日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

曇り空

ここしばらく続いていた暖かい日。それは「秋」という単語を暖気が何処かに蹴とばしてしまったのだろう。そう思うしかないものだった。午後遅くにウォーキングをすれば汗ばむほどだった。Tシャツに短パンで歩くとなんと蚊にも刺されてしまった。「霜月」と美しく呼ばれる時期なのだ。これでは霜など当分降りそうにない。

そんな日々、今朝は目覚めるとすこしだけ空気が硬かった。掛け布団をずらすのにためらいがあった。飛ばされて置き去りにされた季節もこれではいけない、と思ったのだろうか。上着を着て暖かいコーヒーを飲んだ。エスプレッソのダブルでと行きたいところだが自分は味音痴だ。インスタントの顆粒でも「これがイタリアンローストよ」と言われればハイハイと味わってしまう、ある意味安上がりだった。

ガラス窓の向こうの外界が陰鬱に重かった。ヨーロッパの晩秋を思い出した。夏時間が終わると信じられない程に闇は長くなる。自分が住んでいた街は北緯51度に位置していた。地理で習う。「ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー」と。良質なホップが取れる冷涼な地とその地のビール産業をうまく並べたものだ。それは北緯45度前後だ。その街はそれらの緯度よりも高い。ライン川沿いの内陸の地は霧が多かった。朝は九時まで夕は十五時前から。闇が街を空から地面から埋めてくる。霧のお陰もあろう、昼間はどんよりとして一体太陽は何処に消えたのだろうと思うのだった。唯一、暗い天空に霧の粒子が溶けていく場所があるならばそれが太陽に違いなかった。ドイツ人のメンタリティについて、規律正しく辛抱強い、そんな言葉がステレオタイプ的に語られることが多い。この天気を知るならばそれもわかる。冬はとにかく耐えるだけだ。だから初夏から夏にかけて、ドイツ人は違う一面を見せる。ビールを沢山飲んで陽気に歌う。放歌高吟ここに在り。それは太陽を待つ心だろう。

ウォーキングに行かなくてはいけない。我が心と体の為に。ドイツ人のようにノルディックポールを手にして歩く。それは彼の地で流行ったワンダーフォーゲルという高い精神性を目指しているわけでもなく、もっとこじんまりとしたものだ。歩きながらヘッドフォンで聞く音楽が友だった。その音楽は春から秋まではモーツァルトを選ぶ。四十番を除く彼の後期交響曲辺りが良い。明るさの対位法が快適な一日を約束する。しかし今日はまるで晩秋のドイツの朝のような天気だった。こんな日はブラームスが似合う。僕はいつも交響曲2番第4楽章を聞く。憂鬱な重たい雲を弾き飛ばすような明るいエネルギーに満ちているから。太陽の光を望む国の人間だからこそ作曲できた曲だからできたのではないか。また交響曲第3番の第4楽章も良く似合う。これは陰鬱さを飛ばすのではなくそれを体の中に取り入れて静かに開放していくように思える。この曲はブラームスがその後の作品に多くの影響を与えたというイタリア旅行の後の作品だ。ドイツ音楽があのような深刻さとドラマチックさをもつことも冬を知れば自分には理解できる。だからこそ地中海の明るさに憧れて出来た曲もあるのだろう。

朝のウォーキングはこれまでは一人で行っていたが最近は家内とともに歩くようになった。歩きたいというのだから嬉しい話だ。歩くペースは落ちて距離も伸びないが世間話をしながら歩くと楽しい。しかし困ったことに音楽を聴きながら歩けなくなった。二人で歩いて一人がヘッドフォンという訳にもいかない。そこで歩き始める前に聞く事にした。

今日はジョージ・セルを選んだ。クリーブランド管弦楽団の演奏だった。アメリカのオーケストラはね・・という思いは彼らの演奏の前にはいつも崩れる。ベームウィーンフィルやスゥイトナー・シュターツカペレベルリンの録音を愛聴していたが、セルはリズムを明確に打ち出している。舌を巻く。ブラームス交響曲第2番第4楽章だけのつまみ食い。あっという間に心が出来上がった。寒空の下を歩く気が湧いてきた。

曇り空も悪くない。付き合い方があるだろう。そのうちに重たい緞帳のような空の一部が溶けるだろう。そこが太陽だ。今から、それに会いに行く。

曇り空は重たい緞帳を思わせる。しかし色彩が滲む箇所がある。そこがきっと太陽だろう。陰と陽は常に表裏一体だ。

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