録音とは思えぬクリアな音だった。リマスタリング技術にただ脱帽。吉田秀和氏の著作は若い頃に読んだ。計四冊しか持っていない。新しい世界への扉だった。

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