姉が居た影響なのか、幼い頃にスカートに憧れた。なぜ僕は半ズボンで姉はスカートなのだろう、と思ったがスカートはひらひらとして綺麗に思えた。
まだよく覚えている。幼稚園の頃、姉のスカートを履いて六畳間をスキップして喜んだことを。余りに履きたがったのだろう、親もそれを許してくれた。とても嬉しくて腰に手を当ててルンルンとスキップしたのだった。
成長するにつれスカートは別の意味を持つようになった。異性そのものだった。憧れの対象になった。しかし今になればまた思う。妊娠出産という機能が女性にはある。スカートは下腹部を冷やすまいか、それはその機能に悪い影響ではないかと。スカートはどんな文化背景で履くようになったのか、自分は服飾史の事は全く知らない。
勤務している地元の方のための施設には時折女装したオジサンが来る。ミニスカートにハイソックス、かつら。やや無理なピンク色のサテン生地のワンピースなどどこで買うのだろう。自分達も慣れたもので普通に対応する。LGBTが一般的な概念となった。女装の男性がLGBTに該当するかは分からないが、スカートをはいて喜んだ幼少の記憶を持つ自分は、何となく理解できるのだった。
家内との日々は平穏だが自分はいつも彼女に笑顔でいてもらいたい。いや、馬鹿な夫ね、と笑ってもらいたい。くだらない冗談を言うのもそんな思いがある。先日妻のスカートを見てふと思った。これを履いて踊ったら、妻は「これ以上バカな夫はこの世に居ない」と呆れるだろう。そう思われたかった。僕がこの世を去る日が来たら、ああ、私の夫はこれほどまで馬鹿馬鹿しい男だった、お陰で楽しく過ごせた、と呆れた笑い顔で思い浮かべてほしいのだった。
早速履いてみた。子供の時以来だから55年ぶりくらいのスカートだった。くるぶしまでの長いものだった。実に軽快で、心配していた足元のスースー感もなかった。大切なお腹も冷える気がしなかった。むしろ足さばきは楽で、なにやら飛翔できそうな気がした。妻の名誉のために言うが、それはゴムのウェストだった。妻の前をルンルンとスキップしたが馬鹿馬鹿しいとスルーされた。その後ゴムが伸びきってしまい、どうしてくれるの?との文句がおまけについてきた。
異性どうしが一つ屋根の下で暮らす。基本的なところで気を使う必要があるだろう。臓器の数も異なり体の構成も違えば思考もまた異なるだろうから。日本での女性解放運動、ウーマンリブという言葉は1970年代だろう。モンペの戦後時代はとうに去り、開放的なスカートをはいて女性の復権を問うたのもわかるような気がする。今は仕事上での性差は無くなったと思いたい。会社では女性管理職も増えた。また、LGBTが一般概念として定着し、男性がスカートをはいてもおかしくない時代なのかもしれない。
ふと姉のスカートをはいて喜んでいたあの時の母親の気持ちを察した。この子はどうなることやら?と心配したかもしれない。しかし自分のその後は何もなく育ったが少しフェティッシュな傾向は残ったのかもしれない。あの時母がそれを厳しくとがめていたら、却って抑圧されて今は新宿二丁目辺りに居たかもしれなかった。
時代は多様化してきた。勤務していた会社でも、トランスジェンダーでタイ国で手術を行った社員がいらした。手術を決心してとても肩の荷が降りたという。さまざまなカタチがある。自分にとってスカートは何らかの象徴でもある。一言で言えないが、価値観が多様化した今の世は少しだけありがたいことだろう。
伸ばしてしまったゴムは申し訳ない。新しいものを買うだろう。