日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅30 赤頭巾ちゃん気をつけて (庄司薫)

・赤頭巾ちゃん気をつけて 庄司薫 新潮社 1969年

青春時代とは一体何歳頃をさすのだろう。部活に燃える中学生も、受験で忙しい高校生も。自我を見つめて何かを見出していく大学生も。どれもが青春時代だと言えると思う。スポーツの苦手な自分は中学時代は部活もせずに。ただテニス部の女子を眩しい目で見ていただけだった。高校時代は人並みに受験勉強だった。大学時代はようやく自分とは何だろう、と考え始めたと思う。自らの容姿も気になり多感な日々だった。しかしおしなべてノンポリな学生だった。

青春時代の完結とは何をもってそう言えるのだろう。大切な人、愛する人が出来る事だろうか。少なくとも自分の中ではそうだった。

「赤頭巾ちゃん気をつけて」という1969年度芥川賞受賞作品である一風変わったタイトルのこの小説を読んだのは、間違えなく自分の青春時代だった。東大紛争、都立高校の学校群制度導入、いずれも自分が産まれたころの話で、それが時代背景として描かれている。主人公の「ぼく」は往時の名門・日比谷高校に通い東大を目指していたが、東大紛争の中彼の年度は受験が中止となる。翌年の高校生は学校群制度で比較的労なく名門高校に入ってきた学生だった。彼はそんな中に自分とは何かを自問自答していく。幼馴染の由美が気になっていた。自分は由美にとって海のように広い男になろうと決心する。たくましい森のような男になろうと誓う。受験を止めたことを由美に告げ二人は手をつなぐ。

こうかいつまんで書いていしまうとありきたりの青春小説になる。が、当時の時代背景、安田講堂焼き討ちなどの大学紛争は何のために紛争していたかも知らない自分。また文中に出てくるサルトルの引用。そして長い文章や自分に語りける口語調などの独特の文体。それらすべてが自分をして難しい本だな、と感じさせた。それが当時の感想だった。受験勉強中だった当時、小論文と言う科目がありそれに向けた添削講座を受けていた。提出した論文に当時読んだこの本の文体がそのまま反映されてしまい「これは私小説の文体であり論文になっていない」と赤ペンが入っていた。この本にまつわる唯一の記憶はそれだった。

改めて読んでみて、やはり難しいなと思う。文が、話題が幾つも回るように思える。読む自分の集中力はしばし途切れた。しかしそのように思考を回さないとナイーブな「ぼく」の心は整理がつかなかっただろうと今は思う。「ぼく」の思考は社会・常識・学業・恋愛・性といった様々な思いの中をぐるぐると回り続け、ようやく幼馴染の女性を愛していると気づく、そのラストは爽やかで心が広がる思いで読むことが出来た。

自分にも程度の差はあれどそんな日々があった。確かに海のような山のような男になりたいと思った。それが間違えなく自分の青春時代だった、と思っている。良い振り返りかもしれない。

最初の本は何時か手放してしまった。手にした本は改めて入手した平成24年度版。厚さの薄い本だが読み進むには体力知力が必要だった。

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