日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

日本家屋

近所の谷戸に古民家がある。それは何処からか移設されたものだが当時の状態で保存されている。その回りもまた花木園と称して谷戸地形の自然が残っている。散歩がてらに妻と歩いてみた。

秋というのに暖かい。二人は共に露出した腕や足首を蚊に刺されていた。それほど秋の訪れは遅かった。里山が残されている。そこを歩くうちともにそこら中痒がっていた。ブドウのような紫が緑を背景に映えている。スマホで撮影するとすぐに樹木の名が分かる。便利な世の中になった。「ムラサキシキブ」と知った。取って食べたくなってしまうように小ぶりで可愛い実だった。酸っぱいのか苦いのか、毒があるのか、知らない。

土間で靴を脱ぎ畳の部屋に上がった。茅葺きの見事な家だがどこからか移設したものだという。日本家屋には廊下というものがない。すべての部屋は襖や障子で仕切られる。人目に触れず何かをすること出来ない。プライバシーなど考えにない建物だった。軒下に縁側があり職員さんの手入れで綺麗に光っていた。テレビで見るサザエさんの家の風景だと思った。陽だまりの板敷には是非猫が居てほしかった。また居間には囲炉裏があった。それがこの広い家屋の唯一の暖房にも思えた。何しろ天井は梁がむき出しで茅葺きがそのまま載っている。

昔の人は強いね。そう妻と話していた。茅葺きの天井は高く通気性はあれども暖気の保持は期待できなかった。それで冬を過ごしたのかと感嘆した。囲炉裏の煤があがるだろう。それは少しでも保温力を高めるのだろうか?

縁側には干し柿が並びそれが秋の風情だった。自分も干し柿を作りたいと思うが昨今のニュースでは山里の柿があまねく熊の餌食になると報道されている。流石にこの地では有り得そうにない話だと安心した。軒先に干されているのは渋柿だろう。しかし干すうちに滋味が増すことを知っている。

家屋の角から日が差し込んでいる。それは建具の影を作り畳の上に陰影を伸ばす。10分も経っただろうか、影は少しずれている。日時計の様だった。

昔ながらの日本家屋には知恵があるのだろう。日の射す南側の縁側では干し柿を作れる。季節によってはそれは大根だろう。玉ねぎも、唐辛子もつるされるだろう。冬を越す食材は太陽を沢山浴びる事が出来る。湿気が逃げやすい建物は日本の風土にあっていたのだろう。囲炉裏しかない暖房具は微力ながらも家を温める。家族は必然的に火の周りに集まる。そこに会話が生まれ家族が纏まる。モノの形は必然性や希望の帰結だと思う。縁側の外に枯山水があれば尚よいが、それでは庶民生活とは縁が遠くなるだろう。

保存家屋での短い時間だった。それは心を癒やしてくれた。新しいレンズを一眼に装着していた。決して明るいレンズではないが写真を撮る気が湧いてくる。広角28㎜から望遠300㎜迄一本でカバーできるが、目新しい望遠側を使って撮りたくなる。しかし人間の目の画角は50㎜レンズに近い視界という。出来るだけそんな自然な画角で良い写真が取れればいいな、と思う。ズームレンズの功罪だろうか、結局パンしたり引き寄せたりする。どうやっても日本家屋の持つ美しさは収まってくれない。心の目が欲しいな、と思うのだった。

畳の上に建具の影が伸びる。日本家屋は美しいな、と改めて思う。

干し柿ずらり。日差しの良い縁側。甘みが増しているだろう。

ムラサキシキブと言うらしい。日本家屋の庭に咲いていた。良い名前を付けたものだと思う。

いずれもOLYMPUS OM-D(EM10) TAMRON 14-150mm (F3.5-5.6)